日曜日の午後、そろそろおやつの時間なので、わたしは自分の部屋を出た。下に下りようと階段へ向かう。ちょうどその時、ルカ姉さんが階段を上ってきた。格好からすると、出かけていたみたい。
「ルカ姉さん、お帰りなさい」
「ただいま。リン、ちょっといい?」
 ルカ姉さんにそう言われて、わたしは驚いた。
「え、ええ……わたしは構わないけど、どうしたの?」
 ルカ姉さんの顔を見る。いつもと同じ無表情……のはずなんだけど、でもいつもとは微妙に違うような……?
「リン、あなた、神威さんに何を言ったの?」
 え……? 何を言ったって……。わたしは言われた意味がわからず、言葉に詰まった。確かに昨日、神威さんと話はしたけれど、大した話じゃない。ルカ姉さんのことを幸せにしてあげて、とは言ったけれど……それがそんなに問題になる発言だとは思えないし……。
「……何をって……ちょっとしたことよ。大したことじゃないから」
 そう答えると、わたしはルカ姉さんの隣をすりぬけようとした。その時、ルカ姉さんがわたしの手首をつかんだ。……え?
「リン、神威さんに余計なことは言わないで」
 普段と同じ口調で、淡々とそう言うルカ姉さん。淡々としているのでわかりづらいけど……もしかして、怒ってるの?
「余計なことなんて言ってないわ。ルカ姉さんのことを幸せにしてあげてって言っただけよ」
 わたしがそう言った瞬間、ルカ姉さんの目がすっと細くなった。
「それが余計なのよ」
 余計って……わたしのことが嫌いだから、関わってほしくないのね。何を言っても無駄なんだ。
 わかっていたことのはずなのに、どうして苦しいんだろう……。わたしは軽く唇を噛んだ。
「……わかった。もう何も言わない」
 わたしはそう言うと、手首からルカ姉さんの手を外した。そのままルカ姉さんに背を向ける。
「わたし、下に行くから。そろそろおやつの時間だし」
「いつもいつもリンばっかり……」
 階段を下り始めると、ルカ姉さんのそんな押し殺した声が聞こえてきた。え? と思って振り向こうとする。その瞬間、わたしは背後から強く押された。あっと思った時にはバランスが崩れ、視界が回る。
 そして、わたしは意識を失った。


 気がつくと、目の前に白い天井が広がっていた。
「……え?」
「リン、気がついたのね!」
 お母さんの聞きなれた声がして、足音がして、お母さんが上からわたしを覗き込んだ。ものすごく憔悴した顔をしている。あれ……わたし、どこにいるんだろう。
「あ……お母さん……」
 わたしは起き上がろうとしたけれど、お母さんに止められた。
「起きてはだめよ。お医者さんに、しばらく安静にしていなさいって言われているから」
 お医者さん……?
「わたし、病院にいるの?」
「……ええ」
 わたしは、気を失う前のことを思い出そうとしてみた。でも、頭が痛くて、上手く思い出せない。
「わたし、どうしてここにいるの?」
「リン、憶えてないの?」
「頭が痛くて……」
 お母さんは悲しそうな顔になった。
「きっと頭を打ったせいだわ。お医者さんは、検査では異常は見つからなかったって言っているけれど……」
 わたし、頭を打ったの? というか、何がどうなっているんだろう……?
「あの……お母さん。わたし、どうして……」
「おやつの支度をしていたら、リンの悲鳴と物音が聞こえてきたの。あわてて廊下に飛び出したら、リンが階段の下に倒れていて……。多分、階段で足を踏み外したんじゃないかと思うんだけれど」
 お母さんの口調ははっきりしなかった。落ちるところを見たわけじゃないから、断言できないのかな。……わたし、階段で転んだのか。今気がついたけど、頭だけじゃなくて、背中とか肩とかにも鈍い痛みがある。きっと、落ちた時にぶつけたんだ。
「リン……とにかく、今日のところはあまり考え込まずに、ゆっくり休みなさい」
「う、うん……そうする。お母さん、わたし、いつ家に帰れるの?」
「すぐには無理よ。先生は念の為にしばらく入院させたいって言ってるから」
 そうなんだ……。わたしは少し憂鬱な気分になった。じゃあ、明日からしばらく、学校には行けないのね。レン君にもミクちゃんにも会えないんだ。二人とも心配するだろうな。突然入院なんてことになったんだもの。
「リン、ほしいものがあるのなら、お母さんが持ってきてあげるから大丈夫よ」
 お母さんは、わたしが暗い表情になったのは、入院が退屈だからと思ったみたい。違うんだけど、この際何か持ってきてもらおうかな……そう思いかけて、わたしははっとなった。まずい。入院となると、お母さんに着替えとかを取ってきてもらう必要がある。けど、クローゼットにはレン君から借りたCDを隠してあるの。あれが見つかったら……。
「……リン、どうかした?」
「え、え、えーと、あの……」
 どうしよう。クローゼットに入らないで、全部新しいのを買ってきてくれって言う? そんなことをしたら余計怪しまれる。でも、クローゼットに入って中をかき回されると……。
「あの……お母さん、怒らないで聞いてくれる?」
 もうこれしかない。あまりやりたいことじゃないけれど……。
「なに?」
「クローゼットに、最近の音楽のCDが隠してあるの。禁止されているのはわかっているけれど、わたし、どうしても聞いてみたくて……こっそり買ってしまったの。ごめんなさい。お願いだから捨てたりしないで」
 わたしは必死で頼み込んだ。あのCDはレン君のだから、捨てられたりしたら厄介なことになってしまう。わたしは、祈るような気持ちでお母さんの顔を見た。
 お母さんは小さなため息をつくと、わたしの髪をそっと撫でた。
「……わかったわ。CDのことは気がつかなかったことにしておく。お父さんにも言ったりしないから、安心しなさい」
 わたしは安心して、大きく息を吐いた。
「リン……あのね、お母さん、リンがそういうものに興味を持つのは、仕方のない……というか、当たり前のことだと思うのよ。だから、クローゼットの中で何か見つけたとしても、そのことは絶対に誰にも言わないから」
 わたしは驚いて、お母さんを見た。お母さんがそういう風に考えていたなんて、思いもしなかったから。
「ごめんなさい……」
「リンは謝らなくていいのよ。だから、今日はもうゆっくり休みなさいね。明日の午前中、また様子見に来るから。何を持ってきてほしい?」
「……ショパンとドビュッシーとフォーレのCDと、プレーヤー。病院だからイヤフォンもお願い。あ、それと、ここって携帯は使えるの?」
 携帯があれば、ミクちゃんには連絡が取れる。同じクラスだから、ミクちゃんに伝えればレン君にも伝わるはずだ。ここは病院だけど、携帯が使えるエリアとかがあるかもしれない。
「メールだけならこの部屋で使って大丈夫みたいよ。一応受け付けに確認しておくわ」
「じゃあ、携帯もお願い。鞄に入ってるから」
「わかったわ。それじゃリン、先生を呼んでくるわね」
 お母さんは小さい子にするみたいに、わたしのかけている布団をぽんぽんと叩くと、病室を出て行った。
 しばらくするとお母さんが先生を連れてきてくれて、わたしは先生から、自分の状態に関する説明を受けた。頭を打っていて、検査をしたところ目立った異常はないけれど、念の為にしばらく入院して様子を見るとのことだった。手足のしびれなどはないかと訊かれたので、それはないと答える。
 先生との話が終わると、お母さんは「家も心配だから今日はもう帰るわね。さっきも言ったけど、明日、様子を見に来るから心配しないで」と言って、帰って行った。
 わたしは天井を見上げて、ため息をついた。階段から落ちるなんて……でも、一体、何があったんだろう?
 思い出そうとすると、頭が痛んだ。わたしは思い出そうとすることは諦め、学校のことを考えた。戯曲の話が全部終わってて良かった。入院が数日になったとしても、わたしのせいで遅れるということだけはないから。
 でも……会いたいな。会って話がしたい。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 第四十六話【イン・コールド・ブラッド】

 今回「え~っ」って思った方も多いかもしれない……。
 でも話の都合上どうしても必要な展開なんです。

 今回もアナザーはお休みです。

 余談。
 このエピソードを書きながら、これ聞いてたら頭の中が色々ややこしいことになりました。
 http://www.youtube.com/watch?v=LaDW6trhp4w
 だから執筆中のBGMには気をつけろとあれほど……。

閲覧数:898

投稿日:2012/01/17 00:33:57

文字数:3,323文字

カテゴリ:小説

  • コメント1

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  • 苺ころね

    苺ころね

    ご意見・ご感想

    なんと・・・
    ルカがこんなことをするなんて・・・

    ますます続きが楽しみです!
    別に「え~」とか思いませんよw

    2012/01/17 23:38:23

    • 目白皐月

      目白皐月

       納豆御飯さん、こんにちは。メッセージありがとうございます。

       ルカの心理に関しては、度々作中で言及しているように、「自分で自分の気持ちから逃げている」状態なので、わかりづらいかもしれません。更にリンが肝心なポイントを一つ見落としている(まあこれ、気づく方が難しいんですが)ので、それもわかりづらさに拍車をかけているというか……。

       続きも書いてますので、楽しみにしていてくださいね。

      2012/01/18 00:18:01

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