駅に着くと、僕は帯人兄さんの住んでいる家の最寄り駅までの切符を買った。改札を抜けて電車に乗る。電車に揺られながら、僕は今度は帯人兄さんのことを考えていた。ちょっとは落ち着いていてくれるといいんだけど……。
次兄の帯人兄さんは、僕の五歳上。優等生だったマイト兄さんと比べると、帯人兄さんは「問題児」だった。問題児といっても、単に言うことをきかないとか、物を乱暴に扱うとか、その程度のことだったけど。マイト兄さんが優秀だったので、両親は帯人兄さんの扱いに手を焼いていた。といっても、帯人兄さんは言動がやや乱暴なだけで、目だった問題行動は起こさなかった。高校に入るまでは。
高校に入学した帯人兄さんは、軽音部に入部した。そこで……目覚めちゃったんだよね。音楽活動って奴に。もちろん、音楽活動に興味のある人はいっぱいいるだろうし、何らかの音楽関係の部活に入る人もいるだろう。でも、帯人兄さんの場合、度を越していた。寝ても覚めても音楽のことばっかりで、勉強もろくにせずにバンド活動に打ち込み続けた。結果として成績はどんどん下がって行き、父さんが説教しても聞く耳持たず、あげくに家をひっくり返すような大喧嘩。怒鳴り声は凄いは物は飛ぶわで、僕とガイトは生きた心地がしなかった。
父さんと揉めながら高校を卒業した帯人兄さんは「バンドをやります。もうお世話にはなりません」と置手紙を置いて、家から出て行ってしまった。僕たち一同唖然としたけど、父さんは「もう放っておけ」だった。
帯人兄さんの住んでいる家――というか、アパートなんだけど――の前までやってくる。帯人兄さん、何してるんだろう。そんなことを考えながら、アパートを眺めていた時だった。
「お~い、カイト!」
呼ぶ声がした。見ると、角の向こうからこっちにやってくる、見慣れた赤マフラー。……従兄のアカイだ。僕の父さんの弟の息子で、年は一緒。
「あ、アカイ」
アカイはだだっとこっちに駆けてきた。大きめのバッグを肩から下げている。
「よっ、もしかして、お前もお節料理を届けに来たのか?」
「もってことはアカイも?」
アカイは頷いた。
「お袋が持ってけってさ」
お互い大変だなあとアカイの顔を見る。もっともアカイは、別に悩んでいる風もなかった。もともと、アカイはあまり物事に深刻にならない性質だっけ。
同い年で顔もそっくりだったりするのに、なんで僕とアカイはこんなに性格が違うんだろう。
「行こうぜ、カイト」
アカイはさっさとアパートの中に入って行く。僕も小走りに後に続いた。
帯人兄さんの住んでいる部屋の前まで来ると、アカイは鍵を取り出した。え?
「アカイ、なんで鍵持ってんの?」
「この前、渡してもらったんだよ。物持ってきても寝てたりするし」
使い走りをやらされるのはどこも同じか。でもこの口ぶりだと、アカイは僕よりもここに来ることが多いみたいだ。どう思っているんだろう。アカイとは仲がいいけれど、このことに関する話をしたことはない。なんとなく、僕の口から言うのは憚られて。
「お~いっ! お節の宅配に来てやったぜ!」
玄関のドアを開けると、中に入りながらアカイはでかい声でそう言った。お、おいおい。帯人兄さんが不機嫌だったらどうするんだよ。
「…………」
アカイの声に反応して奥から出てきた人影が、ぼそぼそと何か言っている。でも僕には、何を言ってるのか聞き取れない。
「俺だけじゃねーぜ、カイトも一緒だ。二人揃って『お袋の味』を届けに来てやってんだ、有難く思え」
アカイはもう靴を脱いでいる。僕もあがらないといけなそうだった。……玄関口で帰りたかったのに。渋々靴を脱ぐ。
「こんにちは、カゲイ兄さん」
奥から出てきたのは、アカイの兄であるカゲイ兄さんだった。従兄なんだけど、小さい時から交流があるので、僕は「カゲイ兄さん」と呼んでいる。
「…………」
カゲイ兄さんは何も言わず、くるっと背を向けて、奥の部屋へと入って行った。アカイがその後に続いて行く。聞こえないようにため息をつきながら、僕も続いた。
奥の部屋では、炬燵に入った帯人兄さんが、紙の上に何かを必死になって書いていた。……周りに散らばっている機材やら何やらからするに、次の曲を作っているところらしい。まずいところに来ちゃったかもなあ。
「帯人兄さん、こんにちは」
僕はそう声をかけたけど、帯人兄さんはちらっとこっちを見ただけだった。没コミュニケーション。またため息をつきたくなる。
アカイはというと、鞄を開けて中のタッパーを取り出していた。そしてそれを冷蔵庫に入れている。
「というわけで、お節料理は冷蔵庫に入れておく。明日になったら取り出して食え。雑煮が食いたければ実家に帰って来い。出張は嫌だとお袋が言っている」
カゲイ兄さんが頷いている。……理解、しているのかな。昔から、カゲイ兄さんという人はとにかく無口だった。なんでカゲイ兄さんが、帯人兄さんと一緒にバンドをやっているのか、僕は未だに理解できずにいる。
「おいカイト、お前も早いところタッパー出せよ」
アカイに言われて、僕は我に返った。そうだ、お節料理を届けに来たんだった。鞄から残りのタッパーを取り出す。でも誰も受け取ってくれない。しかたないから、さっきのアカイのように、冷蔵庫に勝手に入れてしまうことにするか。
「そんじゃーな、カゲ兄、帯兄、俺らはもう帰るから。兄貴たちも、たまにはお袋たちに顔見せろよ」
アカイがそう言った時だった。帯人兄さんが突然立ち上がった。反射的に、身構えてしまう僕。
「歌詞が浮かばない……」
立ったまま宙を睨み、そんなことを言う帯人兄さん。はっきり言って怖い。
「駄目だ駄目だこんな歌詞じゃ! こんな歌詞じゃ俺の思うことなんてちっとも伝わらないっ! どうして俺の思うとおりの歌詞が書けないんだあっ!」
帯人兄さんはそう叫ぶと、いきなり壁に頭をぶつけ始めた。わ、ちょっと、やめてくれよ。
「た、帯人兄さん……」
「帰ろうぜ、カイト」
アカイ、なんでお前はこの状況を見て、全然動じないんだよ! お前もおかしいぞ。
僕の非難するような目に気づいたのか、アカイは小さくため息をついた。
「お前もさあ、帯兄の発作見るの初めてじゃないだろ? ああなったら、しばらく止まらない。それに本格的にヤバそうだったら、その時はカゲ兄がなんとかするって」
そのカゲイ兄さんは、帯人兄さんの傍に座って、携帯をいじっている。……頼りになりそうには見えない。
「携帯いじってるけど」
「ゼイトさん呼んでるんだよ、いざって時に備えて」
ちなみにゼイトさんと言うのは、帯人兄さんのバンド「ブラックバンデージ」の三人目のメンバーだ。遠縁なんだけど、どういう縁続きなのかは僕もよく知らない。
結局、僕はアカイに引きずられて、帯人兄さんのアパートを後にしたのだった。
「さ~て、一仕事終わったことだし、どこかで一杯やろうぜ」
「アカイ、お前まだ社会人じゃないだろ?」
僕もアカイも大学の四年生だ。アカイはようやく就職が決まり、肩の荷を下ろしたところ。僕は前述のとおり、法科大学院への進学が決まっている。
「いーじゃん別に。俺だって飲みたい気分の時があるんだよ」
結局僕は、アカイに引きずられてしまった。ああどうして、僕は自分の主張がちゃんとできないんだろう。こんなんで、将来ちゃんと法廷に立てるんだろうか。
帯人兄さんの住んでる辺りはろくな店が無いので、僕とアカイは電車で都心にやってきた。年の瀬だから、なんだかんだ言って人出は多い。
「あ、ごめんアカイ。母さんにメールしとく。アカイと飲んで帰るって」
大晦日に帰宅しないって、やっぱりよくないかなあ。今からでも、断って帰った方がいいだろうか。携帯を出したものの、僕はメールする決心がなかなかつかなかった。そんな時……。
「……アカイ?」
声をかけてきた男の人がいた。うわっ、高そうなスーツだなあ。見るからに高級品だってわかるぞ。
「神威先輩!?」
えーと、神威先輩って、確かアカイの大学の先輩だよな。ブラックバンデージのライブに来てくれたんだっけ。なんか、すごい大会社の息子だとかで。……だから着てるものも高級品なんだ。
「先輩、こんなところで会うなんて奇遇ですね」
「ん~まあちょっと、ぶらぶらしたくてな……明日は予定が入っているものだから」
「予定? 初詣ですか?」
「いや、婚約者の家での新年会だよ。何しろ婿入りする身だからね」
アカイと神威先輩とやらは、そんな話を始めた。……そう言えばこの人、どこか別の大きな会社に婿に入るとか言ってたっけ。あれ? 僕はなんでこんなこと、知ってるんだろう。
「ところでアカイ、そこにいるのは弟さんか?」
「彼は始音カイト、俺の従弟です。年は俺と同じですよ」
アカイに言われて、僕は我に返った。
「初めまして、始音カイトです」
「初めまして、神威ガクトだ。アカイとは大学のサークルが一緒でな」
アカイのサークル……確か山岳部だったよな、アカイ。山の魅力を熱く語られたこともある。僕にはよくわからなかったけど。
「アカイたちは、これからどうするんだ?」
「俺とカイトは飲みに行こうとしていたんです。あ、そうだ。先輩も一緒にどうですか?」
「久しぶりにアカイと飲むのもいいかもな。けど、俺も一緒でいいのか?」
神威さんとやらは、僕を見た。どうやら、僕に気を遣ってくれているらしい。
「……一緒でいいですよ」
本音を言っちゃうと、知らない人と飲みに行くのは苦手だ。でも、向こうに先に気を遣われてしまうと、断るのも悪い気がしてしまう。
それに……断ったところで、多分アカイが「えーっ、いいじゃないか」って言うに決まってるし。そうなったら、余計僕は自論を押し通せない。
「そうか、じゃあ一緒ということで。あ、今日は俺がおごろう」
「え、そんな」
「カイト、大人しくおごってもらえ。先輩金持ちなんだから」
「……金持ち金持ち言うな、行くぞ」
神威さんが僕たちを連れて行ったのは、意外にも高級店とかじゃなく、いわゆる普通の「居酒屋」だった。ほっとする。慣れない高級店なんかに連れて行かれたら、どうしようかと思っていた。
「こういうお店に来るんですね」
思わず本音を言ってしまい、はっと口を押さえる。失礼だよ、こんなことを言うのは。けど、神威さんは苦笑しただけだった。
「大学時代はこういう店ばかりだったんでな。アカイと会うと、あの頃に戻った気分になれる」
そういうことなのか。食べなれているものが一番美味しいと感じるようなものなのかな。そんなことを思いながら、席について酒とつまみを注文する。僕はサワー、アカイはビール、神威さんは日本酒だ。
お酒が入ると、アカイも神威さんも饒舌になって、よく喋った。僕も何か言おうかと思ったけど、共通の話題がないのでついていけない。そんなわけで、僕はただじっと二人の話を聞いていた。
「お前の就職が決まったのはおめでたいことだが、残念な気もするな」
「先輩、そこは素直に祝ってくださいよ」
「俺、かなり本気で期待していたからな。お前が頭下げて『もう先輩に頼むしかありません』って、泣きついてくるの」
「残念でしたね先輩、夢が叶わなくて」
「全くだ。俺の夢の一つは、お前を部下にしてこき使うことだったんだぞ」
「だから先輩にだけは絶対に頭下げないって決めてたんですよ、俺」
楽しそうだな……。からあげをつまみながら、僕はそんなことを考えていた。
「とにかく、これで晴れて俺も四月から社会人ですっ! 就職浪人にならなくて本当に良かった」
「だから俺に頭を下げれば俺の部下として」
「先輩の部下としてこき使われるのは勘弁です。人使い荒いんでしょ?」
「何を言う、俺くらい物分かりのいい上司はいないと評判なんだぞ」
「そう思っているのは先輩だけだったりして」
この神威さんて人、若いけどもうそんな立場なのか。大きい会社の跡取りだからなんだろうな。
「そういう話はさておき、就職が決まってほっとしましたよ。先行きが定まらないんじゃ、好きな子にアタックもできませんから」
うん? アカイ、好きな人いたのか。そういう話は初めて聞いたので、僕はちょっと驚いた。
「ほーお、アカイにもとうとう春が来たか」
「春って言っても、まだ相手とはろくに話せてないんですけどね。会ったばかりなんで」
「ってことは、大学の奴じゃないな。どこで会ったんだ?」
「それなんですけどね、実は俺の従姉――こいつの姉なんですけど――がファッションデザイナーをやってるんです。そこで働いてる人なんですよ」
え? 僕は思わず凍りついた。アカイ、それってまさか……。
「アカイが見初めたんなら、さぞや美人でスタイルもいいんだろうな。お前、昔から面食いだったし」
「先輩それはないでしょ。……ま、確かにスタイルのいい美人ですけど。俺、あんな綺麗な人、初めて見ましたよ」
アルコールが入っているせいか、アカイは賑やかに笑っている。でも、僕は笑えなかった。マイト兄さんのところで働いていて、スタイルが良くて、美人って……それ、めーちゃんの特徴と一致する。兄さんのところのスタッフは女性ばかりだけど、めーちゃんほど美人でスタイルのいい人ってのはいない。
その後もアカイと神威さんは楽しそうにずっと話をしていたけど、僕はほとんど聞いていなかった。アカイがめーちゃんを……。
内向的でおとなしかった僕とは逆に、アカイは活発で社交的な性格だ。声も大きいし、行動だって素早い。だから子供の頃、一緒に遊んでいると、いつもアカイの方がその場を仕切っていた。そんなアカイだから……めーちゃんのことが好きになったら、なりふり構わずアタックするかもしれないし、めーちゃんだってその気になっちゃうかも……。
アカイの首をつかんで、本気なのかって、問い詰めたかった。でも……僕に、そんな勇気はなかった。僕はただ、めーちゃんのことが好きっていう、めーちゃんのボスの弟に過ぎないんだから。
どうしようもない焦燥感が胸を満たす。でも、僕は何一つ言えなかった。
そうして苦い気持ちと共に、この年は暮れていった。
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カイトの将来何にしようかな~とか考えていた時、なんとなーく昔読んだ法廷ものの漫画が頭を過ぎりまして、ああ、ああいうのがいいかもなあと思っただけです(ってことは、将来カイトは家裁勤務になるのか?)
まあ判事はまともな職だし、なりたいと言い出しても、両親そこまで怒らないと思いますが。カイト君にはカイト君の心情があるというか。
ただ、判事になっちゃうとドサ回りあるんですがね。その辺りを考えているのかいないのか……。
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