※鏡音が双子じゃないです。駄目な方はバックプリーズ。
恋しくて、愛しくて、もどかしい。三歩離れた君との距離。
桜の花びらが舞う。ひらり、はらり。ある者はスローテンポで、ある者はアップテンポで。時に大胆、時に儚げに、大きく小さく踊り散る。茜色に染められたステージで時折吹く春の風が奏でるリズムに合わせ、我も我もと狂ったように枝から次々と飛び立っていく。
今は桜の真っ盛り。肌に触れる柔らかい陽気からも分かるように、ここ数日気まぐれなお天道様は今日一日はどうやらとても上機嫌だったらしい。
しかしそんな空模様とは裏腹に、桜並木をずんずんと突き進んでゆくリンの周りの空気は非常にピリピリしており、吊り上がった眉と一文字に結ばれた口元が今の彼女の天気模様を何よりも明確に表していた。
「リン」
そんな彼女の背中へ呟きのように一つ投げられる声。聞き慣れたものであるが故に、彼女は振り向くことなく無視を決め込む。
「リーン」
先程よりも間延びして響く自分の名前を、しかし耳に捕えつつも振り払うように歩き続ける。
「リーンー」
背中に届く声の語尾が伸びていくたび、彼女のスピードは知らず知らずの内に速くなっていく。その動きに翻弄されるように白いレース地がふわふわと足に纏わりついてきて、歩きにくいことこの上ない。持ち手をしっかりと握り締めたままのバックも、歩幅に合わせて振り子のように前に後ろに大きく揺れる。時々腕を引っ張られてバランスを崩しそうになるたび、リンの中で小さな苛立ちが静かに積み重なっていった。
この日のために選んだ筈なのに。お気に入りのスカートも愛用の籠バックも今だけはうっとうしくてたまらなかった。
「おーい、リンさーん」
無視無視無視。ひたすら無視。単純作業を繰り返す機械にでもなったような足取りで、黙々と家までの道のりを消化していく。
しかし、機械がスイッチ一つで作業を止めてしまうように、二人の間で続いていた一方的な会話のキャッチボールは唐突に終わりを告げた。
はあ、と背中越しに聞こえる溜息。何気ない吐息のはずなのに、何故かやけに大きく耳に響いた。
「何怒ってんだよ」
ただ地面へ落とすためだけに投げられたはずの言葉はしかし。
「怒ってない!」
刹那の間も許さぬ速さで、否定の叫び声がレンまで戻ってきた。
レンは反応があったことに目をぱちくりさせ、リンはしまったと言わんばかりに顔を歪め、さらに歩くスピードを速めた。
「リン、リン、リーン」
まるで歌うように何度も呼ばれる名前にも、さっき以上の頑なさでだんまりを通す。が、一度反応してしまうと、何故こんなに無視することが難しくなるのだろうか。
「やっぱり怒ってるだろ」
「怒ってないってば!」
だからだ。再び小さな溜息の後にさっきよりも上向き加減に投げられた言葉に、こんなに過敏に反応してしまうのは。
ほとんど叫び声と化した間髪無い反論の勢いに、髪がばさりと音を立てて乱れる。朝頑張って綺麗に結った髪型をまとめる花の髪飾りも、今となってはただ邪魔なものにしか感じられなかった。
ああもう。リンは心の中で押し込めていた息をそっと吐き出す。どうしてこんなことになってるんだろう。
別に怒ってるわけじゃない。それならリンはもっとはっきり顔に行動に移している。
歩調を少し緩めて、胸に手を当てる。体の中心でいつもより速いスピードで鼓動が響いている。
本来、感情を作り出す器官があるのは脳だという。心臓自体はただ、命の終わりまで時を刻み続けているだけ。
しかし人は心を感じたい時、真っ先に頭ではなく胸に手を当てる。まるで心臓が心そのものであるかのように、掌で体で感じる鼓動で自分の気持ちを確かめようとする。
何故なら、心臓は本能だから。いちいち言語化しなければ推し量ることの出来ない脳内よりずっとストレートに、心を表してくれるから。
見れない、話せない、触れない。だから伝わってくる振動の大きさや速さや強さが、あたしたちにそっと教えるのだ。
君の心は、こう感じてるよって。
けれど今、リンの心の中はぐちゃぐちゃした感情がぐるぐると渦巻き、本質をすっぽり覆い隠してしまっていた。ざわついて、落ち着かなくて、どうしようもなくなって、自分で処理出来ない。何色もの糸が複雑に絡み合ったような、説明のつかない塊が心の真ん中に居座っている状態だった。
ああもう。再度呟いた言葉は声にならず、溜息を重くするだけだった。
この地区で多いのんびり屋の桜が蕾が綻び淡い花びらを開かせたのは、新学期に入ってからの慌ただしさがようやく去って新しいクラスにもすっかり慣れた頃だった。
一際遅い開花は春の空気に馴染んできた人々の足を浮き立させ、増してやそれが休日ともなれば畳んだはずの宴会をもう一度と気分を湧かせるには充分だった。
リンたちのクラスも例に漏れず、クラスのリーダー格がせっかくならと今日のお花見を提案した(新学期故の面倒事が去ったお祝いだか激励だかは忘れたが、要は鬱憤晴らしがしたかっただけだろう)。
そしてただ集まるだけじゃつまらないからと、こんなことまで言い出した。
『一人一品、もしくはお菓子一つ絶対に持ってくること。あ、先に来た奴と持ってきたのが被った奴は、罰ゲームな!』
なんとなく聞き流していたのが失敗だった。もしミクの電話とレンの問いかけが無ければ、手ぶらで行く羽目になっていただろう(実際に一人いたが、可哀想にそのクラスメイトは一日中パシリとして扱われていた)。
今日集合場所に向かうまでの僅かな時間で頭を捻って唸って、一番定番のお菓子にしたのが間違いだった。
時間ぎりぎりに到着したリンがまず最初に見たのは、よく見知ったパッケージ。まさにたった今リンが考えに考えて選んだものと全く同じ絵柄だった。いつも可愛らしい笑顔を浮かべる箱に描かれた動物が、この時ばかりは憎らしくてたまらなかった。
結果リンは罰ゲームとして皆の前で歌わされた。ちょうど合唱部で練習中だった歌があったのが不幸中の幸いだった。ミクが伴奏を弾いてくれたおかげで、予想よりずっと楽に、そして思いもかけず大きな(クラスメイトのみならず周りにいた他の花見客からもの)拍手を受けて、結局罰ゲームなのか分からなくなるくらい幸せな気分で、歌い切ることが出来た。
これだけなら今日は楽しかった。いや、実際楽しかったはずなのだ。
なのに、なぜ自分はこんなにも苛立っているのか。
唯一考えられるその記憶を思い起こして、ざわり。またリンの心にさざ波が立った。
一人一品持ち寄るこのルール。場所は違えどほとんどの者が買ったものを持って来た。
しかし世の常というべきか、『大抵』があれば必ず『例外』は存在する。そしてそういう意味で異彩を放っていたのが、先程からリンの名を呼び続けるその人―レンだった。
レンの両親は長期海外出張中。学費と生活費は毎月振り込んでくれるらしいが、それがお小遣いの代わりともなっているらしく、バイトもしていないのでほとんど毎日かつかつの状態で暮らしている。そして地道に節約して貯めた差額を少しずつ趣味に使っているのは、リンが誰よりもよく知っている。だから今回レンが選んだ選択肢に文句を言うつもりは無い。むしろとてもらしいと納得したのだ。
レンは誰よりも安上がりな金額で、クラスメイト全員分のクッキーを作ってきたのだ。しかもココアとオレンジ風味の生地が交互になっているもので(リンの大好物だ)、はっきり言って他のどのお菓子と比べ物にならないほど美味しかった。格が違うとはこういうことかと、静まり返った集団の中で黙々と食べ続けた。
レンの料理の腕はずっと前から承知済みだ。今更嫉妬を覚えるわけでもない。
『嫉妬』。するりと出しただけの言葉が、何故か嫌に胸の中で響いた。そうだ、もしかしたらその言葉が一番近いのかもしれない。
幼馴染み故の当たり前も、まだお互いによく知らない者同士のクラスメイトにとっては新鮮だったのだろう。レンの大量のクッキーが全て綺麗に無くなった時、皆の顔には抑えきれぬ好奇心がはっきりと浮かんでいた。
その後ずっと代わる代わるクラスメイトに話しかけられ続けるレンに、声をかける余裕などあるはずもなく。長く感じたお花見はお開きの時間となり、まだ名残惜しそうにしていた皆から気づけばリンは逃げるように立ち去った。のに、後ろからはいつものようにレンがついてきて。そして、今に至る。
特別なことがあったわけじゃない。むしろレンの実力が皆に認められたというのなら、それは喜ぶべきことなのだ。
…けれど、それを素直に受け入れられない自分が、どうしてもいる。
思い浮かぶのは今日のお花見のこと。レンが他のクラスメイトと親しげに会話する姿。レンの声に重なるように耳に届く黄色い笑い声。
ずきり。痛む胸の意味にようやく思い至り、リンは笑いたくなった。
「(…あたし以外の女の子に、そんな楽しそうに、笑いかけないで)」
形になってしまった想いの、何て情けないこと。口から半端な笑いが零れ、同じように目尻からは涙の粒がポロリ、ポロリと地面に吸い込まれるようにして落ちていった。
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