「私、田舎に行ってみたい。静かで景色がいい所がいい」
 そう言うリンの希望で、東京とは逆方面に向かう電車に乗り込む。終点がどこなのか、何県なのかもよくわからないが、別にそんなことはどうだってよかった。ただ、逃げ出したかったんだ。
 券売機の上にある路線図や流れる風景を見ていると、自分たちがいた世界がどれだけ小さくて狭かったかを思い知る。でも、あの世界は絶対で、そこから出られるだなんて思いもしなかった。自分を取り巻く環境がすべてで、そこが苦しくて、いつももがいていた。
「んん……」
 昨日寝られなかったのだろう、リンは船を漕いでいた。頭を僕の肩に預けさせ、安定させる。温もりが広がって、リンが人を殺したという事実がどうでもよくなっていく。話を聞いたときには、犯罪だとか、刑罰だとか、リンの今後とか、どうなるかわからないことが多すぎて頭が働かなかったけれど。
 でも、僕たちをいじめてた奴らだって人殺しだ。
 治らない傷をつけられ、人からの視線が、評価が、怖くなる。もういじめられたくないから、人に好かれたいんだけど、見た目も悪いし、人見知りで上手く話せないし、失敗ばっかりで、器用に生きられない。
 『自分』という存在を否定され、たくさんの傷をつけられる。それは何ら人殺しと変わりないのではないか。そして、僕らは一生傷を抱えて生きていかなきゃならないのに、あいつらは今までもこれからも笑って暮らしている。
 初音はリンを精神的に殺した。だから、肉体的に殺された。そこに優劣は何もない。因果応報。自業自得。けれど、この世界では、肉体的に殺したほうがより注目され、罰を受ける。
 ねえ、リン。君は何も悪くないよ。


 電車が終点へ到着した。周りに店などはなく、閑静な住宅街が広がっている。長時間座り続けているのも疲れたので、改札を抜け、当て所もなくゆっくり歩く。
「ここも静かだけど、もっと田舎に行きたいや」
 リンは小さく笑い、腕を上にあげて伸びをした。
 鳥の鳴き声が聞こえる。どこかの家から子どもの楽しそうな声がする。
「お父さんとお母さん、今頃何してるのかな」
 リンからそんな言葉が出ると思ってなかったので、思わず呆けた顔をしてしまった。
「あはは、そんなこと言うのなんて意外だって顔してる」
「……ごめん」
「別に謝らなくていいよ。私も、すべて捨てて逃げ出したくせに心配するだなんて矛盾してるなって思うし」
 そう言って赤く染まりかけている空を見上げるリンの瞳は、空を超えて、更に遠いところを見ている気がした。
「私、お父さんっ子なんだ。お母さんは、あんまり好きじゃないというか、嫌な気持ちになることのほうが多かったから。でも、こうなって申し訳ないと思うし、普段もう少し優しくしてあげればよかったのかなって」
 リンとはいろいろなことを語り合ったけど、それは学校で受けたいじめについてがメインで、家族の話を聞くのは初めてかもしれない。今の言葉だと、家族との仲は悪くはないみたいだが、なかなかに複雑なものがあるみたいだ。
「前に、レンのところは父子家庭だって言ってたでしょ。だから、あんまりお母さんの話、しないほうがいいのかなって思ってたんだけど……もし気を悪くしたらごめんね」
「いいよ、そんなこと気にしなくて。物心ついたときにはもう父さんだけだったし、それを不満に感じたことも、寂しいって思ったこともない」
 むしろ、と僕は思う。
「手を伸ばせば届くところにあるのに、満たされないほうが、つらいよ」
 その言葉にリンは一瞬泣きそうな顔をしたが、すぐに笑顔を作ってみせた。
「ありがとう。やっぱりレンは優しいね」
 家族という枠組みは、それぞれの家庭でまるで違った形を見せる。よくモデルにされるような理想の家族像がコンパスで書いた円だというならば、ほとんどの家族は歪な丸になると思う。家族を作り上げるのにコンパスのような補助具は存在しないのだ。
 少し穏やかになったリンの顔が見られて、なんとなくほっとした。リンの話を聞いて触発されたのか、僕もなんとなく自分の父親について考えてみる。
 物心ついたときには父親と二人で暮らしていた。母親とは死別したわけではなく、単純に離婚したらしい。顔すら覚えてなく、あまり興味もないので深く掘り下げることもしなかった。
 無口な父親だった。あまり会話をすることはなかったが、学校行事には必ず来てくれたし、弁当も毎日作ってくれた。小、中と好きなことをやってばかりで家の手伝いを全然しなかったが、それを怒ることもなく、咎めることもしなかった。
 一時期、父親が僕を育てることを義務としているだけでないかと考えたことがある。公園で小さい子が父親と仲良く遊んでるのを見る度に、羨ましいと思っていた。父親の行動すべてが、息子にどう接していいかわからない不器用な愛情だと知ったのは、「レンも大きくなったな」と小さく微笑みながら言われたときだった。その目に嘘はないと、確信したのだ。
 父さん。今まで育ててくれたのに、ごめんなさい。
 空を見つめながら吐いた謝罪は、所詮自己満足に過ぎない。


「そろそろお腹空いてきたね」
 夕日はもうほとんど沈んでいるのか、空は暗くなり始めている。確かに家を出る前に軽く食べたきりで、何も口にしていなかった。
「そうだね。何か食べたいものある?」
「ううん、特には。この辺り、ファミレスとかなさそうだし、コンビニで買う?」
「それでいいよ」
 住宅街から抜け出し、大通りに沿って十分ほど歩くと、コンビニが見えてきた。ちょうどイートインスペースがあったため、そこで食べることする。リンが買ったパスタと、僕が買ったうどんと、二人で食べるためのポテトチップス。それらを会話もなく食べていく。
 静かだと、家族の話をしたせいか、今頃あちらは何をしているのだろうとそればかりが頭をよぎる。僕の父さんはまだ家に帰ってきていないはずだが、リンの両親はそろそろ心配しだすのではないか。そもそも初音は発見されたのか。もしかしたら一命を取り留めている可能性だってある。リンはあのとき酷く動揺していたはずだし、話を聞く限り、触ったり話し掛けて確認はしてなさそうだから、必ずしも死んだとは言えない。情報を得たいところではあるが、スマホはGPSを考えると電源を付けたくない。
 ポテトチップスを食べながら店内をぼんやりと眺めていると、あるものが目に入った。どのコンビニでも入口付近のラックに入っている、新聞。初音が死んでも死んでいなくても、突き飛ばした人物が行方不明となれば、新聞には小さくでも載っているだろうか。
 席を立ち、家で取っている新聞を選び、なんとなくレジから隠れて開いてみる。地方欄を少し確認するだけで、買う必要はない──そう思っていた。
『女子高生、図書室で死亡──頭を強打か。
 栗戸高校の女子生徒である初音ミクさん(17)が高校内の図書室で死亡しているのが確認された。死因は頭を強打したことによる外傷性ショック死。警察は──』
 その記事が書かれていたのは、地方欄ではなく、テレビ欄の裏、一番最後のページ。情報が少ないからか、スペースは大きく取られていないものの、地方欄よりは多くの人が目にするであろう場所に書かれていることは確かだ。
「やっぱり、死んだんだ」
 いつのまにか後ろにいたリンに驚き、危うく新聞を落としそうになる。リンの表情は無表情で、そこからは何の感情も読み取れなかった。
「……その新聞、買ってくるね」
 その言葉に一瞬戸惑ったが、何も言わずに新聞を渡す。レジに向かうリンの後ろ姿がいつもより小さく見えて、胸が痛かった。


 夕食を食べ終え、コンビニを出て、また当てどころもなく歩きだす。もっと栄えた所ならインターネットカフェや簡易ホテルで一夜を過ごすという手はあるが、ここにそんなものはないだろう。
 お互い無言で、なんとなく道を歩んでいく。すると、やがて小さな公園が見えてきた。
「今日はここで休む?」
 リンの提案に賛同し、公園の中へと入る。ベンチに腰かけて一息つくと、張りつめていた緊張の糸が切れたみたいで、一気に力が抜けていく。それはリンも同じだったようで、行動を共にしていた中で一番疲れているように見える。
 夏は日が照る時間が長いが、もう空はすっかり夜に染まっている。夏の大三角が夜空に輝いていた。
「お風呂にも入れないし、歯も磨けないね」
「明日、薬局によって、汗拭きシート買えばいいよ。ついでに歯ブラシも買おう」
「ふふ。それでいっか」
「うん。バイトで稼いだ金もあるし、必要なものは買い足していけばいいよ」
「そっか、レンはバイトしてたよね。私はしてなかったから、貯めていたお小遣いとお年玉持ってきたよ。あと……」
 リンはリュックを少し漁ってから、一枚の封筒を出した。封筒の中身は──一万円札が、二枚。
「生活費の一部。盗んできちゃった」
 声は明るいが、表情には暗さが残る。たとえ自分の家のお金であっても、それがやってはいけないことだなんて、リン自身が一番理解してる。
「……最期ぐらい、なんか、悪いことしてみたかった。これでもっと遠い所に行けるかなって」
「……遠くに行くのもいいけど、なんかウマいものが食いたい」
 リンは少しきょとんとした顔をして──笑った。
「確かに! このままずっとコンビニ弁当なんて嫌だね」
「リン、なんか食いたいものある?」
「なんだろう……お寿司とか、焼き肉とか? 少なくともファミレスは嫌かな」
「僕もここまで来てそれは嫌だな……」
 二人、顔を見合わせて笑いあう。友達とつらいことを共有しあうんじゃなくて、楽しい話ができる。あの世界を抜け出した先は、こんなにも平和で、穏やかだった。
「じゃあ、田舎にも都会にも行かなきゃだね」
「だな。予定、増えちゃった」
「いいよ。最期ぐらい、思いっきり楽しもうよ」
 それから、取りとめのない会話を交わし、硬いベンチの上に座ったまま寝た。
 こうして、僕らの旅の一日目が終わった。


「私さ、ほら、ブサイクだから」
 リンはよく、そう口にする。容姿にコンプレックスを抱いているらしく、すれ違う人に顔をあまり見られないように伏せたり、店員と目を合わせないようにしているらしい。
「かわいい人とか美人な人って、“そこにいるだけ”が許されるでしょ。そうじゃなくたって、面白い人とか、テキパキ何事にも対応できる人とか、スタイル抜群な人とか、そういった人たちも」
 まあ、スタイルに関しては私が努力すればマシにはなれるんだろうけど──リンは自嘲気味に笑って続ける。
「私なんかがミスをするのと、さっき言ったような人たちがミスをするのって、周りの人たちの感じ方や態度が変わってくる。言ってしまえば、私が生きているのと、そういった人たちが生きるのとで、待遇が変わるの」
 そして、リンは、最後にこう締めくくった。
「私は努力ができないから、優遇される側の人間にはなれない。疎まれる側で、だからいじめられるんだと思う。……こんな目に合ってまで生きる意味って、どこにあるんだろう」


──このやり取りを交わしたのはいつのことだっただろう。リンとは高校一年からの仲だが、最近交わしたような気もするし、かなり前のやり取りだった気もする。
 リンと仲良くなったきっかけは、ハッキリとは覚えていない。席替えで隣になってから話すようになったのは覚えているが、互いに踏み込んだ話をし始めたのはいつからだったか、忘れてしまった。
 お互いにいじめられた過去を持っていて、境遇が似ているからこそ、共感し合えるし、相談し合える。
 他人から愛を全く受けなかったわけじゃない。でも、だからこそ、欲している。愛というものを一度でも感じたことがあって、その安心感と心地よさを知ってしまったから、愛で満たされていない今に息苦しさを感じている。そんな嫌な共通点で、僕らは簡単に信じあってきた。他の人たちに比べて、生きるのが不器用で、心は穴だらけで傷だらけ。そんなのが僕らの友情の証だった。
 この世界は、僕たちが生きていくには、あまりに難しすぎた。
──だから、その世界から飛び立つことは、何も不自然なことなんかじゃない。


「リン、大丈夫?」
 時刻は午後一時頃。ハンバーガーショップは賑わっていて、まさに都会の喧噪、といった感じだ。カウンターの端の席がちょうど開いたので、ドリンクだけ注文し、そこに座った。
「うん、もう平気。ごめんね、人混みとか久しぶりだったから、ちょっと疲れちゃった」
 一夜を過ごした街から出て急行が止まる最初の駅で降りたはいいものの、こっちに着いてからリンがずっと俯き気味だったので休憩をかねて店に入った。
「確かに、人混みって疲れるよね」
 騒音もさることながら、移動するのが特に疲れる。渋谷や新宿などといった大都会と比べたらここなんて対したことではないのだろうが、慣れない身にとって、人にぶつからないよう波を縫って進むのは、それだけでも体力を要するものだ。
「……都会はあんまり好きじゃないけど、みんな、きらきらしてる。楽しそう」
 ぽつりと出てきたその言葉に含まれているのは、羨望なのか諦めなのか。
「私ね、スマホに入ってた自分が写ってる写真、全部消したんだ。あと、チャットアプリのユーザー情報も消しちゃった」
「奇遇だね。僕も、自分が書いた日記帳、ビリビリに破って捨ててきた」
 お互い数秒間自分の顔を見合って、小さく笑い出した。
「似た者同士、だね」
「だな」
 ドリンクを飲み干して、店を後にした。

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あの夏が飽和する。【中編】

この作品はピアプロ・キャラクター・ライセンスに基づいてクリプトン・フューチャー・メディア株式会社のキャラクター「鏡音リン・レン」「初音ミク」を描いたものです。
PCLについて→https://piapro.jp/license/pcl/summary

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投稿日:2019/02/04 00:10:51

文字数:5,592文字

カテゴリ:小説

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