各々の悩み
「ふあ……」
黄の国王宮。日の光がさんさんと降り注ぐ中庭で、リリィは口を押さえて大きく欠伸をする。庭園を抜けるそよ風が、腰近くまで伸びた金髪を揺らした。
暑すぎず寒すぎず、吹く風も気持ち良い。外出をしたり外で遊んだりするには絶好の季節。庭師が丁寧に手入れをし、花壇に綺麗な花をいくつも咲かせている庭園は癒しの場として最高な訳で。
「ねむ……」
もう一度欠伸をして目をこする。この時期の昼下がり、庭園の掃除は危険だ。いつも眠気を誘われて頭がぼんやりする。このまま木陰に入って目を閉じたらすぐに寝られる。実に心地よく居眠りが出来るに違いない。
仕事が一段落したら昼寝しようか。そろそろ掃除も終わりだ。
箒を片手に辺りを見渡す。自分の他にも何名もの使用人が清掃作業を行っている。早く終わらせられればその分休憩時間も長くなる事を皆知っているので、てきぱきと手を動かす様が見えた。
さっさと終わらせてしまおうと、リリィも手早く箒を動かして掃除を再開した。残していた場所を丁寧に掃いて、十分も経たずに終了する。
「っし! 終わった!」
後はおやつの時間までのんびり出来る。間もなくして周囲から掃除が終わった事を知らせる声が上がった。お疲れ様、終わりだと労いの声をかけ合うのが耳に届く中、リリィは挨拶もそこそこに休憩場所へ向かう。広い庭園にははのんびり休める場所が数カ所ある。その内の一つへ歩いていた。
「あっ、リリィ!」
慌てた少女の声に足を止める。王宮側の方からこちらに歩いて来るのは、蒲公英色の金髪に、頭上の黒いリボンが特徴のメイドだ。入って二カ月程の新人だが、料理、特にお菓子作りが得意な後輩。
「どうしたの? リンベル」
年下なのに自分よりもしっかりした印象を受けるのは、多分育ちが良いからだろう。名字の無い平民ではあるが、不快感しか覚えない上の貴族連中より遥かに立派だ。
尤も、王子に拾われるまで貧民街で過ごしていた人間と比べるのは筋違いだとは思うが。
「ちょっと話したい事が」
目の前に来たリンベルは顔をやや上にしている。自分が平均より背が高いせいなのと相手が小柄なのも相まって、どうしても見下ろす形になってしまう。身長差は仕方が無いのは分かっていても、無意味な威圧感を与えてしまうのが時々嫌になる。初対面の時にリンベルが緊張していたのは、おそらく初めて王宮に入ったからだけじゃない。
リンベルは前置きをしてから何か言いたそうに視線を上下に動かし、恥ずかしそうに両手を揉んでいる。一緒に仕事をしていて常々感じていたが、リンベルの仕草や雰囲気は何となく小動物を連想させる。可愛くて見ていると和むやつ。
内心はとにかく、リリィの表情は至って真面目である。リンベルは真剣な顔で口を開いた。
「相談したい事があって……」
仕事で何かあったのか。下品な親父共から嫌がらせでもされたのか。悪い事態を想像してばれない報復方法を巡らせていると、意を決した叫びが鼓膜を震わせた。
「どうしたらそんなにスタイル良くなるの!?」
リンベルの目は真剣で、無下に断るのも相手にしないのも気が引けるけれど。
ついさっきまで庭園の掃除をしていたから周りにはまだ人がいて。大声を上げれば当然その人達から注目を浴びてしまう訳で。
単語は変えてはあるけど、つまりは胸の大きさに関する悩みを打ち明けられて、視線は自分達の方へ向かってしまう訳で。
呆れと驚きで眠気が吹き飛び、リリィは押し殺した声で返した。
「……リンベル」
後輩のメイドは怪訝な顔をしてきょとんとしている。そうしたいのはこっちだと頭を抱えたくなるのを堪え、リリィはリンベルの脇へ足を踏み出す。
「ちょっとこっち来なさい」
すり抜けると同時に後輩の襟首を掴む。そこでようやく失言に気が付いたらしく、リンベルは強制的に後退させられて慌て出す。
「あっ、ごめん空気読んでなかった……。ちょっ……ぼ、暴力反対ー! 人さらいー!」
「誤解を招くような事言うなー!」
横暴だ後輩いじめだとふざけ半分の悲鳴を無視し、リリィは容赦無しでリンベルを引きずって行く。言い合う声を響かせて、金髪の二人は庭園の中心部から遠ざかる。
様子を目撃していた召使の一人はこう表現したと言う。
まるで親猫が子猫を運んでいるようだった。と。
中庭に配された花壇に移動した所でリンベルを解放し、リリィは人差し指を突き付けて注意する。
「ったくもー。世の中には変態がいるんだから、ああ言う事は大きな声で言わない!」
言い訳しようのない正論で叱られて、リンベルは項垂れて謝罪を口にした。
「はいごめんなさい。全くもってその通りです」
動きに合わせて黒いリボンが垂れる。しおらしい姿は子猫かウサギか。
リリィは花壇を囲む低い石の塀に腰掛け、しゅんとしたまま隣に座った後輩へ目をやった。髪と目の色が同系色だからか、良く買い物をする店の人に姉妹なのかと聞かれた事がある。
確かリンベルは三、四歳年下だったか。この前はレン王子から「身長分けてくれ」と物理的に無理な相談をされるし。顔も似ているが相談内容まで似ている。十代半ばの悩みは大体そんなものか。
「と言うか! 実際何をしたら胸って大きくなるの?」
落ち込み状態から回復したリンベルから大真面目に質問される。特別何もしていない、別に普通だと言っても嫌味にしか聞こえないだろう。
「あたしの場合は体がでかいからだよ、多分……。リンベルって成長期でしょ? その時まで気長に待つしかないよ」
大きくしようとしてなった訳じゃないと説明する。実際そうなのだから仕方が無い。背が大きいのだってそうだ。個人差があるとはいえ、どうして身長が伸びたのかさっぱり分からない。出来るのなら小柄で悩んでいる人に分けてあげたい。
「むう……天は二物を与えるよ。リリィは背も高くてかっこいいし」
拗ねられて羨望の眼差しを送られる。人は自分に無いものを求めると言う。まさしくその通りだ。
「背が高くても良い事ないよー? 可愛い服は大きさ合わないし、街を歩くと子どもから変な目で見られるし」
正直小さくて可愛いリンベルが羨ましい。メイド服ではなくドレスを着ていれば、気品溢れるお嬢様やお姫様のようになるだろう。レン王子と並んでも全く遜色が無い。
「そう言えば、アルさんって凄く背高いよね」
身長の話で思い出したのか、リンベルは近衛兵副隊長の名前を上げた。
「何か結構大変らしいよ? たまに出入り口とかで頭ぶつけてるし。あと、ベッドで寝る時に足がはみ出るとか言ってた」
初めて会った時は熊だと思ったなと懐かしみつつ、リリィは何度か目にした光景とアルから聞かされた愚痴を話す。
「あれだけ体が大きいと、服を探すのも大変そう」
あの軍服と鎧特注かな? とリンベルが最後に付け加えた言葉に切ない記憶が蘇る。まあ、今となっては完全に笑い話だ。
相手の目から軽く目を逸らし、リリィはしまりのない口調で語る。
「リンベルが来る前の話なんだけどさ。ふざけて軍服着てみた事あんのよ。そしたら大きさが丁度良かった上にメイド服より似合ってたんだよね……」
使用人仲間の一人が手違いであぶれた軍服をどこからか入手し、それを面白半分で持って来たのだ。どうせなら性別関係無しに当たった人が着ると言う事になり、運が良いのか悪いのか、リリィが見事に当たりくじを引いた。
こんな事も一回くらいあるだろうと軽い気持ちで着替えてみたら、並みの男よりかっこいいと褒められたり驚かれたり落ち込ませてしまったりとちょっとした騒ぎになった。喜べばいいのか落ち込めば良いのか困惑し、姿見で自分の格好を確認した時は違和感の無さに気まずさと泣きたくなる気持ちが同時に湧いた。
しかもそんな時に限ってレン王子が使用人室に顔を出して来た。リリィを見た瞬間の状態でしばらく固まっていたのは、おそらく色んな意味で呆気にとられていたからだろう。
王子の登場に召使とメイドは一斉に凍りつき、言い訳も釈明も出来なかった。
「……ああ、うん」
そんな緊張感漂う部屋に響いたのは、状況を理解した黄の国王子の声。
「気分転換って必要だもんな、うん……。邪魔をした」
気まずさ故に平静を装っているのが誰の目から見ても明らかで、気を使っているのがありありと伝わっていた。
リンベルとリリィが中庭で雑談に盛り上がっていた頃。レンは訓練場で稽古を終えた所だった。周りは武器の片付けや休憩をしている近衛兵で賑やかである。
レンは模擬剣を持ったまま、稽古相手と近衛兵の指導を行っていた副隊長を見上げる。
「なあ、アル」
訓練用の長柄戦斧を片付けようとしていたアルは足を止め、声をかけて来た王子へ振り返る。レンの身長よりも大きな武器を担ぐようにして持っていた。
「どうしました? レン王子」
「アルは何を食べてそんなに大きくなったんだ? やっぱりミルク?」
小柄なレンにはアルの長身が羨望に映る。どうしたら背が伸びるのかを教えて欲しかった。
「確かにミルクは飲んでますけど……。俺、十五か十六辺りでいきなり伸び始めたんですよ」
子どもの頃から背が大きい訳じゃなかったとアルが話すと、両手に模擬剣を持ったトニオが会話に入り込んだ。
「殿下は十四歳でしょう? 男子は二十歳を過ぎても身長が伸びると言いますし。焦る事はありませんよ」
傍に巨漢のアルがいるから低く見えるだけで、トニオも中々背が高い。近衛兵隊長と副隊長を見上げて自分の小柄さを痛感し、レンは悔しそうに呟いた。
「成長期なのに何で伸びないんだよ……」
姉が似たような事を悩んでいるとは知る由も無い。
おまけ リンが王宮に来る前のある日、おやつの時間
「リリィ」
「何でしょうか、レン様」
「身長分けて」
「……。無理です」
「……。俺に身長を分けて下さい。お願いします。リリィさん」
「言い方の問題じゃありません」
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