12 現在:2日目
「……」
朝食から帰ってきて、あたしは部屋のバルコニーの安楽椅子で外を眺めていた。
昨夜の夜景とほとんど同じアングルで、山間から市街地と別府湾を見下ろす。宝石のきらめきだったそれは、蒼穹と建物群に様変わりしていて、別世界から現実へと移り変わっていた。
これはこれですごくいい眺めだったし、実際にそっちを見ていたのだけれど、その光景はまったく頭に入ってこなくて、あたしはずっと昔のことを考え続けていた。
あの、八年前のことを。
自分がセクシュアル・マイノリティーであると自覚したタイミング。それは――あたし自身にとって、最悪だった。
そりゃそうだ。
あたしは、翌日には海斗さんのケータイを持って未来の家に再度おもむき、自分自身が誰を好きかってことをはっきりと自覚してしまったのだから。
未来への気持ちが、友情ではなく、恋や愛だとか呼ばれるものだってことを。
……あたしは、未来が好きなんだってことを。
でもあの日、あたしの目の前で未来は海斗さんと愛を約束してて……そこに割り込めるはずもなく、自分の気持ちになにかの回答を出す前にその恋は終止符を打っていた。
あたしは、ちゃんとした失恋もできなかった。
だから、あれから……この気持ちが中途半端に残ったまま、自分の中で消化することもままならないまま、ずるずると今に至ってしまっている。
好意を寄せてくる、けれどあたしが惹かれることのない男性に断りを入れることもできないまま、未来のことをあきらめて他の人を見ることもできないまま、ほとんど無為に八年もの月日が流れてしまった。
……じゃなきゃ、今さらこの旅館に泊まりに来たりもしなかったと思う。
後輩の彼に無理を言って二日も休ませてもらってまでここに来たのは、八年前にすべきだった“失恋”をするためだったのだ。
仕事で疲れきった心身をリフレッシュするため、なんていう建前まで用意して、あたしは失恋しに来たのだ。
未来と、友達としてやり直すために。
あたし自身が、前に進むために。
『……それなのに、臆病でなにもできないなんてね』
……。
『引き返そう。この先に居場所はない。……前にもそう言ったじゃない』
その言葉に、なにも反論ができなかった。
……そうだ。あたしは怖がっている。
あたしの気持ちを告げてしまったら、未来がどんな反応をするのか想像するだけで恐ろしい。
たぶん、引かれてしまうだろう。
いや……それだけで済むならまだいい。きっと……友達としてやり直すことなんてできなくなる。
『別にこのままでいいでしょ。このまま何事もなく帰って、未来とは今まで通りに接する。そうすれば未来との関係も今のままで、あたしは未来に恋したままでいられる。それのなにがいけないって言うの?』
そんなことを言うあたしに、もはや憎しみすら覚えてしまう。
けれど、それはまごうことなきあたしの本心でもあった。
このままでいれば、未来とはこれまで通りでいられる。自分の気持ちをさらけ出す必要もない。わかりきった傷つくだけの結末も先伸ばしにして……そうすれば、不必要に苦しまずに済む。
「あれ、メグー。まだここに……いる?」
部屋の入口から、未来がひょっこりと顔を出した。
あたしは腕時計を見て……ようやく十時を過ぎていることを知る。
「あぁ……ごめん。チェックアウトしなきゃね」
「いや、まあ……明日はこの部屋空いてるし、メグなら少しくらいどうってこと無いんだけど」
未来は部屋の中を見て――まったく片付けていない、広げっぱなしのトランクを見て――曖昧な笑みを浮かべる。
「でも、メグは帰りの飛行機の時間とかあるでしょ?」
「うん。確か……夜七時発」
「そんなに遅い時間にしたの?」
「んー。普段来ないから観光しようか、とか考えてて。でも、ここの温泉でボーッとするだけでもよさそう」
「あはは。メグはそーゆーマイペースな感じが似合うわね。実際、一人旅のお客様は、そうやって帰る方も多いし」
「あ、やっぱり?」
「うん。リピート率が一番高いのはお一人様かな。結構短いスパンで来てくれる。また一人で来る人もいるし、彼氏、彼女を連れてくる人もいるし、みたいな。家族連れは短くてもだいたい何年か置きになるから、まだ私のこと覚えてくれてないかなぁ」
「あー。客商売はそういうのあるわよね。うちでも店長と話すために店舗に来てる、みたいな人多いらしくて」
「メグって……飲食店の事務って言ってたっけ?」
「そうそう。営業してる店舗が全部業態違うから、仕事量が多すぎて地獄」
「うわあ。それで休みがないって言ってたんだもんねー……。……もしかして、それで、なの?」
「……え? なにが?」
未来のトーンが急に変わり、その柔らかな声音にあたしはうろたえてしまった。
「久しぶりに会ったメグ……すごい思い詰めてた感じがしてさ。……だからせめて、ここにいる間はなにもかも忘れてゆっくりさせてあげられたらいいなーって」
「……」
「……ええと、その。私の勘違いだったかも知れないんだけど」
黙ったまま未来を直視するしかできなかったあたしに、未来はちょっと照れたみたいに笑った。
『……言うなら、今しかないわよ』
なにを言うのかなんて、わざわざ問う必要なんかなかった。
未来の慈愛に満ちた表情を見ていたら、自然となにかがほほを伝ってあご先から落ちていくのを感じる。
「え……えええええっ! メグ、どうしたの! なんで泣いてるの?」
「ごめ、ごめん……」
未来があわててあたしの顔をのぞき込んでくる。その視線をなんとか避けようとしたけれど、できなかった。
「メグ……」
未来の手のひらが、あたしのほほを包む。その暖かさに、だからこそ拒絶をしなければ、と改めて思い知らされる。
「未来」
「……?」
「あたし……未来に、言わなきゃ……いけないことがあるの」
あたしをまっすぐに見つめる未来が、少しだけ小首をかしげる。
「……」
その純粋な視線を前に、言葉が出てこなくなってしまう。
言わなきゃ……いけないのに。
『本当にそうかしら?』
そうよ。
言わなきゃ、あたしはいつまでたっても前に進めない。
なのに。
だけど……。
『……はぁ。わかったわ』
……?
『そこまで言うなら、あたしが代わりに言ってあげる』
なにを……なにを、言ってるの?
『最初で最後よ。きっとこれで……お別れなんだね』
え?
なに?
どういうこと?
“彼女”の、あたしの言っていることに理解が追いつかない。
代わりに言ってあげる?
これでお別れ?
突然そんなことを言われても、意味がわからない。
そんなあたしの混乱をよそに、あたしの唇が勝手に動いて、言葉を紡いでいく。
「『未来。ずっと……たぶん、あたしあなたが好きだった』」
私とジュリエット 12 ※二次創作
第十二話
一週間もかかると思ってませんでした。すみません。
鉤括弧を重ねるのは手法として悪手だと思っているのですが、今回はやりたいことがうまく伝わりそうだったので、やってみました。でもやっぱり見た目が悪いですね(苦笑)
今回、物語を構成する上で参考にしたのは、スティーブン・キングの「ダークタワーⅠ ガンスリンガー」です。
この小説は回想シーンの中のキャラクターがさらに回想する、という二重構造になっているのですが、未来と愛の今を書きつつ、過去のシーンを愛視点で再構成する、と、やりたいことに合ってるな、と思ったので。
ただ、書きたいシーンがいろいろあり過ぎたので、現在→過去→さらに過去→現在、というサイクルにしましたが。
分かりやすくするために、冒頭に何年前の何日、と書くようにしました。前作では日付を決めていなかったので、読み返して日数をちゃんと数えたりしました(笑)
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