第十章 06
「カイト!」
焔姫が男へと駆け寄ろうとするが、元近衛隊長が剣の切っ先で制する。
「アンワル……なぜじゃ」
「姫。貴女には……分からないでしょうね」
理解出来ずに困惑する焔姫に、元近衛隊長は悲しそうに告げた。
「密告者がおるやもしれぬとは思っておったが……味方を売り渡したのも、汝か?」
「ええ……そうです」
元近衛隊長は、自らが密告者だという事をあっさりと認めた。
「このおろか者から……脅されたか?」
元近衛隊長は首を振る。
脅されて仕方なくやったのではなく、自らの意思で焔姫たちを元宰相と元貴族に売り渡したのだと、言外にそう告白する元近衛隊長に、焔姫は目をむく。
「ならば、なぜじゃ。なぜ汝が余を裏切る? なぜ汝ほどの者が、サリフやハリドのような先も見えぬおろか者に味方するのじゃ? ……それに、この反抗勢力の主導は汝ではないか。密告などしておるのなら、そもそも一体何のために余や彼らを集めたのじゃ?」
「貴女には、分かりませんよ。……そう。貴女には、決して分かってなどもらえない」
「……」
答えようとしない元近衛隊長を前に言うべき言葉が見つからず、焔姫は口をつぐむ。が、その瞳は自分たちを裏切っていたのだという事実に、怒りに燃えていた。
将軍や軍の兵士たちも、真意は分からずとも、元近衛隊長の強さは知っている。皆、うかつには動けなかった。
「……かはっ……」
弱々しく、男が血を吐く。
まだ薄暗い事もあり、男からやや離れている焔姫たちには、彼の傷が深いのか浅いのか判断がつかない。だが、このままにすれば、男の命は遠からず失われる。
「姫。貴女は……知らないでしょうね。私が……いや、私たち近衛だった者が、どれほど姫に憧れていたか。どれほど敬慕の念にあふれていたか。そこに、畏敬や尊敬以上のものがあった事など……」
「……」
元近衛隊長の独白に答えず、焔姫は取り戻した自らの剣を強く握りしめる。
男から流れ落ちる朱色が、想像以上の速さで床に広がりつつあったからだ。
「なのに……。姫のお側がこれほど苦痛になるとは……思っても、いませんでした」
「……アンワル。これ以上、汝の話を聞いているヒマは無い」
「彼が……カイト殿が死んでしまうからですか?」
「……」
焔姫は沈黙を保ち、首肯すらしない。だが、それは肯定している事と同じだった。
元近衛隊長は、悲しそうな表情で男を見下ろす。
「……カイト殿が、多少なりとも剣の才を持っているなら、私もこのような思いをせずに済んだのかもしれませんね……」
その場にいた皆――元貴族を除いて、にはなるが――が、元近衛隊長のその言葉だけで、焔姫が何を公言していたかを思い出していた。
そして、焔姫と“仲睦まじい”とまで言われていた男が、焔姫が公言していた“資格”と、いかにかけ離れているのかという事を。
「……この国を取り戻すのは、私にはごく当然の事でした。近衛隊長であった私が、なすべき事はこれだと。それが姫のためであり、姫のそばに仕える者の役目だとも信じておりました」
「アン……ワル……。ど、の……」
「……ですが、貴女とカイト殿を見ていて……私は、それが本当に自分のやりたい事ではないと、そう思いしらされたのです」
「その結果が、これか?」
「……」
焔姫の詰問に、元近衛隊長は答えずに肩を落とす。しかし、それは認めているのと同じだった。
「アン……ワル……」
「……カイト。それ以上話すでない」
焔姫の言葉に、元近衛隊長は逆上しかける。その瞳に、すでに理性の色はなかった。
「貴女は……それでも彼を――!」
「アンワル。よかろう。弁解はせぬ。認めよう。汝の行いは……確かに余のせいなのじゃろう。じゃが……カイトは、決して死なせはせぬ。たとえ汝の命を犠牲にしても、じゃ」
劫火にも似た光を瞳にたたえ、焔姫は剣を元近衛隊長へと向ける。
「普段からともかく……今なら、私は姫に負けません!」
「……ぬかせ!」
焔姫と元近衛隊長が剣を打ち合わせる。焔姫の背後では元貴族が声を上げて笑い、元近衛隊長の足元では男がひゅうひゅうと呼吸をしていた。
三筋の銀光が舞い、交差し、火花を散らす。
焔姫は、ずっと持っていた剣と、元貴族から取り戻した剣の二刀を振るっていた。無論、右腕は胸よりも高くは上がらないが、それでもこれまでつちかってきた技術が、その右腕には宿っている。
左を袈裟がけに振り下ろし、同時に右を腰元へと叩きつける。
元近衛隊長がたまらず背後に下がって回避した所で、焔姫は二刀を揃えて横薙ぎする。
避けられないと判断した元近衛隊長が、剣で二刀を受ける。
金属同士が噛み合い、かん高い悲鳴を上げた。
「ナジーム!」
元近衛隊長から視線を外さぬまま、焔姫は将軍の名を叫ぶ。
「汝はアンワルの味方か?」
「それは……」
焔姫はそれ以上質問を続ける事もなく、元近衛隊長と戦う。身体の無理を押している彼女には、戦っている最中に話している余裕などないのだ。
元近衛隊長に二刀を弾かれ、焔姫がたたらを踏む。その隙をついて繰り出される刺突を、なんとか左の剣で受け流す。
空いた右で足元を払うと、元近衛隊長はさらに背後へと跳躍して避けた。
「そうか……!」
二人の激闘に割り込めるはずもなく遠巻きに眺めていたが、将軍はやっと焔姫の質問の意味を理解して、男へと駆け寄る。
焔姫の度重なる攻撃を避けざるを得なかった元近衛隊長は、倒れた男からはもうずいぶん離れてしまっていたのだ。
将軍は男を壁際まで運ぶと、応急処置ではあるものの、傷の手当てを始める。
「ナジーム! 貴様、それでいいのか!」
焔姫の左の剣をたくみにからめとって弾き飛ばすと、元近衛隊長は将軍に怒号を上げた。
焔姫の手元を離れた細身の長剣は、くるくると回転しながら弧を描き、床に突き刺さる。
「私は、姫の味方だ。そして、カイト殿の味方でもある」
焔姫は左手に残された一振りを手に、片膝をつく。荒い息とともに、口端から一筋の血が流れた。
「それが……お前の本心か」
元近衛隊長のそれは、冗談を言うな、と言い出しそうな口調だった。
「アンワル。私は……カイト殿の曲を聴いて、彼になら任せられると、そう思ったよ」
冷静に、たんたんと告げる将軍の言葉に、元近衛隊長が動きを止める。
「何を……」
「あの曲を聴いて……カイト殿には、私やお前にはない何かがあると知った。私では敵わないと痛感した。……アンワル。お前は違うのか?」
元近衛隊長は、将軍の言葉に打ちひしがれたように後ずさる。
「アンワル。もう……止めろ。終いにするのじゃ」
剣を支えに再度立ち上がり、焔姫は悲痛に満ちた声で告げる。焔姫の瞳に宿っていた怒りは、いつの間にか消えていた。戦いの間に何かを感じ取っていたのか、そこにあるのはただただ悲しみだけのようだった。
元近衛隊長は、そんな焔姫の雰囲気にのまれないよう必死に抗いながら、震える手で剣を向ける。
「……出来ません。無理なのです。私には、もう――」
言い終わらないまま、元近衛隊長は剣を掲げて焔姫に突進する。
焔姫はあきらめたように目を伏せ、幅広の剣を両手で構えた。
二人の姿が、交差する。
激しい金属音とともに、一本の剣が吹き飛ぶ。
くるくると回転し、天井に突き刺さったのは――焔姫の剣だった。
「これで――!」
「――勝てたと思っておるのなら、まだまだじゃな」
元近衛隊長の言葉を引き継ぎ、焔姫は冷静に言う。
しかし、もう武器は持っていない――。
誰もがそう思っている間に、焔姫は腰に下げていた短剣を抜き放つ。
元近衛隊長もまた、迎撃するためにすぐさま剣を引き戻す。
同時に、焔姫は短剣を手に、元近衛隊長の胸元へと飛び込んだ。
「……姫」
「……もう、よいのじゃ」
焔姫は、なぐさめるようにそう言う。
――結局、元近衛隊長は引き戻した剣を振るいはしなかった。
おぼつかない足取りで、元近衛隊長は焔姫から離れる。彼の胸元には短剣が根元まで刺さり、血で赤く染まっていた。
「――汝の剣には、殺意が無かった。……初めから、勝つつもりなどなかったのじゃろう?」
「愛する人を、殺す事など……一体誰が、出来ましょう……?」
元近衛隊長の口から、血がこぼれる。
「だから、せめて……。最期、は……姫、の……つる……ぎ……、で……」
言い終わらぬまま、元近衛隊長はその場に崩れ落ちる。
「……アンワル」
元近衛隊長を見下ろしてその名を呼ぶと、焔姫は顔を振って頭を切り替える。
焔姫は壁際の男のもとへと向かう。将軍が手当をしており、男の容態は悪くはなさそうに見えた。
「カイト……」
「姫……。私よりも、彼を」
しゃがんで男を抱き起こそうとする焔姫を制し、男は正門の扉の方へと視線を向ける。
「しかし」
「彼を、逃がしては……なりません。禍根を、残せば――」
「――しゃべるでない。傷にさわる」
焔姫はそうさえぎり、男の視線を追う。そこには、死んだ元近衛隊長を見て硬直したままの元貴族がいた。
「……そうじゃな。なれの言うとおりじゃ。禍根を残すわけにはいかぬ」
焔姫の言葉にびくりと肩を震わせ、元貴族はあわてて立ち上がろうともがく。
「ええい、使えない奴め……。何もかもうまく行かぬ!」
「……あきらめよ。貴様ももう終わりじゃ」
悠々と近づいてくる焔姫の言葉も耳に入らない様子で、元貴族は何とか立ち上がると、王宮の正門の扉を開く。
「まだ、逃げれば……な、何だ?」
正門のすぐ外には、人の壁があった。
「誰か出てきたぞ!」
「ハリド・アル=アサドだ!」
「見ろ、姫様もいるぞ!」
「本当だ! 焔姫がいる!」
人々が口々に叫び、歓声を上げる。
王宮の外、広場には民衆が集まっていた。彼らは、手に手に包丁やこん棒、鍋といったありあわせのもので武装している。王宮での騒ぎを聞きつけたのか、それとも焔姫の王宮襲撃を知る者が皆を煽動したのか……。それは分からないが、とにかく、そこには大勢の焔姫の味方がいた。
「なぜだ……」
民衆を前に、元貴族がぼう然と立ち尽くす。
空はすでに白み始めていた。
「長かったのう……。汝にここまで振り回されるとは、思ってもおらなんだ」
「やめろ……やめろやめろ! 我はまだ死にたくない。近づくな……いやだ……死ぬのは……」
床に突き刺さったままの細身の長剣を引き抜きながら感慨深そうに告げる焔姫に、元貴族は片方しかない手で顔をおおい、みっともなく泣きわめく。
その様子に、焔姫は嘆息した。
「汝の言葉……聞くに耐えん。安心しろ。苦しめたいのは山々じゃが、無駄に生かしはせぬ。痛いのは一瞬だけじゃよ」
「やめろ! いやだ……いやだ、死にたく――」
銀光一閃。
声は途中で、文字通り断ち切られた。
民衆の歓声が、その激しさを増す。
怪我と失血で気を失いかけていた男にかろうじて見えたのは、焔姫の姿だけだった。
王宮の正門の扉に切り取られたそれは、まるで絵画のように美しいと男に思わせる光景だった。
宵闇から淡い色へと変わりゆく空と大勢の民衆を背景に、焔姫の凛々しいシルエットが映し出されている。彼女は背すじをすっと伸ばしてあごを引き、振り下ろした剣の血を払っていた。脇には、焔姫の剣に粛清された元貴族の姿がある。
その光景に、男は今の今まで張り詰めていた緊張の糸がゆるむのを感じる。
将軍が男の名を呼ぶが、もはや耳には届かない。
焔姫の望みを、ひいては亡き国王との約束も果たせたのだ。
終わりを見届けた男は、安堵とともにとうとう意識を失ってしまった。
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