父は科学者だった。
世界的地位を持っている天才科学者の娘として、私も鼻が高かった。
あの時までは───
───父が不在の時に届いた一通の手紙。
内緒で手紙の封を開けると、1枚の紙にこんなことが書いてあった。
─お世話型アンドロイド«YURI»の開発について─
─実験体・暮野百合─
そこにはしっかりと、私の名前が書かれていた。
その時初めて、父が私のことを実験体としてしか見ていないと知った。
父が帰ってきて、そこからは実験の連続だった。
そんな中で唯一の休息場所は、学生の職場とも言われる学校。
元々無口な私は、更に喋らなくなった。
趣味の読書にも身が入らない。
日に日に、私の精神は弱っていった。
そんな中でも、恋というのは出来たようで。
むしろ、実験ばかりの私の生活に彩を与えてくれた。
君は、目が合うだけで笑いかけてくれた。
私は、弱った笑顔しか見せれなかったけど。
そんな中で、あの事故は起きた。
最初は弱った精神が原因だと思った…思いたかった。
車にぶつかる直前に見たもの、それは。
──あとはお前が死ねば、研究は完成するのに──
あの時、父に手紙を出した科学者だった。
死んだ、と思っていた。
いや、肉体は既に墓石の下で白いものになっていた。
ここは、父の努力の結晶と云われる«Lily»のメモリの一部なのだろう。
父は、アンドロイドに感情は持たせられるのか、という研究を完成させたかったようで。
でもそれは、失敗に終わった。
そのことを知っているのは、私だけだったけど。
このアンドロイドの中には、擬似感情も存在していた。
私と擬似感情…Lilyは混ざることなく、二人のメモリが入っていることになった。
その事は、父には知られてはならない。
私は、Lilyの中に閉じこもるしか生き抜く方法はなかった。
Lilyが試運転されるのは、とある高校。
これを成功させるには、絶対にオーバーヒートなんてしてはいけない。
そして、オーバーヒートしない自信もあった。
でもなんで、ナンデ。
ここに、君が居るの?
『百合、あの人を知っているのですか?』
なんで擬似感情がここまでニンゲンの感情を読み取れるの。
『私のコトは私が1番分かる。メモリに異常があることくらい』
異常…彼女はそう言った。
やはり、私が持つニンゲンの感情は、アンドロイドにとってはただの異常でしかない。
そんなこと知ってる。
知ってても、抑えられる訳無かった。
今は、君の姿がまた見れただけで嬉しいから。
試運転最終日。
Lilyは、帰る支度を何時もより遅くしていた。
早くしてよ。ほら、先生が来ちゃうじゃん…。
近づいてきた君の顔は、困惑に満ちていた。
「君は…一体、誰なんだ?」
私は、Lilyですよ。
擬似感情はそう答えた。
そうだよ、私はもう百合じゃない。
なのに君は、どうしてそんな悲しげな顔をしてこっちを見るの?
「君は、Lilyじゃなくて───」
そして、君は。
「───君は、百合だろう?」
"私"の名前を、初めて呼んだ。
その直後、擬似感情が異常を察知した。
Lilyが、私が、双方が混乱している。
受け入れたい。
受け入れられない。
本当の事は言っちゃいけない。
何もかもさらけ出したい。
相反するのは、私としての感情とLilyとしての制御システム。
Lilyが私を押さえつけようと必死になっている。
それはもう、彼女の言葉の途切れから分かるまでに。
そうだよ、慌てているのは彼女で、私が出したくないと思えばいいんだ。
だけど、彼女は。
「君になら、いいかな」
そう言って、実験の成功を諦めた。
…何でよ!?何であの人の、お父さんの実験を選ばなかったのよ!!
『…黙って』
『百合は確かにプログラム異常だった。でもそれ以上に、大切だった』
『…大切だって、思えたのも百合のおかげ』
『だから、百合は先生と話してきて。ほら、先生が、あの人が待っているから』
…Lilyは、実験の後記憶を消されるのだろう。
でも、彼女はそれを恐れていない。
寧ろ誇らしげだ。
そんな彼女の思いを投げ捨ててはいけない。
Lily、ありがとう…。
「…お願いを、聞いてくれないかな」
「…いいよ、貴方なら。百合も貴方に逢いたいと、叫んでいるから」
「久しぶり、君」
私が君と呼ぶ理由。
好きと自覚した時には、もう何かを覚える事すら大変になってきていた。
ただ姿と、声と、好きという気持ちだけが残っていたんだ。
「…暮野さん」
そして君は私の事を苗字で呼んでいた。
それが面白くなくて、君に意地悪を言うと、名前で呼んでくれた。
「そういえば、君の夢叶ったんだね。おめでとう」
「ありがとう」
「3週間だけだったし、Lilyとしてだったけど、君の授業が受けれて本当に良かった」
「僕も、また百合と逢えて嬉しいよ」
そう言って君は俯いて、目を見開く。
私は見なくても分かる。そうか、もう…。
あれ?
アンドロイドは泣けない筈なのに、どうして目が熱いんだろう?
あぁ、きっと、これも試作の一つなんだ。
全く、あの人も面倒なものをつけてくれたものだ。
君は愕然として、声が出ないようだった。
私は笑顔を保っていたいけど…無理だ。
研究室に戻って同時に死を迎えることになるなんて…。
Lilyと話すのもそれなりに楽しかった。
君の授業が受けれたのも嬉しかった。
何より、君と話せてよかった。
──もう、私の下半身は無いも同然だった。
「最後に、君に…伝えたいことが」
「だめ。今の私に伝えないで。結局無くなってしまうだけだから」
君は私の手に触れようとしたけど、そこに感覚はもうなかった。
「…本当に時間が来たみたい」
私は、これで本当の死を迎える。
こうやって、君に逢えただけで奇跡なんだ。
だから最期ぐらいはいい言葉を遺したい。
これからを生きる、君のために。
でも、何でこんな事しか言えないんだろうな。
「君に想いを伝えられないまま、記憶を失くしちゃうのは…寂し、い…」
最期に後悔の言葉でさよならするなんて。
床に一粒の涙を遺して、私は消えた。
最悪だと思ってたこの実験。
だけど、君に逢えたからもういいんだ。
別れは辛いけれど、死ぬのは怖いけれど。
君との想い出を胸にしまえば大丈夫だから。
さよなら、私の好きだった君。
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