ベランダに座り晴れ空を見上げながら、マスターは煙を吐く。何か考えてる訳でもなく、ぼーっとした様子でただ空を眺めていた。
「マスター、ここにいたんですか」
声のした方に振り向けば、そこにはテトが立っていた。どうやら、マスターである彼を探していたらしい。
「…何か用?」
「また煙草吸ってますね」
マスターの質問にテトは答えず、彼の隣に腰を降ろした。マスターも問い詰める気はないようで、煙草を口にくわえ直す。それを吸えば先端の火種が赤く光り、灰の量を増やしていく。先程と同じように紫煙を空に撒き散らしていると、手に持っていた煙草をテトに奪い取られてしまった。
「最近、本数が増えてませんか?少し控えてください」
「取らないでよ、まだ吸い終わってないのに」
文句を言うマスターの言葉を無視して彼の側に置いてある携帯灰皿を手に取り、それに煙草を押し付けて火を消す。不満そうなマスターの顔を見て、テトはそれに呆れている様だった。
「煙草は『百害あって一理なし』っていいますよ?」
「そんなの、ただの詭弁だよ」
「体に悪い事は確かです」
「今さら止めた所で、体が良くならないのも確かだけどね」
テトの言葉に対して、いつになくマスターは反抗心を見せる。吸いかけの煙草を取られた事が、よほど不満だったらしい。テトが自分の健康を心配してくれてるのが、分からない訳ではないのだが。
「私はこれでも、マスターの事を心配してるんですよ?」
「それは有難いけどさ、それとこれは話が別だよ」
「素直じゃないですね。それに…」
「むぐっ!?」
不満の言葉しか返さないマスターに、テトはその口に何かを押し込んだ。突然の事に油断していたマスターは、それをくわえざる得なかった。
「煙より、甘い物の方が美味しいですよ?」
「……ポッキー?」
「はい」
くわえさせられた物を噛み砕けば、口の中に甘味と香ばしさが広がる。口慣れた味からそれを言い当てると、テトから肯定の言葉を返された。
「……何で?普通、飴とかじゃない?」
「それは今日が、バレンタインだからです」
そう言われたマスターは、今日が二月十四日である事を思い出す。彼の人生にとっては無縁なイベントだった為、すっかり頭から抜けていたようだ。
「………もしかして、わさわざこれを渡す為に?」
「ええ、そうです」
テトがマスターを探していた理由は、そういう事だったらしい。気持ちはとても嬉しく思ったマスターであったが、ふとした疑問が脳内に浮かび上がる。
「…くれるのは、これ一本だけ?」
「いえ、あと一袋ありますよ」
テトがまだ開けられてないポッキーの袋を取り出し、それをマスターに手渡した。受け取ったマスターは、手に収まったポッキーの袋を何ともいえない顔で目を向けるしかなかった。
「………一袋だけなんだ」
「何かご不満ですか?」
彼に不満があるのは当然、量の問題ではない。それでも今日この日に、どんな形であれチョコが貰えた事は嬉しくて。これに大した意味が無くても、好意を寄せている相手からならそれは尚更なわけで。
「……いや、ありがとう。テトさん」
「どういたしまして」
マスターは笑顔で感謝の言葉を述べ、テトもそれに微笑みを返す。後ろに隠し持つ綺麗にラッピングされたそれを、どのタイミングで渡そうかと考えながら。
(素直に手渡すには、少しばかり勇気が足りなくて)
コメント0
関連動画0
ご意見・ご感想