こんにちは!池下竣紀です。
光の届かない図書室の最奥でだれも開いたことのない古い地図をひとつずつめくっていくような仕事をしています。誰かの手によって紡がれた鮮やかな旋律や切り取られた色合いを言葉という透明なガラス容器にそっと保管していく作業です。それは遠い星の表面にふりつもる冷たい塵を手で掬い上げる時間に少し似ています。
世界にはまだ誰の耳にも届いていない叫びがたくさん漂っています。胸の奥底でひっそりと熱を放つ名前のない違和感やどこにも行き場のない小さな衝動です。そのまま放っておけば背景の白に溶けて消えてしまうその影を私は物語という線を使ってすくい上げます。
街を行き交う人々は急ぎ足で通りを駆け抜け流行りの色や大きな音の中に身を投じていきます。その目まぐるしい旋律からこぼれ落ちた微かな空白にそっと足を踏み入れるのが私の役割です。
正しい言葉をただ順番に繋ぎ合わせるだけでは心に響く振動は生まれません。真に人の深い部分まで沈み込んでいく表現には独特の重みと冷たさがあります。たとえば長い眠りから覚めた人形がはじめて空を見上げた瞬間のような説明のつかない静寂です。綿密に計算された骨組みの上に少しだけ不揃いな感情の欠片を並べていきます。
静まり返った室内で画面の裏側に記録されたかすかな足跡を辿ることもあります。見知らぬ誰かがどの瞬間に息を呑みどのフレーズで立ち止まったのか。数字という記号の群れを眺めていると見えない誰かの鼓動がかすかに伝わってくる気がします。
無機質な構造体に柔らかな影を重ねていくこと。そのふたつが完全に噛み合ったとき言葉は単なる文字列ではなくなり誰かの孤立した夜を優しく包み込む小さな部屋になります。
降り続く雨の音を聞いている時間や誰もいない廊下を歩く瞬間にあたらしい物語の種が顔を出します。人間が何を恐れ何にすがりついて生きるのかという問いには答えがありません。だからこそ私はどこまでも果てのない思考の旅を続けていけるのだと思います。
見えない糸をたぐり寄せるように遠くの誰かと秘密の約束を交わすこと。見知らぬ誰かの心に消えない傷跡のような美しさを残すその瞬間を思い描きながら今日もしずかに言葉を編み続けています。
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