第三章 決起 パート20
終わった。
大きな打撃を受けながら、それでも最低限の秩序を保ったままで撤退してゆく帝国軍の様子を眺めながら、リンはそう考えて徒労にも似た溜息を一つ漏らした。顔の辺りが気色悪い。自慢の髪も妙にごわごわとした感覚があるところから察するだけでも、自分が大量の返り血を浴びていることは容易に、推測することができた。
これが、戦。
自然発生した鬨の声に乗せるように、勝利の喜びに沸く赤騎士団から少し離れて、リンはそう考えるともう一度、今度は先程よりも重たい溜息を一つ漏らした。そして、一体何人殺したのだろう、と考える。
「お姉さま、おめでとうございます。」
嬉しそうな表情を見せながら、セリスがリンに向かってそう言った。セリスが無事に生き延びたことに安堵しながら、リンはセリスに対して、静かに頷きながらこう答えた。
「無事でよかったわ。」
「お姉さまこそ。」
その言葉を耳の奥に収めながら、リンは一つ頷いた。風が、流れた。妙に冷たく感じる風だった。
「嬉しく・・ないのですか?」
不安そうに、セリスがそう尋ねた。嬉しくない、と答えることは偽善なのだろうか、と考えてリンが回答を虚空に求めたとき、マスケット銃の硝煙で表情を黒く染めたロックバードが、リンの元を訪れた。
「レン様、見事な初陣でございました。」
恐らく彼にとって二度目になるのだろう、レンに対する初陣を祝ったロックバードに対して奇妙な感覚を覚えながら、リンはロックバードに対してこう答えた。
「なんとか、生き残れたわ。」
「天もレン様に味方したのでしょう。」
「・・そうね。」
人を殺すべからず。これまでの修道女生活で学んだことを不意に思い出しながら、リンはそう答えた。それとも、誰かを助けるために人を殺すことは必要なことであるのだろうか。
「これから、凱旋致します。」
続けて、ロックバードがそう言った。
「任せるわ。」
「では。」
ロックバードはそう答えるとリンに背を向けて全軍の取りまとめの為に立ち去っていった。再び、リンとセリスだけがその場に残される。
「お姉さま、お顔が汚れています。」
セリスがそう言いながら、懐から出したハンカチをリンに向かって差し出した。
「ありがとう。」
素直にハンカチを受け取りながら、リンは自身の顔を無造作に、そして力の限りぬぐい始めた。血の匂いがきつい。そう思った。こすりすぎたせいで、顔の皮膚が鈍い痛覚を訴えていた。それでも、顔を拭う行為を止めることができなかった。拭っても、拭っても、血の味が消えなかった。
やがて撤退の号令が周囲に響き渡った。その声に漸くハンカチを顔から離したリンは、セリスが不安そうな表情でリンを見つめていることに気が付いた。
「大丈夫よ。」
何かを弁解するように、リンはそう言った。そして、同じく初陣であるセリスに、それ相応の言葉を掛けてあげなければいけない、と考える。
「セリス、良く頑張ったわ。見事な初陣だった。」
無理に笑顔を作りながら、リンはセリスに向かってそう言った。その言葉にセリスは、それでも嬉しそうに、無邪気な笑顔を見せた。
「君は本当に・・運が良いと言うか。」
呆れた様子でキヨテルが唐突に訪れた客人に向かってそう言った。
「私だって狙ったわけじゃない。」
憮然、という表情そのままでそう答えたのはキヨテルの盟友であり、金髪の美女であるリリィである。そのまま、言葉を続ける。
「こんなに早く戦になるなんて、考えるわけもないじゃない。」
場所はルワールの一角にある喫茶店であった。リリィの得意先であり、ミキ経由で入手する高級茶葉を卸売りしている店でもある。
「それで、首尾は?」
淹れたての紅茶を口に含みながら、キヨテルはそう訊ねた。
「ばっちりよ。ガクポ殿とのコンタクトは取れたわ。だけど、ルワールの人間が迎えに行かなければ動かないでしょうけれど。」
「なかなかタイトな状況だな。」
一度紅茶をテーブルに戻しながら、キヨテルはそう言った。今後帝国との全面戦争を迎えるに当たって、ルワール軍だけではいくらなんでも心細い。更に強力な賛同者が必要であることは誰が見ても明らかであった。だが、一度戦端を開いてしまった以上、ガクポ殿を迎えに行くための時間が十分に残されているとは言いがたい。
「でも、追加でいい情報があるのよ。」
リリィが、そう言った。
「追加で?」
「そう。ビジネスって面白いわね。」
「何のことだ。」
不審に考えてそう訊ねたキヨテルに対して、リリィは悪戯っぽい笑顔を見せながらこう答えた。
「傭兵業というか、警備会社と言うべきか。今のガクポ殿は一介の傭兵というよりは一人の経営者よ。」
「経営者?」
「そう。要人警備や隊商の護衛。腕に覚えのある人間を集めて要望がある先に人員を派遣しているの。軽く話を聞いたけれど、結構な規模よ。」
その言葉に、キヨテルは興味を覚えた様子で眼鏡の縁に手を触れた。そして、こう訊ねる。
「どのくらいの規模だ?」
「人員は二千名程度。売上は年間一万リリル程度ね。」
二千、という言葉にキヨテルは自身の耳を疑うように瞳を瞬かせた。二千名の傭兵ともなれば、それだけで強力な部隊となる。ルワール軍の現兵力と合わせれば兵士だけでも三千を越える。生まれたての革命軍にとっては、十分すぎるほどの部隊であると考えたのである。
「それはいい情報だ。」
瞬時に脳裏に戦略を描きながら、キヨテルはそう答えた。それだけの傭兵を抱えているならば、場合によっては二方面から帝国を攻めることも可能になる。それに加えて、今後国民党からの義勇兵も集めれば或いは単純な兵力数でも帝国軍を上回ることができるかもしれない。
キヨテルがそこまで考えたときに、数発の祝砲が打ち鳴らされた。大地を唸らすように、歓喜がふんだんに込められた祝砲の音を満足そうに聞きながら、キヨテルが口を開いた。
「無事に勝利されたらしい。」
「緒戦で負けていたら、目も当てられないわ。」
「そうだな。」
どうやら、最初の賭けには無事に勝利したらしい。キヨテルは安堵するようにそう考えると、それまで腰を落としていた椅子から立ち上がりながらこう言った。
「では、迎えに行こうか。」
リンとアレクが肩を並べてルワールに帰還すると、既に勝利の報告がもたらされていたのか、国民たちがあげる歓喜の声がルワール軍へと遠慮なく降り注がれることになった。少し気の早い人間に至っては、既に酒瓶を開いて、手にしたグラスを酌み交わしている者すら存在している。その姿を見つめて、改めて勝利を実感しながら、リンは国民へと向けて右手を振った。その姿に歓声が益々大きくなる。
戦は嫌いだけれど。
そう、リンは考えた。
でも、そのお陰でこの人たちを守れた。
きっとレンは、いつもあたしを守ることだけを考えて、あの血なまぐさい戦場へと飛び込んで行ったのだろう。それがレンにとって、戦う為の唯一の目的であったに違いない。
なら、あたしは?
リンはそう考えた。第一義的にはこのか弱き、まだ概念として成立したばかりである国民を守るため。でも、本当は違う。レンの意思を、レンの命を無駄にしない為。その為に、あたしは戦わなければならない。
歓呼は鳴り止む予感すらなかった。女王であった時ですら受けたことの無い、心からの祝福の声に軽い恥ずかしさを覚えながらルワール城までリンが凱旋した時、城門で待ち構えている二人の人物にリンは気付いた。一人は以前から出入りしているキヨテルである。だが、もう一人、自身の金髪にも負けない、長い髪を持つ女性は誰だろうか。
「お待ちしておりました、レン様。この度の勝利、誠におめでとうございます。」
キヨテルが最敬礼を行いながら、そう言った。そのまま、言葉を続ける。
「今回、もう一人お引き立ていただきたく、勝手ながらこの場でレン様をお待ちしておりました。」
続けて、金髪の美女がリンに向かって深々と頭を下げた。そのまま、口を開く。
「私はキヨテルの盟友であり、商人のリリィと申します。レン様の更なる勝利に貢献する、耳よりな情報をお持ちいたしましたわ。」
自らに強いプライドを持っているのだろう。自信満々という様子でそう答えたリリィに対して、一体何事だろう、とばかりにリンはその、リリィは持ち合わせていない、サファイアのような瞳を何度か、瞬きさせた。
ハーツストーリー 60
みのり「第六十弾です!」
満「もう六十回かよ。」
みのり「本当にいつまで続くのかしら。。」
満「まぁそれは置いておいて。」
みのり「リンが戦に悩むシーンが多いけれど。」
満「単純な作品にしたくないんだよな。戦うことが必要だけれど、本当はやりたくない。してはいけないこと。そういうメッセージを込めているつもりだ。」
みのり「かといって戦争反対って単純にいうつもりはないけれど。」
満「単純な結論は現実世界にマッチしないしからな。それがどんな結論でも。実際の世界は複雑な、そして繊細な感情が幾重にもからまっているものだとレイジは考えている。」
みのり「ということで、今後も深い世界を作り上げて行きたいと思っています。ではでは、次回も宜しくね☆」
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