4.
「――でさ、それでね、あいつったらなに言ったと思う?」
「なに、またバカみたいなくっさいセリフ吐いたわけ?」
「そーそー。『君のことは俺が絶対守るから』だって。アホらし。誰があいつなんかと同じことするかっての」
「あははっ、キリひっど。キリの猫かぶりっぷりはホントハンパないよねー」
「ちょっと、そーゆー言い方やめてよ」
学校の廊下で、向こう側から歩いてくる下級生が、そんな会話をしていた。
その二人うちの片方、キリと呼ばれていた女の子を、私は知っている。
「あの……柳さん」
「……なんですか」
彼女、柳切恵は、声をかけられただけで露骨に嫌そうな顔をする。
私と彼女の空気を察してか、もう一人は「じゃ、先行ってるね」と言って歩いていく。その子の表情には、切恵さんに対する憐れみがある。そして通り過ぎざまの私に対する……あれは、侮蔑、なんだろうか。
でも、そうだったとして……なぜ。
「あの、私、柳隆弘君と同じクラスで……あなたにも謝らないとって――」
「――やめてもらえませんか?」
「え?」
その口調は、繊細な彼女が兄のことであれこれ詮索されて疲れ切っている、とか、そんな感じでなかった。
「とりつくろったりごまかしたり、そーゆーのめんどくさいんではっきり言いますけど、あたし、あいつのことが大っ嫌いだったんです。いなくなってよかったって思うくらい。だから、そんな風に謝られても不快なだけです」
「なに、を……」
そんな返答がくるなんて思ってなくて、私はうまく返事ができなかった。
彼女の瞳に宿るのは……嫌悪だ。私に対してだけじゃなくて、おそらくは彼女の兄に対してさえ。
「さも“私なら救えたはずなのに”みたいな偽善まみれな態度も、大嫌いなんですよ」
「そんなこと……。私はただ――」
「知ってますよ。あいつ、クラスで無視されてたんですよね」
「それは……」
「まあでも、勉強どころかなんにもできやしなかったんだから、それも当然ですよね。でも、やっといなくなったらいなくいなくなったで、こうやってあたしに迷惑をかけ続けるんだから、本当、いてもいなくてもウザいだけ――」
「――やめて!」
彼女の言葉に耐えられなくて、許せなくて、思わず叫んでしまう。その声に周囲の生徒がぎょっとして視線が集まるのを感じるけれど、そんなのを気にしてなんていられなかった。
「あなたは……血のつながった家族を、一体なんだと思ってるの?」
震えてしまう私の言葉に、柳切恵は心底うんざりしたように息を吐く。
「……っざいんだよ」
「なに――」
「ウザいんだよ!」
私の言葉に、彼女は吼えた。
目尻を吊り上げ、肩を怒らせ、完全に敵意の視線をこちらへと向けてくる。
「あんなのが兄だったせいで、あたしがどれだけバカにされたか、どれだけみじめな気持ちにさせられたかも知らねーくせに! なんも知らねー外野が、偉そーに御高説たれてんじゃねーよ!」
そうまくしたてる彼女の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいるような気がした。
周囲の生徒たちは遠巻きに私たちを見ていたが、それだけ言うと彼女は私を通り過ぎて立ち去ろうとする。
「ちょっと――」
私はとっさに彼女の手首をつかんで引き留めたが、振り返った彼女の……切恵さんの顔は、壮絶、とさえ言えるほどに恐ろしかった。
「あたしに……触んないで」
低い声で、彼女はそう告げる。
「別に、わかってもらう必要もないけど、あいつ、父さんと母さんにだって見捨てられてたんだから」
その衝撃的な言葉に、私は思わずつかんだ手を離してしまう。
「そんな……」
「だいたい、あいつがあんなことしたのも、誰も味方なんていなかったからでしょ。先輩だってクラスでの無視ごっこに加担したようなもんじゃん。先輩の態度が偽善だってことの、なによりの証明でしょ。そんな人に責められる筋合いなんてない」
そう吐き捨てると、彼女はきびすを返し、振り返ることなく歩き去ってしまう。
私はその背中に反論するどころか、その場から動くこともできずに、ただ立ち去っていく背中を見ていることしかできなかった。
「そんな……」
崩れ落ちそうになってしまう足に必死に力を込め、ただ戦慄に身体を震わせる。
クラスメイトに拒絶され、家族ですら、誰一人として彼を受け入れてくれる人などいなかったというのか。
――誰一人、君を許さないなら、君は誰のために、ここにいるのでしょう?
そんな言葉を叫びたくなって、けれどできるはずもなく、私は立ちつくし続ける。
だって、それを叫ぶにはもう遅すぎる。
仮に叫んでみたところで、もう彼に届くことなどないのだから。
彼のいないそんな世界で、私は今さらになってそんなことを思い知らされていた。
◇◇◇◇
「……どれって聞かれたら、たぶん、塾かな」
「えー意外! 部活とかよりも塾のが好きって、ちょー優等生じゃん」
放課後、僕はとぼとぼと階段を降りて靴箱へと向かっていた。階段を降りた廊下の向こうからは、そんな話し声が聞こえてくる。
「別に、そんなんじゃないし」
「でも、塾のが好きなんでしょ?」
「それはさぁ……」
校舎内の人どおりは少ない。
すぐに帰ろうとすると、クラスメイト以外にも誰と鉢合わせてしまうかわからない。だから、いつも屋上の扉の前で少し時間をつぶして、部活とかが始まってしまった頃に帰るようにしていた。
「……ほら。塾は、学校とは違うからさ」
「……?」
「だから、塾だと誰も知らないわけよ」
「ああ、そゆこと」
今日はいつも以上に、特につらい一日だった。
藤田先生は僕のなにが気に入らなかったのか、いつも以上に執拗に僕を責めて、なじって、こき下ろした。
その後の体育では、チームにわかれてバスケの試合をすることになった。それだけでもう、どうなるかなんて目に見えている。僕はチームの足を引っ張って剣呑な視線にさらされ、試合を見ていた人たちは僕がなにか失敗をするたびに指さして笑ってきた。
「兄と違って君はできるんだね、みたいなの……ホントうんざりなの」
「確かに、ずっと言われ続けたらやだわー」
そんな日に限って、ガラの悪そうな人たちが階段の一番上に居座っていて、僕は昼休みの居場所すら見失ってしまった。
そんなことがあって教室でかたくなになればかたくなになるほど、先生たちからは集中力に欠けているとでも思われるのか、答えられるわけがない質問に、いつもより余計に多く当てられて皆に笑われ続けた。
「家で同じ部屋ってだけでも十分すぎるくらい苦痛なのに、一緒にいない学校でだって、なにかにつけてあんなのの妹だって思い知らされ続ける。あたしだって好きで兄妹になったわけじゃないっての」
僕は、本当に罪深い存在なんだなって、改めて思い知らされた。
僕には生きている価値なんてない。いないほうが、皆はよっぽど嬉しいんだろうな。
僕を責めたり傷つけたりしないのは、せいぜい初音さんと妹の切恵くらい。けれど初音さんも、僕のことを「可哀想な人」って見てるみたいで、そう考えたら純粋に味方でいてくれてるのは妹くらい――。
「でもさ、キリはお兄さんには優しいフリしてるんでしょ?」
――え?
さっきから階下で響いてる話し声って、まさか――。
「カッコだけでもそーしてないと、やってけないでしょ。あたしがホントは嫌ってるなんて知ったらあいつ――」
階段を降りきって、廊下に出る。
そこには切恵と、僕の知らない切恵の友だちがいた。
ガツンと、衝撃を受けたみたいな感覚。
目の前が、真っ暗になったみたいだった。
「あ、兄さん……」
「え? あっ……」
二人は僕の姿を見て、気まずそうにほほを引きつらせる。
「……そっか。そうだよね」
僕は二人の顔なんて直視できるわけもなく、ただうつむいてそうぶやいた。
「兄さん? えっと、今のはその……」
「……」
うろたえた様子でなにか言い訳をしようとする切恵の横を、僕は黙って通り過ぎた。
……ショックだった。
ちゃんと言葉にも態度にも表せられなかったけど、それでも確かに、凄まじい衝撃だった。
けれど、でも、そりゃそうだよなっていう気持ちも間違いなくあった。
僕みたいなのが兄で、しかも部屋まで一緒だったら、誰でも嫌に決まってる。
優しくて、たった一人の味方だと思ってた妹は、単なる幻想だった。それが、物語なんかとは違う、現実ってやつだ。
「……僕だって、好きで馬鹿なわけじゃない」
口の中でもごもごとして、僕はやっとのことで、誰にも聞こえないくらいの声をしぼり出した。
――死んだほうがいい。
僕なんか、死んじゃったほうがいい。
今まで何度もそう考えては、思い留まり続けてた思い。その思いが確信に変わってしまうのに、たいした時間はいらなかった。
瞳に涙が浮かんだ。
なにか言い続けている妹を振り返ることなく、僕は廊下を抜け、靴を履き替え、学校を出る。
けれど、行くところなんてどこにもなかった。
――結局その後、僕が家に帰ることは二度となかった。
Alone 4 ※2次創作
第四話
今作屈指の胸クソ回。
当初、ここまでではなかった(棒読み)。
今回、ある程度書いた後に設定を変えたり追加したりしているので、書いていて自分が一番困惑していました。そもそも全五話の予定でしたし。未だにああすればよかったんじゃないか、こうした方がよかったんじゃないか、と思うところが色々あります。
一話で現在の初音嬢の心境を書く前半と、昔の柳君の心境を書く後半の2パート構成にしているため、整合性を取るのが大変になっているですが、なんでこう、自らの首を絞める構成にしてしまうのか……。
いや、歌詞の意味を考えていくうち「私」と「君」の心境をそれぞれ書く必要があると思ったためなんですけれどね。
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