守る為の力
リンとレンが見張る前で、野盗達がほうほうの体で逃げて行く。その姿が獣道に入って茂みへ消えるまで、レンは剣の構えを崩さなかった。
森を移動する音が徐々に遠く小さくなり、やがて耳を澄ましても聞こえなくなる。野盗達が完全に去ったと分かり、リンは胸を撫で下ろす。
「……ふう」
同時に緊張が解けたレンが息を吐いて肩から力を抜く。頬に汗が流れ、左目の下が脈打つように痛んだ。
「本当に怪我は無いか?」
右半身を振り向けて聞くレンに、リンは改めて痛む所や怪我が無いかを確かめる。剣を当てられていた所を触っても血が出ている様子は無い。捕まった時に少しでも刃が引かれていれば、間違い無く頬を斬り裂かれていた。もしかしたら一生残る傷になったかもしれない。
我が身の事を先に考えてしまい、いや、とリンその思考を打ち消す。
顔に怪我をするのなんて一度や二度じゃない。独りで生きていた頃、盗みを見つかって殴られたりして顔が腫れ上がった事だってある。
メイドの自分が人質になったせいで、黄の王子が窮地に陥ったのだ。レンが野盗よりも強くて機転を効かせてくれたおかげで事なきを得たが、黄の国の王子が殺される可能性だってあった。
本来なら、レンはあの時逃げるべきだった。なのに、一介の召使を助ける為に剣を捨てた。戦える手段があったとはいえ、何のためらいも無く。
両手を握り締めてリンは俯く。あっさり捕まってしまった自分が情けなくて悔しい。そして何より、レンの足手まといにしかならなかったのが申し訳なくて堪らない。
「平気か?」
気遣いの言葉が心を締め付ける。レンと顔を合わせるのが辛い。
「大丈夫、です……」
レンは無造作に鞘を右腰に挟み、顔を伏せて見せようとしないリンの前に屈み込む。
「顔上げろ。怪我してないか見るから」
王子らしからぬぶっきらぼうな口調。そこに優しさが込められているのがひしひしと伝わり、リンは体を縮こませて顔を上げた。
「あ……!」
目の前には安堵したレンの顔がある。その左目の下、頬骨の位置が斬れて血が流れていた。
「良かった。何ともないな」
「良くないです! 王子、その怪我……」
リンの指摘にレンは傷へそっと手を当てる。指に付いた血を見て溜息を吐き、やっぱりと呟く。
「あの時だな。まあ、目じゃないからマシだよ」
大した怪我じゃないと言ってはいるが、かなり深く斬れているように見える。リンは思わず傷に手を伸ばしかけ、慌てて手持ちのハンカチを取り出した。レンに半ば強引に渡して、とりあえず血を拭くように頼む。
「マシとか言う問題では無くて! どうして逃げなかったんですか!? 私のせいで王子が怪我をして、もしかしたら……っ」
レンの行動を諌めようと、不躾なのを承知の上で立ち上がろうとする。しかし足に力が入らず、立った瞬間にへたり込んでしまった。
「うぅ……」
まだ腰が抜けているのが分かり、リンは先程とは別の情けなさと羞恥を覚えて泣きたくなる。穴があったら今すぐ入りたい心境だった。
ハンカチで血を拭いて傷を押さえていたレンは、出血の具合を確かめる為にハンカチを離した。赤く染まった面を中に折り、綺麗な面を軽く当ててすぐに離すと、新しく赤い染みが出来ていた。止血の為に再び傷口を押さえる。
「大切なものを守りたいって思うのがそんなに不思議か?」
何の事を言われたのかが分からず、リンは一瞬怪訝に思う。すぐにさっきの言葉の返事だと気が付いた時、 レンは丁度立ち上がった所だった。剣拾って来る、と言う声が頭上から聞こえて、リンは離れて行く弟の背中をじっと見ていた。
……昔は同じくらいの大きさだったのにな……。
レンは右手に持っていた剣を放り捨て、腰に挟んでいた鞘をベルトに付け直した。地面に転がっていた自分の剣を拾い上げ、片手で器用に鞘に納める。
マントを拾って軽く土汚れを払う。矢が貫かれた跡を見て、レンは肩を落としてぼやく。
「気に入ってたのに……」
破れているだろうと予想はしていたが、実際に穴が空いているのを見ると悲しくなって来る。仕方が無いと分かっていてもかなりへこむ。自然と溜息が出た。
マントを右腕に引っ掛けて後ろを向くと、ようやく立てるようになったリンが服に付いた土や草を落としていた。レンはその傍に戻り、地面にマントを広げて腰を落とす。
「何してるんですか」
リンが質問すると、どうしてそんな事を聞くのかと言った顔でレンは答える。
「何って、休憩。少し休みたい」
隣の空いている場所を右の掌で優しく叩く。マントの上に座るように勧められ、リンは困惑しつつも腰を下ろした。
お互いに無言。木に飛び乗った鳥が二人を見下ろしてほろほろと鳴き、しばらく歌ってから森の奥へ消える。
妙な雰囲気を感じながら、リンは目だけを横に動かす。レンがハンカチを離しているのが見えた。
「あ、やっと止まったか? もう血は出てないかな?」
自分じゃ見えないから確かめて欲しいと頼まれる。見るだけで痛い傷があるものの、出血は止まっていた。大騒ぎする程の怪我じゃないと語るレンに、リンは疲れが一気に噴き出すのを自覚した。
少し前まで命の取り合いをしたとは思えない平然とした態度。強がっているのかと考えたが、とても演技をしているように見えない。あっけらかんとした様子に怒る気が失せて来る。
リリィも三年の間、王子の行動には苦労したのだろう。留守番をしている先輩におかしな親近感を覚えつつ、リンは持っていた絆創膏を取り出し、レンの傷口に張り付けた。
「分かってるよ。無茶をしたって事は」
リンに手当ての礼を言い、レンは反省を口にする。
「リンベルには酷だけど、王族が取るべき行動じゃなかったのも分かってた。野盗が身動きできない内に逃げれば俺が……、王子は無事に逃げられたって事も」
そうするべきなのは理解していたと述べて、でも、と続ける。
「リンベルが捕まったのを見て、そんなの全部頭から吹っ飛んだ。剣を突き付けられるのを見て、怖くて仕方が無かった。助けたい、守らなきゃって気持ちで一杯になって、それ以外の事が考えられなくなってた」
あれだけ派手に立ち回っていたレンの胸中は、リンにとって意外に満ちたものだった。
――僕は、強くなる。
不意に、幼い頃のレンの姿がよぎった。そうだ。昔一緒にいた頃、王宮の屋上でレンは言っていた。
――みんなを守れるくらい強くなりたい。
あの頃からお互いの立場とかが変わってしまって、特にレンの言葉遣いの変貌には驚いたけれど。
レンは、レンのままだ。根っこの部分は何も変わってない。
「俺の怪我一つで二人分の命が守れたのなら安いものだよ。傷は男の勲章ってね」
「王子が良いのならそれで構いませんが、どう誤魔化すんですか」
散策前までは無かった怪我。絶対不審がられると心配するリンに対し、レンは楽観的だった。
「そんなの森で枝をぶつけたとか葉っぱが当たって切れたとか言っとけば大丈夫だろ」
「帰国してからは?」
「しばらく傷口隠しておいて、もし聞かれたら稽古中に掠ったとか武器庫に入った時にうっかりやらかしたとでも言えば良い。他人はそこまで気にしないし、興味も無いよ」
適当過ぎる。だが、人が怪我をしていたら気にはなるものの、理由や原因なんて聞いてもすぐ忘れる。大体、これまでに負った怪我の総数を覚えている人なんていない。
リンが話を合わせる事を了承する。返事を聞いたレンは顔を引き締めて尋ねた。
「ところで、あのトサカが変な事を言っていたのに気付いたか?」
「変な事、ですか?」
捕まっていた時に聞いたレンと首領のやり取りを思い返す。あの時は怖くてそれ所では無かったが、今なら落ち着いて考えられる。
言われてみれば、「東の貴族」「王都のお偉方」など奇妙な言葉を口走っていた。まるで、黄の国王子がこの近辺を通るのを知っていたかのように。
疑問をそのまま話すと、ああ、とレンは頷いた。
「その通りだ。『身なりの良い金髪の子ども二人を襲えば大金』とも言っていた……つまり、俺達を最初から狙っていたって事になる。いつ頃からは分からないけどな」
衝撃的な推測を耳にして目を見開き、リンは声を落として答えを言う。
「それってまさか、緑の貴族が王子を亡き者にしようと……?」
野盗にとっての王都とは大陸東側のではなく、西側の緑の王都だ。そして緑の王宮はレン王子が来訪する日時を知っている。あり得ない話じゃない。
「かもしれないな。けど、それと同じかそれ以上に問題な事がある」
レンが自分の命が狙われたよりも大きいとする問題。何の事か見当が付かず、リンは僅かに目を細めた。
「緑には大まかな日程と泊まる町は伝えてあるけど、道順に関しては伏せているんだ。どの町を通るのかが分かっていても、そこへ行くのにどの道を使うのかいつ頃通るのか。その事を知っているのはおかしいんだよ」
緑の王宮へ行く四人以外で道順と細かい予定を知っているのは、黄の国でも上級貴族だけだ。機密として扱うよう言われた為、当然リンは詳しい事は誰にも話していない。
「まさか……」
レンが何を言っているのかを悟り、リンは息を呑んで口元に手を当てた。黄の王宮でも一部しか知らない情報が緑に漏れていた。それはすなわち。
「そのまさか、だ。……王宮に内通者がいる」
静かな口調でレンは断言する。弟の落ち着き払った態度に感心する余裕もなく、リンは体の中が冷え切って行くのを感じ取る。
「……あの騎士ですかね」
身も蓋も無い言い方でリンは呟く。森に入ったと同時に姿を消し、未だに合流しない護衛騎士。レンを守るふりをして傍から離れ、野盗へ連絡する時間は充分にあったはず。都合良く離れている間に野盗に襲われた辺りが非常に怪しい。
「いやー、奴は違うな。この上なく怪しくて黒に近いが、多分内通には関わってないよ」
レンに軽い調子で言い切られ、リンはむっとして言い返す。
「どうしてそう言えるんですか」
「ちょっと落ち着け。あの行動は疑って下さいと言っているようなものだろ。それに王子を亡き者にしたいのなら、野盗から守るふりをして後ろから刺すとかすれば良い」
自分ならそうするとレンは話す。物騒な例えに驚きつつ、納得のいく説明にリンは同意する。
レンの言う通りだ。ただでさえ王子は腐った貴族連中を嫌っている。そこであんな分かりやすい行動をとったら、嫌疑を向けられるのは明白だ。保身と打算を第一に考える連中がそんな危ない橋を渡る訳が無い。
「ただ、あの騎士は何か他に目的があるような気がする」
内通以外に不審な点があると睨み、レンは腕を組んで告げる。鋭い洞察力に舌を巻き、リンは無意識に疑問の声を上げていた。
「目的……一体何が?」
「さあな、そこまでは分からない。生憎俺は人の心を読む特殊能力なんて持ってないからな」
ただの十四歳の子どもだと冗談を飛ばしてから、レンはきっぱり述べた。
「国の為にならない事を考えてるのは間違いない」
「あの、王子」
今度こそ本当の帰り道。小さく折り畳んで持っていたマントを見て、リンはある事を思い出した。
「んー? 何?」
レンは歩きながら気の抜けた声で返す。戦っていた時とは別人のようだった。
「あの時、剣を捨てた直後に何をしたんですか?」
怪我やら内通者の話ですっかり忘れていた。レンが剣を手放し、万事休すと覚悟を決めた瞬間、首領にいきなり隙が生まれた。そのお陰でこうして助かった訳だが、未だに何が起こったのかが分からない。
レンが足を止め、リンもすぐに立ち止まる。
「ああ。あれか。言ってなかったっけ」
話すのを忘れていたと笑い、レンはズボンのポケットに右手を入れる。隠し武器でも持っているのかと想像するリンへ握った手を差し出し、手を開いて中身を見せる。
レンの掌にあったのは、小さくて丸い木の実。小動物が好んで食べる硬い木の実だった。
「これを弾いてぶつけたんだ。こんなのでも当たれば隙が出来るし、目に直撃すれば失明の可能性だってある」
つぶてみたいなものさ、と指先で一つ弾き飛ばす。木の実はリンが予想していたよりも速く鋭く放たれて森へ消える。
意外と威力がありそうな指弾を見て、リンはふと思う。
レンはいつの間にこんな技術を身に付けたのだろう。昔はメイコ隊長から剣しか習っていなかったはずだし。
気にはなったが質問せず、リンは自分の中で答えを出した。
まあ、トニオやアルから訓練を受けたのだろう。近衛兵の誰かに教えてもらったのかもしれない。
進み出したレンに遅れないように歩く。道の先に出口が見え始めていた。
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