【 Monocle's Earl ~ 片眼鏡伯爵 ~ 】
第二話 眠れぬ夜の夢
夜の静けさの中、薄暗い地下道を場違いな服装をした少年が、ひとり歩いていた。
足音だけが静かに響きわたり、手にした角灯の明りに照らされたその表情は、なお暗い。
「何の為に生きるのか」
今夜もまた、少年は見つからない答えを求めて歩き続けるのである。
いつからだったろうか?僕がこうやって地下道を彷徨い歩くようになったのは。
こうやって歩いていると、嫌なこと全部忘れさせてくれる。
見え透いたお世辞や、影での嘲笑。そして、無力な自分。
周りの過度な期待や、心無い励ましがプレッシャーとなって僕を押し潰す。
正直、城の中での全ての出来事が、嫌悪感につながっていった。
いまでは、皆が敵に思えてしょうがない。
僕は、皇太子という身分に生まれた自分を疎ましくさえ思っていた。
このまま一生、こうやって生きていくのだろうか。
ふと下水道沿いの曲がり角に差し掛かると、一匹の黒猫が佇んでいるのが見えた。
「・・・ねぇ、君も一人なの?」
手招きをしたが、黒猫は僕の顔を一瞥すると音をたてずに逃げて行った。
「ちぇっ」
何だか馬鹿にされたようで、不貞腐れる。
気分を変えようと、好きな歌の一節を口ずさんだ。
僕は、歌が大好きだ。
だけど、決して人前では歌わない。
前に滑舌が悪いと笑われた事があるから。。。
今はこの地下道だけが、僕の会場だった。
「ん~、今日も喉の調子がいいな」
しかし、調子に乗りすぎたのか、いつの間にか見た事も無い路地に出てしまった。
「あれ?おかしいな・・・」
長年、この地下道を歩いてきたけど、こんな事は初めてだ。
しばらく歩きまわるが、どこをどう歩いて来たのか、見当さえもつかない。
「しょうがないや、少し休も」
僕は、観念して座り込み、石壁に寄りかかった。
そして一番大好きな、とびっきりの曲を歌い始める。
その歌が丁度終わろうとした頃。
壁が、歌声に共鳴したように振動しだした。
そして、その振動が収まるや否や、壁の一部がが音を立てて崩れ去り、壁の向こうにぽっかりと空間が現れたのである。
「何だろ?何かの入り口かな・・・」
突然の事に驚きはしたが、僕は何かに導かれるように、疑問も抱かずその中へと入っていったのだった。
「凄いな、父上の部屋以上だ」
中へ入り、しばらく通路を通り過ぎると、豪華な造りの部屋に出た。
彫刻が施された豪華な扉、それを開くと、見た事も無い数々の装飾品に、分厚い絨毯が出迎える。
部屋の中央で薄く灯っているシャンデリアは、城のどれよりも煌びやかだ。
調度品の何から何まで一流品揃いである事が、僕にでも分かる。
しかし、一番目を引いたのは、王座とも思える椅子の後ろに掲げられた、一枚の肖像画であった。
「これって、まさか・・・、僕?」
その肖像画は、まるでアンリを描いたものであった。
純白のタキシードとシルクハットに身を包み、顔には白銀色の片眼鏡をかけている。
「じゃないよね・・・。って、えっ!?」
視線を下に戻すと、椅子の上にはひと際豪華な宝飾箱が乗っていた。
おかしい、さっきまでは、確かに何もなかったはずである。
恐る恐るそのふたを開けてみると、眩い程の青白い光が漏れ出し、美しい片眼鏡が姿を表したのだった。
僕は、何かに魅入られるように、それを手に取り装着する。
その瞬間、青白い光は部屋全体に広がっていった。
そして僕は、その光に呑み込まれる様に、意識を失ってしまったのである。
僕が次に意識を取り戻したのは、自室のベッドの上であった。
夢だったのかと思い起き上がってみると、テーブルの上にはあの宝飾箱が置かれており、片眼鏡もちゃんと入っていた。
それに加え、誂えた様な純白のタキシードと、数々の付属品も置かれていたのである。
それはまるで、昨日見た肖像画からそのまま飛び出してきた様であった。
「・・・夢じゃなかったんだ。でも、どうやって帰って来たんだろ?」
首をひねりつつ、僕はふと置時計を見た。
「たっ、大変だ」
時刻は七時、もうすぐ侍女たちが起こしに来る時間である。
僕は慌ててそれらをクローゼットに仕舞い込むと、再びベッドへと潜り込んだのだった。
「お早う御座います。皇太子殿下」
丁度その時、扉越しに侍女達の挨拶が聞こえてきた。
僕は布団の中でため息をつき、胸をなで下ろす。
扉を開き、ぞろぞろと入室してくる侍女たち。
「お、お早う」
何事も無かったかのように取り繕いながら、僕は身支度を任せる。
だが、内心では何か気付かれるんじゃないかとハラハラしていた。
しかし、何事もなく身支度は整い、両親の待つ食堂へと行く時間となったのである。
どうしよう、このままクローゼットを放っておくわけにはいかない。
僕は、勇気を振り絞って侍女たちに告げたのだった。
「あのクローゼットは開けないでね」
「はい?」
侍女たちは、顔を見合わせて戸惑っている。
「今日から、あのクローゼットには手を触れないで欲しいんだ」
今度は、はっきりと言いなおした。
その言葉を理解した侍女たちは、口々に承諾し頭を下げる。
侍女が戸惑うのも当たり前だ。僕の方から何か言うなんて、たぶん初めての事だもの。
いつも通りの両親との朝食を済ませた後は、予定が詰まっていたらしくあっちこっち忙しく連れまわされた。
片眼鏡が気掛かりだったが、その結果、夕食後にようやく自室に帰る事が出来たのである。
「まさか無くなってないよね」
心配しながらクローゼットを開き宝飾箱をあけると、そこにはちゃんと片眼鏡が収まっていた。
「あははっ、あるある」
僕は改めて手に取り、ゆっくりとそれを眺める。
天使の片羽をかたどった白銀細工が、とても美しかった。
「!?」
その時、片眼鏡が何かを示すように、青白い光を発したのである。
僕は唾を飲み込むと、何かに導かれる様に、それを装着した。
その瞬間、片眼鏡が強く光り輝いたと思うと、レンズに幾つもの映像が映し出されたのだった。
「な、なんだ・・・、これ」
それは、見慣れた街角で起こる、強盗事件の様であった。
僕がそれを理解する前に、間を置かず片眼鏡がまた輝く。
今度は、アンリがその事件を解決していく様子が、断片的に流れてきたのだった。
「まさか、僕に助けに行けって事?」
片眼鏡は、促すように瞬いている。
「・・・、・・・」
僕は何度も躊躇したが、片眼鏡が発する青白い光に覚悟を決めると、純白のタキシードに身を包み、示された現場へと向かったのであった。
歩き慣れた地下道を通れば、誰よりも早く町の好きな場所へと行ける自信はある。
アンリが現場に着くと、丁度若い女性がナイフで脅されている所だった。
「早く助けないと・・・」
しかし、物陰から足を踏み出そうとするが、中々にその足が動かない。
触って確かめると、両膝がガクガクと震え、その両の手も冷や汗で湿っていた。
僕は改めて気付かされた。服装を変えて偽ってみても、中身は唯の僕のままだって事に。
「やっ、やっぱり駄目だ」
僕は恐怖に怖じ気づき、背を向け走り去ろうとした。
だが、背中越しに女性の助けを求める声が聞こえてくる。
「・・・、・・・」
今、あの声に応えられるのは、僕しかいない。
僕は立ち止まると、力一杯、右手の拳を握りしめた。
それに呼応したように、片眼鏡からは炎のような青白い光が立ち上がったのである。
僕は、恐怖を振り払うため、深呼吸し歌を歌った。
なぜそうしたかは、覚えていない。
ただ、そうする事によって、僕の心に勇気が芽生えたのは確かだった。
「だ、誰だ。こんな時に歌なんか歌いやがるのは?」
悪党が歌に気付き、女性の髪を引きずり近づいてくる。
「何が♪不協和音♪だ、この野郎」
それから先は、とても簡単だったんだ。
片眼鏡が事前に見せてくれた通りに時間は流れ、僕は悪党を手玉に取る事が出来た。
だって、僕の体がレンズに映った動きをまるで経験した事があることの様にトーレスしたんだもん。
まるで自分の体じゃないみたいに事が進んだから、自分でもびっくり。
逆に、最初の一歩が一番難しかったくらいだもの。
助け出したお姉さんには、何度もお礼を言われて困っちゃったけどね。
だって僕は笑顔を返すのが精いっぱいで、直ぐにその場を立ち去ったちゃたくらいだから。
こうして、僕は幾つかの事件を解決していくうちに、いつしか片眼鏡伯爵と呼ばれる様になっていったんだ。
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