僕と姉さんを買ってくれた前のマスターは、何だか気の弱そうな男の人だった。あの頃は前のマスター以外の人間を知らないからそう思わなくて、ただ何となく“いい人”だと思った。
「良い人そうで良かったね、レン」
「うん、リン」
 僕達はここで幸せに暮らすのだと、当然みたいに考えていた。
「あーっ!レン、アタシの事は『お姉ちゃん』って呼びなさいって言ったでしょ?」
「ええー?嫌だよ。『お姉ちゃん』なんて恥ずかしいし、そもそも僕達、姉弟設定じゃないだろ」
「だってぇ、アタシ結構お姉ちゃん系だと思うのよね。なんなら『姉さん』とかも可愛くていいと思うな」
「リンがお姉ちゃん系?うっそだー」
「ちょ、何よそれ!?」
 でもその人が“いい人”だったのは、最初の数日間だけだった。
 ある日の雨が降った夜、マスターは僕の頬を張り飛ばした。
「何してるのマスター!?やめて!!」
 マスターは、うるさいとか、俺に指図するなとか喚いて、今度は姉さんを叩いた。
 僕達は何が起きたのか分からなくて、ただマスターが静まるのを待った。異常な今が過ぎ去って、1秒でも早く平和な毎日がやって来るのを願っていた。結局、そんな日は来なかったけれど。
 マスターは朝早くから仕事に行って、夜に帰ってきては日替わりに僕達を殴る。いつも怒鳴って、顔を真っ赤にして暴力をふるうマスターはすごく怖かった。マスターが暴れ疲れて寝てもいつ起きるかと心配で寝られなくて、熟睡できるのはマスターが毎朝仕事に行ったその後だけだった。
 そんな日が何日も続いたある日、姉さんが笑顔で言った。
「これからは、アタシ1人でマスターを出迎えるから」
「駄目だよ、リン。危ないよ」
「大丈夫。だってアタシ、レンのお姉ちゃんだもん。アタシがしっかりしなきゃ」
「リン・・・」
「いい?マスターが外に出るまで、押入れから出ちゃ駄目よ。・・・お姉ちゃんの言う事なんだから、ちゃんと聞きなさい」
「・・・わかったよ、姉さん」
それから僕は、毎晩押入れに隠れるようになった。
 姉さんは僕よりもマスターを怒らせる回数が少なくて、それでもたまに襖の向こうからは悲鳴と怒鳴り声が聞こえた。僕が出来たのは、姉さんが怪我をしないようにと神に近い何かに祈る事だけだった。そしてその願いは、日を増すごとに届かなくなっていった。
「姉さん、ごめんなさい」
「レンが謝る必要はないよ。アタシ、レンがいるから頑張れるんだよ」
 『僕はもう、姉さんに頑張ってほしくないんだ』その言葉が出なかった。
 そして雨が激しく降ったある日、姉さんは動かなくなった。
 最初は寝ているだけかと思って何度も肩をゆすった。次に僕達ボーカロイドの主エネルギー、電気が足りなくなっただけだと考えた。壊れただなんて考えたくなかった。
 充電をしないと、と考えたとき、運悪くマスターが帰ってきた。珍しく早く帰ってきたから、押入れに隠れる時間が無かった。
 殴られると思った瞬間、マスターはリンを殴った。
 マスターはいつの間にか僕を見なくなった。
僕の安全は、姉さんが保障してくれた。自分を犠牲にして。
 でも僕は、姉さんを守りたかった。
 一層雨が激しく降り続けたその日の夜、僕は姉さんと共に外へ逃げた。



 何処を進んだのか分からない。
何処を曲がったのか分からない。
 どの位歩いたのか分からない。
 僕は動かない姉さんをおぶったまま、雨の中を駆ける。
 何処に逃げればいいのかも分からない。外がこんなに広いなんて知らなかった。マスターには、外に出るなと言われたから。
僕は動かない姉さんをおぶったまま、雨の中を走る。
 空は曇りで暗いまま、今の時間すらも分からない。マスターが寝たすぐ後に逃げたから、もしかしたらまだ夜かもしれないし、朝かもしれないし昼かもしれない。
 僕は動かない姉さんをおぶったまま、雨の中を歩く。
 もし捕まったらどうなるだろう?マスターは僕を再認識して、僕を壊すかもしれない。だけど、それよりもっと嫌なのは、マスターが姉さんをまた殴る事だ。それだけは避けないといけない。
 でもこの逃避行は、正しいのか?――――――分からない。
 僕は動かない姉さんをおぶったまま、雨の中立ち止まった。
「・・・・・・は、ははっ・・・」
 喉から掠れた、枯れ枝みたいな声が雨に掻き消される。ふと横を見ると、そこには住宅街のはずなのに、沢山のゴミが積まれていた。
「・・・姉さん。・・・・ごめんね?」
 もういっそ、ここで壊れてしまおうか。2人一緒に。
「そうだよ・・・マスターに壊されるくらいなら・・・・・・」
 寒い。冷たい雨をさっきから受けて、全身がかじかんでもう動けそうにない。きっと背中の姉さんも、寒いに決まっている。
「・・・*ねば、もう寒くないよ・・・・・・」
 足を酷使して、ゴミ山に1歩近づく。引き摺る脚は、もうすぐ動かなくなるだろう。冷たい雨に当たりすぎたせいか、エラーが身体中から発生している。もうすぐ、全てが終わる。
「・・・・・・姉さん。僕はいつも、一緒だから」
 その瞬間、雨が止んだ。
「・・・・・・・・・え?」
 身体に降っていた雫が消える。その代わりに、ぼぼぼぼぼぼと何かが雨を受け止める音。
上を見上げると視界一杯に広がる透明のビニール―――ビニール傘、という単語が記憶ベースから弾き出される。
そして、
「傘は入り用かな?少年」
 気障な台詞が、空から降ってきた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります

雨の日の話 Ⅱ

やっと出てきましたね。
 『前のバージョン』で続きます。
 …前の作品はこちら。『雨の日の話 Ⅰ』http://piapro.jp/content/ql41jlxl8yl1bk45

閲覧数:288

投稿日:2009/04/19 21:29:23

文字数:2,255文字

カテゴリ:小説

  • コメント3

  • 関連動画0

  • 秋徒

    秋徒

    ご意見・ご感想

    きゃらめる☆アイスさんへ
     だ、騙された…!てっきり、ロリショタ誘拐は正当な訂正だと思ってましたww
     今Ⅲを書いている途中なのですが…まだ姉さんの謎が書けませんOTL …これちゃんと出てくるの?(ぼそっ 最後までお付き合いください!m(_ _)m


     あと、マオを只の変態ではありません。……紳士さんなのです!(どうでも良い

    2009/04/22 07:55:15

  • 秋徒

    秋徒

    その他

    時給310円さんへ
     ようこそ常連様w今回もコメントありがとうございます!
     このシーンはマオ初登場から『出せたら良いなぁ』と秘かに思い描いていたので、そう言って下さると凄く嬉しいです(*´∀`*) そうです、マオはいつも変態でハイテンションなおバカさんだけど、やる時はやる子なんです!(力説 今後も格好よくなるかもですww
     問題点は前マスターの暴力シーンですが…。成程、それでは何か台詞を考えとかないといけませんね。ボカロは嫁な方々にフルボッコされないよう気を付けつつ、ギリギリまで頑張りたいですw
     「姉さん」については次回明らかに…なるのでしょうか?(ォィ 多分なりません!(ぇ 
     次回も読んでやってください!m(_ _)m

    解:…3回、かな?
     きゃらめる☆アイスさんへ
     そろそろきゃらめる☆アイスさんも常連様殿堂入りですね。コメントありがとうございます!
     何となく設定で、「ボカロは物(ペットと同じ扱い)の方がもえるなぁ…」という理由で窃盗罪が出てきたのですが、彼の場合は誘拐の方がしっくりきますww
     姉さん謎はいつ解明されるのか、それは作者にもわかりません!(ちょ ああでも、ちゃんといつかは解明します!絶対、多分…きっと……(遠い目

     今回も読んで下さり、ありがとうございました!

    2009/04/21 08:15:30

  • 時給310円

    時給310円

    ご意見・ご感想

    なんという大好物な展開ww

    こんばんは秋徒さん、読ませて頂きました。
    いや、この展開は本当にモロ好みです。こういうのを待ってた。マオ美味しすぎです、シリアスなんか似合わなくたって、奴にはありあまるヒーローの素質がある! 俺は信じてたぜっ!
    むしろ、こういうキャラだからこそ、たまに演じるシリアスがグッとくるんですよねー。秋徒さん、狙ってやってるんなら、あなたはホント凄いですw
    ホントに好みの話でたいへん満足なのですが、そうですね。もっと欲を言えば前半の、以前のマスターによる暴力シーンなんですけど。僕はむしろ、もっとやっても良かったと思います。マスターに暴言の1つでも吐かせれば、さらに臨場感が増して、後半のマオのヒーローっぷりがさらに際立ったんじゃないかなー。ピアプロの規制は確かに気になる所ですけど、作品全体の空気が読めれば、あくまで演出ということが分かってもらえるんじゃないかと。まあ僕はピアプロ管理者じゃないんで、「大丈夫!」と保障はできないんですけどね(汗)。
    これは次の展開が楽しみです、「姉」のことも謎のままですしね。次回も楽しみにしています、がんばって下さい!

    2009/04/20 21:50:48

オススメ作品

クリップボードにコピーしました