「これ、誰が作った曲?」
「ミクだけど?」
また、リンがふぅん、と言う。
「何? どこか駄目だった? ギターのスコアはあまり見ないから、見よう見まねなんだけど…」
不安そうにミクが聞くと、リンは首を横に振って、
「ううん、違うの。ただ、すごく簡単なメロディしかないんだな、って」
「結構難しくない? ハードだし、音域も広いし…」
そういったのは、カイトだ。キーボード担当のカイトからすると、広い音域をうまくカヴァーするのは、非常に難しい。勿論、少しくらいの音域ならばどうにかできるが、音が一気に飛ぶところがあれば、それがまた面倒くさい。
「まあね、けど、ギターはそう遠くまで飛ばないから」
「俺、ベースなんだけど、似たようなスコアだね」
と、レンが言った。
「ほんとだ。でも、バンド全員のスコア一人で作るなんて、すごいね」
「ミクはシンガーになりたいんだよね。自分で作詞作曲の。アーティスト」
なるほど、それならばこのクオリティも納得である。確かに簡単な譜面ではあるが、このすべてが合わされば、きっとすごいものが出来上がるに違いない。それぞれの力量の問題もあるだろうが、何しろ、リンは彼らの演奏をまだ聴いたことが無い。期待は膨らむ一方だ。
「皆はどれくらい弾けるの?」
リンが聞くと、全員が曖昧に微笑んだ。
「弾いて見せてよ」
「期待しているほどは弾けないよ」
「いいから、早く!」
勢いに負けて、それぞれ一曲ずつ、披露しあうことになった。勿論、言いだしっぺのリンもやる。
「じゃあ、俺から」
ひょいと手を上げ、カイトが言った。ぱちぱちとまばらな拍手が起きた。
「じゃあラフマニノフの『ピアノ・ソナタ第一番』を」
キーボードでピアノ曲を弾くというのも、なかなか難しいものだ。形は同じような楽器と思われるかもしれないが、音色も、弾き方も、少しずつ異なるものである。柔らかなカイトの弾き方は、どうもキーボードには似合わないように思えたが、そのミスマッチさが寧ろ、その曲のよさを引き出していたのかもしれない。
曲が流れている間は、誰もが無言になった。うまい。ピアノもキーボードもいじったことが無いリンでも、うまい、すごい、と言う漠然とした感動に包まれるほど、カイトの技術はすばらしいものだ。
曲が終わると、ぱらぱらと拍手が起こる。
「すごい、うまい」
言って、リンが笑うと、カイトは照れくさそうに笑いながら、顔を赤くした。
「では、次に私が」
次に立候補してきたのは、ドラム担当のルカである。
「誰か、伴奏をしていただけません? ドラムだけでは、味気ないでしょう」
「じゃあ、俺やるよ」
先ほどもピアノを弾いたカイトが言う。
「曲は何がいい?」
「何でもいいです。あわせて見せます。…知っている曲にしてくださいね」
最後に付け加える。すると、カイトはわかった、と言うようにうなずいて、曲を始めた。先ほどの弾き方とは打って変わって、力強く弾き始めたそれは、ごくごく最近の曲で、ルカは嬉しそうに微笑むと、慣れた手つきでドラムをたたき始めた。
スネアドラム、バスドラム、ハイハット、クラッシュシンバル。それぞれの響きがキーボードの響きと混じり、鮮やかに、映像のように体中に呼びかける。
曲が終わり、ドラムが鳴り止むと、先ほどの拍手よりも、大きな拍手が起こった。
「次は俺だね?」
と、レンが言った。
「行きますっ」
少しだけ緊張した面持ちで、ベースの弦に手をかけた。指が弦をはじき、音が響く。
一気にレンの表情が真顔になり、ベースがうたうかのように音をかなで始めると、それはやがて、ひとつの歌になった。リンの知らない曲だ。しかし、曲のイメージがすぐにでも届くような、力強く、かつ、繊細な曲調がよく表現されている。…すごい。
こんなに高いスキルを持っていながら、なぜ、こんな小さなバンドに収まっているのだろう、と疑問を抱かせるほど、彼らの演奏には華があり、技術があった。
「私たちも、何か歌ったほうがいいかしら?」
「ぜひ!」
「二人でいい? 二人なら、アカペラでもそれっぽく聞こえるから」
「どうぞ!」
もう、なんだか、リンはお勧めをして、それ以外はじっと聞き入ってばかりである。
「♪―…」
声を少しだけ出してから、二人はタイミングを合わせ、うたいだした。
アメイジング・グレイスだ、とリンは思った。そういう歌には興味のないリンでも知っているような、有名な曲である。しかも、少しアレンジが加わり、美しいハーモニーになっている。
何なんだ、この人たち。私、ここにいていいのだろうか?
「最後、リンの番」
と、レンに背中をたたかれてはっと気がつくと、すでにミクとメイコは座って、リンのほうに視線を注いでいる。
「ちょっと恥ずかしいなぁ」
とか何とか言いながら、しっかりとギターを構え、リンは自分が弾ける唯一の曲を、弾き始めた。
初めは静かに、そしてすぐに力強く、リズムの狂いは許されない、音の間違いなど言語道断。弦がはじかれ、振動するたび、リンの心の中が満たされていくような、至福。
誰もがリンの演奏に聞き入った。声は無い。リンのあざや画は手さばき、滑らかにすべるように動く指の動きを必死で追い、やがて、そのスピードの速さに気がつき、ため息を漏らす。
曲が終わっても、拍手は起きなかった。誰もが呆然とリンを見つめ、動かなくなっていた。当のリンは息を切らし、思っていた以上の薄い反応に、戸惑いを隠せなかった。
やっぱり、この中じゃあ、私の演奏、話にならない…?
ぱち。
ぱちぱち。
次第に拍手がおき始めた。それはすぐに大きくなり、
「すごいね、リン!」
とか、
「こんなの、聞いたこと無いよ」
とか、賞賛の言葉が飛んだ。
「これ、すごく難しい譜面だよね? よくできるね」
レンが言った。
「ご、ごめんね、皆うまいもん、私の演奏、全然駄目だったよね…!」
「違うよ、リン! 逆、すごすぎてみんな、驚いてるんだよ」
と、レンが言った。まさか、こんなに弾けるとは思わなかった、とレンは言った。誰もがその言葉に首をたてにふった。まさか、とリンが言うと、
「リン、自身持って。君の演奏、すごかったよ」
レンが笑う。
「まさか、こんなすごい人材が一年生に二人もいたなんてね」
「ええ、リンとレン、すごい戦力よ」
カイトとメイコがそれぞれ、声を漏らした。二人のよく似た新メンバーの思わぬ力量に最も驚いていたのは、この二人だったのかもしれない。
こんなすごいバンドで弾けるなんて。海外留学をけってまで、この小さな大学に来てみた甲斐があった。きっとここなら、もっとうまくなれる。もっと、もっとたくさんの曲を弾くことが出来るんだ…!
リンは嬉しくて、つい、ギターの弦を吸う本気ってしまいそうなくらい、弦を握り締めていた。
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