今回拙者が演じるマンドリカという役について、マスターは拙者に「裕福な田舎侍が都のきれいなお姫様に求婚しに行く、と思って演じるように」という助言をした。このマンドリカという男は熊と渡り合って仕留める豪の者だが、一方で美しいものを愛する繊細な心を持ち合わせている。なかなか興味深い役どころであり、全力を持ってぶつかりたいところだ。こう言うのは何だが……前回は苦痛であった……。
第二幕の舞台となるのは、街の舞踏会が行われる広間で、拙者は伯爵役のキヨテル殿と、ホールを取り巻く階段の下に立っている。そこへ、アラベラ役のルカ殿が、伯爵夫人役のメイコ殿につきそわれて、階段を下ってくるのだ。
「天から舞い降りた天使のようなお人だ」
ルカ殿は迷いがあるかのように、階段の途中で立ち止まる。メイコ殿だけがこちらにやってきて、挨拶をする。しばらくすると、ルカ殿もこちらに来て、拙者に微笑みかける。
「このような場所に興味のあるお方には見えませんが……どのような理由でこちらに?」
「ウィーンにという意味かな?」
「いえ、この舞踏会にですわ」
拙者は乞われるままに、ここへ来た理由を話す。アラベラ嬢の美しい写真を一目見て恋をしてしまい、ぜひとも会いたくてここへ来たという話だ。話自体はさして長いものではないはずなのだが、何か話すとすぐに三人の取り巻きがルカ殿にダンスを申し込もうとするので、しょっちゅう話の腰を折られて中々先に進めぬ。……人が話をしている時は、邪魔などせぬものだと、この者らは習わなかったのであろうか。最低限の礼儀だと思うのであるが。
「父が申しておりました。あなたが私との結婚を望んでいると……でも、私どもは今や没落した家柄ですわ」
羽根でできた扇子を口元に当て、小首をかしげてルカ殿はそう言った。
「何を申されるか、アラベラ嬢。そなたの顔立ちを一目見れば、高貴なお血筋をお引きであることは誰にでも明らかだ。我が領地に一緒に来てくだされば、領地のどこでもそなたは女主人として崇め敬われる。皇帝陛下か皇后陛下でもない限り、そなたが頭を下げる必要などない」
拙者の言葉に、ルカ殿は真面目な表情になった。
「私にふさわしい人……そんな人が目の前に現れたら、その時は運命に従うと誓ったのだったわ……そう……そうよ……」
「そなたはご存知ではなかろうが、我が国にはこのようなしきたりがあってな。婚礼を望む乙女は、夜のうちに井戸で冷たい清水を汲んでコップに満たし、それを想い人のところまで持っていくのだ。そうすると、晴れてその二人は言い交わした仲となる」
ここでしばらく二人の二重唱となる。その中でルカ殿演じるアラベラ嬢は、拙者演じるマンドリカと結婚することを承諾してくれる。
「私の全てをあなたに捧げるとお約束しましょう。ですが……今日だけは私一人にして、あなたは先にお帰りくださいませんか?」
「それは一体どういう意味で?」
「一時間で良いから、ここで踊って娘時代に別れを告げたいのです。お許しくださいません?」
これは正直、奇妙な頼みのように拙者には思える。だが、大切な人にこのように頼まれて、無碍に断るほど、このマンドリカという男は狭量ではないようだ。
「どうぞご自由にお踊りくだされ。ですが私もここに残ろう。だが私のことは気になさらずともよい」
拙者は控え室の椅子に座る。
「本当によろしいのですか?」
「そなたの心の望むままに」
「ありがとうございます」
ルカ殿は舞踏会の広間へと向かわれる。そこには派手な衣装を着た歌姫役のプリマ殿が、三人の取り巻きふくむその他大勢に囲まれて立っている。ルカ殿がやってくると、プリマ殿は舞踏会に関する派手な歌を歌い始めた。
拙者が椅子に座ってぼーっとしていると、メイコ殿が戻って来た。
「あら、あの子は?」
「舞踏会の女王という大役を果たしに行かれた」
一方、柱の陰にはカイト殿とミク殿がいて、何やら話をしている。いや違うな。カイト殿はルカ殿を眺めながら、「僕を忘れてしまったんだ……」とぶつぶつ言っていて、ミク殿が必死に「そんなことない」となだめている。……カイト殿、そういうのを「すとーかー」と言うのではなかろうか? いや別に、カイト殿もやりたくてすとーかーをやっているわけではないのだが……。
拙者はメイコ殿に婚約が成り立ったことを話し、メイコ殿は素直にそれを喜ぶ。正直、メイコ殿がルカ殿の母上役というのは、かなり無理があると思うのだが、それは言ってはいけないお約束なのだそうだ。
カイト殿とミク殿は柱の陰で、相変わらずこそこそと話をしている。カイト殿は戦地に行って、それでも駄目なら自殺すると主張している。それをミク殿に聞かせる必要性はないと思うのだが……男なら年少の者に気など使わせず、すぱっと行動せい。いや、これはカイト殿ではなく、カイト殿がやっておられるマテオという男に言うべき台詞だな。
メイコ殿が食事をしたいというので、拙者は料理と酒と花を持ってきてくれるように頼む。広間では、ルカ殿が三人の取り巻きと順々に踊って、一人一人に丁寧な別れの言葉を告げている。ルカ殿が演じているアラベラという役柄は、きっと、ひどく律儀な人なのであろう。
カイト殿は相変わらず、けりをつけなければとか呟いている。そこへ、一度舞台を離れていたミク殿が戻ってきて「これを受け取って」と、カイト殿に封筒を差し出す。二人はしばらく受け取る受け取らないでもめておったが、結局カイト殿は受け取って、封筒を開く。中には鍵が一本入ってる。
「……鍵?」
「姉さんの部屋の鍵だよ」
「……アラベラの部屋の鍵?」
ところで、もちろん舞台の上での会話は全部拙者の耳に聞こえているが、設定上、拙者の演じるマンドリカには、マテオとズデンカのやりとりは基本的には聞こえていない。だが今の「アラベラの部屋の鍵」という台詞は、聞こえてしまうという設定になっている。なので、拙者は立ち上がって、周囲を見回す。
「マテオ、一度戻って……姉さんは十五分もすればやってくる。その鍵で、姉さんの部屋の隣の部屋を開けて。姉さんは、君のためなら何でもする気でいるんだから」
「これは本当にアラベラの部屋の鍵なのかい?」
「そうだよ。姉さんから君への気持ちだ。受け取って。後で来てね。僕はもう行くよ……」
ミク殿が走り去る。続いてカイト殿も去って行く。
拙者はようやく驚愕から動けるようになって、声を張り上げる。
「今のは誰だ!? 誰なんだ!?」
探すが、もはや相手はいない。拙者は頭を抱えて悩み始める。ついさっき全てを捧げると言ってくれた女性が、他の男に人づてとはいえ部屋の鍵を渡してしまったのだから、悩むのも無理はない。
ふと気がつくと、いつの間にかアル殿が来ていて、メイコ殿を口説いている。……娘に振られたから母親に言い寄るというのは、趣味がいいとは言えないと思うのだが。そこへ今度はプリマ殿がやってきて、拙者にしなだれかかる。
「舞踏会の女王を返して頂けません?」
「言っている意味がさっぱりわからぬ! 鍵をもらったのは私ではない! 封筒の中だ!」
拙者は従者にルカ殿を探すように頼む。が、従者は手紙を持って戻ってくる。手紙には「今日はもう戻って寝ます。明日からはずっと一緒ですわ」とだけ書かれている。そっけない手紙に拙者は混乱してわめきだす。……こういうのは結構面白いな。
「随分と簡素な手紙だな。すぐに騙される田舎者には、この程度で構わぬということか?」
ヤケになった拙者は、舞踏会にきている皆に酒と花を振舞うように命じて、プリマ殿につきあわせてどんちゃん騒ぎをやりだす。驚いたメイコ殿がこっちに駆け寄ってくる。
「一体どうしたのです? アラベラは?」
「知らぬ。教えてもらっていないのでな。ご夫人、シャンパンはいかがか?」
「ドミニク、うちの人を探してきて!」
メイコ殿に言われてアル殿が慌てて駆け去っていく。メイコ殿が、重ねて娘はどこかと尋ねてくる。
「知りたいのは私の方だ」
アル殿とキヨテル殿が戻ってくる。
「娘はどこだ?」
「残念ながら私は知らぬ。ワルトナー伯爵、ご息女はいつもどこかに隠れてしまわれる癖があるようだな」
「アデライーデ、アラベラはどこへ行った?」
「……家かも。急に気鬱の病に襲われたのかもしれないわ」
しばらく夫婦はあれこれもめていたが、結局全員揃って家――といっても、正確にはホテルなのだが――に戻り、娘の所在を確かめようということで話がまとまる。そういうわけで、拙者はメイコ殿とキヨテル殿と、自分の従者とキヨテル殿の友人だという設定のその他と一緒に、ホテルに戻ることになる。その前に拙者は振り返り、大声でこう叫ぶ。
「今日の勘定は私が持つ! 好きにやってくれ!」
集まった人々の歓声が響き渡る中、幕が降りる。
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