夜の街。雲に覆われた街は、冷たい豪雨に襲われていた。耳を澄ませば、雷の音だって聞こえてくる。
 深夜に響く雨の音は、大太鼓をひたすら叩き続けるかのように、鳴り止まないまま。

 時刻は深夜二時。さしている傘の上から、ごうごうと激しい音が聞こえてくる。
 暗すぎる夜。強すぎる雨。激しすぎる風。こんな条件の街を歩く人なんていないはずだろう。


 ……気のせいだろうか。古い建物の近くに、誰か…人が立っている。その人は傘もささず、雨に濡れ続けたまま立っている。
 どうもその人が気になって、私は声をかけた。

「すいません。あなたはどうして、ここで濡れているのですか?」
「…お気遣い、感謝します。いやね、昔のことを思い出していたのですよ」
「昔のこと、とは?」
「立ち話をするのもなんですし、この建物の中で話しましょう」



 立っていたのは、二十歳くらいの若い男だった。紫の、男性には珍しい長髪を後ろで一つにまとめていた。スーツズボンにワイシャツ、ネクタイといういかにも普通の公務員らしき服装で、傘をさしていないから相当濡れているのかと思えば、意外とずぶ濡れというわけでもなさそうだった。
 彼が建物の門に手を触れ力を入れれば、古びた門はギシギシと音を立てて開く。近所迷惑になるのではないかとも思ったが、豪雨でほとんどかき消されているようで、そこらの家から人が出てくることはなかった。
 彼が入り口の扉を開けて中に入っていくので、私も続いて入っていった。傘は閉じて、大きめの傘立てにかけておいた。
 靴箱らしきものがあったが、男は気にせずに靴のまま歩いていく。スリッパが近くにないから仕方がないかもしれないが、さすがに私は靴のまま歩くのに抵抗を感じたので、靴と濡れた靴下を置き、慌てて男を追った。


 男の後ろを歩きながら周りを見るが、厚い雲で空が覆われているから、月の光もなく辺りはほとんど何も見えない。
 それなのに男は道がわかっているかのように、暗い建物の中をすいすい歩いていく。うっすら見える男の後姿と、彼のものであろう足音を頼りにしながら、私も歩く。
 唯一つ不思議なのは、男が歩いた跡に濡れた足跡らしきものがないことだった。放っておけば傘があっという間に蝙蝠傘になりそうなほどの強風と大雨の中に立っていたのだから、靴で歩く度に水が出るはずだが、男にはそれがなかった。
 あの天気の中、さほど濡れていないというのも不思議な話だ。傘をさしていないし、タオルで拭いたような形跡もない。この男は不思議な人だと感じた。


 しばらく歩いて、男は立ち止まる。
 何かを漁るような音がする。恐らく探し物でもしているのだろう。

――シュッ。

 何かをこする音の直後、突如現れた小さな灯。それが移動して何かに移れば、少し周りが明るくなる。どうやら男がマッチで火をつけ、アルコールランプに火を灯したらしい。

「これしか灯りがありませんので、ご了承ください」
「かまいませんよ。それで、あなたは…」
「あぁ、そうでした。昔話をしなければなりませんね」

 そう言うと、男は何かを羽織る。アルコールランプの焔でうっすらと見えたそれは、どうやらぼろぼろの白衣のようだった。
 科学者か何かだろうか。ならばここは施設みたいなものなのだろうか?だが服装から見れば教師なのかもしれない。ここが学校という可能性もある。それならアルコールランプがあっても違和感はない。

「それでは話を致しましょう。数年前、俺がまだ教師だったころの話です……」








<<夏の灯火>>







【学校七不思議】 ―がっこうななふしぎ

都市伝説の一種。七つ全て知ったら呪われる、もしくは隠された八つ目を知ると何かが起きるなど、怖い話の一種として語り継がれる。
各学校に伝わる定番のもの(例:夜になると段数が増える階段、など)から、ある学校にしかない地域限定のものまで様々。

我が○△学校にも七不思議がある。
詳細は事情により全てを記載することができないが、この学校を調べれば全てを知ることはできるだろう。
七不思議のいくつかをここに記しておく。残りは自分で調べることを推奨する。
だが深く首を突っ込むことは、自らを危険に晒すようなものなのでやめたほうが良い。


“旧校舎の音楽室に行ってはならない”

“正門に傘を放置してはいけない”

“満月の夜、学校の裏の泉には近づいてはならない”


                                 ―――○△学校図書室 名もなき本より引用





「…授業とは関係ない質問は、基本的に断っているんだが」


太陽の光が眩しい夏の日、俺は呆れたように呟いた。
鏡音と呼ばれた女生徒は、挙手した右手を強調しながら発言する。


「そんなこと言わずに教えてください!先生は何か知ってるんでしょう?」
「知らん。第一、知ってどうする?この学校の七不思議のことなど」
「どうしても知りたいんです!私の知りたいレーダーはグルングルン唸っています!」
「お前は夜中に荒ぶるバイクか」


普段から何かと騒がしい生徒である鏡音リンは、誰かに迷惑をかけるようなことはあまりしない生徒だと俺は思っている。
騒がしいのは休み時間だけであり、話していることも基本的に他人が不快に思わないような内容だった。
だからこうして俺に迷惑をかけているのは珍しい光景である。


「だがな。知りたいのはいいが、もう少し時と場所を考えてからにしろ。今は授業中だ」
「うう…でもでも」
「――鏡音さん。授業が中断されるので、皆さんが困っています。席に着いてくださいね?」
「ううう…はあい」


学級委員である生徒、巡音ルカによって説得された鏡音はおとなしく席に着いた。
クラスメイトの数人が鏡音を見てクスクスと笑う。
こういう時きちんと注意をしてくれるのは基本的に巡音だけ、そして鏡音は巡音の言うことは聞くので俺としてはかなり助かった。
鏡音は頑固なので、俺が何回言ってもあまり主張を曲げない。だから時として厄介だ。


「ありがとう巡音。じゃ、そういう訳で授業に戻る。教科書九十二ページを…鏡音、読んでくれ」
「え?なんd…あぁ、さっきの罰か。はーい」
「返事は短くな」


場が収まったことにより、教室の空気も僅かに変わる。
中断されていた授業が再開し、教室は鏡音が教科書を朗読する声とチョークが黒板を擦り付ける音に満たされる。
しかし、何故あの鏡音が、授業中にあんなことをしたのか?
そんなことを少し考えたが、すぐに頭の隅に追いやった。





「鏡音、お前何か聞きたいことあるって言ってなかったか?」


清掃中、鏡音が授業中に、何かを聞きたがっていたのを思い出す。
教室をほうきで掃いていた俺は作業の手を止めずに、眠そうに窓を拭く鏡音に問いかけた。


「あぁ…この学校の七不思議のことです。神威先生は何かご存知ですか?」
「七不思議?そういやあったな。“呪われたピアノ”とか“止まない涙”とか。“正門の傘子さん”なんてのもあったか」
「そうです。その三つについては私も知っています」


七不思議なんてありえないと思っていたが、どうやらこの学校には本当にあるらしい。

『呪われたピアノ』については、旧校舎の音楽室に生徒の霊が出て、その霊が弾くピアノを聴いたら朝までそこから出られなくなる、とか。
『止まない涙』ってのは、職員玄関の天井の一部からずっと水滴が落ちているやつだけど、あれはただ単に雨漏りが酷いだけだ。
『正門の傘子さん』は…正門に傘を放置すると、どこからか女の子がやってきて……なんだっけな?覚えてない。


「それで…他の先生にも聞いてみたんですが。神威先生は“月神様”って、何か知ってます?」
「…月神様?」


なんか、他のやつと全然雰囲気が違うタイトルだ。
シンプルというか、なんというか。
だけど、シンプルなやつほど怖かったりするよな。


「俺は全く聞いたことがないな。鏡音はどうしてそれを調べようと思ったんだ?」
「ん?うちの学校の校則、生徒手帳にも載ってるんです。でも生徒手帳にしか書かれていない校則が、たった一つだけあることに気づいて。これです」


鏡音が、生徒手帳のあるページを開いて渡してきた。
それを受け取り、鏡音に指で示された文章に目線を向ける。

そこにはこう書かれていた。
『満月の夜、学校の裏の泉には近づいてはならない』

……?
こんな校則、見たことも聞いたこともない。
教師である俺でさえ知らない校則なんて…なんで生徒手帳にだけ書かれてるんだ?


「これがお前の言う“月神様”に、何か関係があるのか?」
「多分そう。これ、うちの学校の七不思議の一つなんです。夜に学校に近づくこともしないのに、なんで裏の泉なんだろう?しかも満月の夜に限って」
「…鏡音さん。それについて、あまり詮索しないほうがいいと思う」


黒板を消していた巡音が口を挟む。
彼女はさっきからこちらをチラチラ見てたけど、ずっと会話に入ってこないから俺はあまり気にしていなかった。
見ると、巡音の表情は僅かに苛立っていた。


「七不思議なんて知らないほうがいいの。実態が明らかじゃないものなんて、あまり首を突っ込まないほうがいいものよ」
「な…なんでそんなこと、ルカに言えるのよ!」
「言っちゃ悪いの?もしその七不思議が冗談とかじゃなかったら、取り返しのつかないことになるんじゃない?」


淡々と、用意された台本を読むかのように、巡音は言葉を続けた。
それは、聞きようによっては、リンを子供だと言っているようなものである。
俺も同意見ではあるが。


「一応…忠告、したからね」


そう言うと、巡音はどこかへ行ってしまった。
手がチョークの粉まみれになっていたから、多分水道へ手を洗いに行ったんだろう。
これ以上話を続ける気にもならないので、俺は教室の掃き掃除を再開した。



「……ルカ…なんなのよ」


鏡音が、ぽつりと何かを呟いた。
その声ははっきりと聞き取れなかった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

夏の灯火 ―上―

最近、カレンダーを見てて気づいたことがありました。
「あれ…もしかして、もう夏って終わっちゃう?」
どうも、ゆるりーです。

この話はタイトルに「夏」とあるので、夏のお話です。
元々は「君に決めた!」の企画に出そうと思っていたのですが、かなり長くなりそうだったので諦めました。
「夏が終わるまでに出せばいっかー」程度に考えていたら、もう8月が終わりかけています。
とりあえず、上だけ出しました。

なので、まだランクは上がらないと思います。
だって上だけだもん。完結してないもん←

閲覧数:270

投稿日:2013/08/26 12:40:03

文字数:4,169文字

カテゴリ:小説

  • コメント1

  • 関連動画0

  • しるる

    しるる

    その他

    ゆるりーさんの世界観にやられたー
    というより、やっぱり情景関連が、ただ感心するばかり
    会話部分にはゆるりーさんらしいものが、残ってて安心w
    あ、いい意味でね?ww

    さ、続きはどうなるのかな?ワクワク

    夏は暦の上では、夏終わりそうですね
    でも、まだ暑い日々は続くんではないかと、思う毎日
    はやく涼しくなればいいのにww

    2013/08/29 12:12:39

    • ゆるりー

      ゆるりー

      一年に一度くらいは、こういうのを書きたくなるんですよ。
      イライラしたときとか←八つ当たりに近い
      情景に関しては、いつも苦戦ながら書いてます。難しいですよね。
      私らしいもの…?(´・ω・`)

      続きはほとんど決まってません!w

      九月は、雨が多そうですね。
      そういう意味では涼しくなりそうですが、逆に寒そうな気も…

      2013/08/29 12:44:05

オススメ作品

クリップボードにコピーしました