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念のため。
悪食娘コンチータ 第二章 コンチータの館(パート13)
「遅いなぁ。」
リリスは皿洗いを一通り終えると、小さな溜息と共にそう呟いた。ここのところ料理人がいないものだから、食事の支度から後片付けまで、全てレヴィンと二人で回さなければならない。この後レヴィンと二人で食事を摂って、その後すぐに就寝。召使の朝は早い。早く就寝しなければ到底体力が持たないからだ。
暫くはいいけれど、シオンの身体が尽きたら、今度の食事はどうするのだろう。
レヴィンを待ちながら、リリスはぼんやりとそう考えた。今は何も言ってこないが、もう一度料理人を雇わなければならないかも知れない。果たして、この仕事を長く続けられる肝の据わった人間が私たち以外に存在しているのだろうか。しかも、こんな片田舎で。
リリスがそう考えた時、小さく蝶番がきしる音が響いた。レヴィンが戻ってきたのだろう、とリリスは顔を上げて、そして息を飲んだ。
「ああ、リリス、ここにいたのね。」
それはレヴィンではなく、バニカであった。バニカが厨房へと顔を出したのはリリスが着任して以来、初めてのことであった。否、それよりも。
「どうなさいましたか、コンチータ様。」
慌てて立ち上がりながら、リリスは厨房の中央に置いたランタンの淡い光に照らされたバニカの表情を見つめた。その口元には。
「ねぇ、リリス。」
薄い光源であっても見間違えがたい、にたりと歪める唇に塗られたものは口紅ではない。まるで宝石のようにぬめる、紅い鮮血。一体、何が。
「貴女も、美味しそうね。」
ゆらり、と光るナイフが、リリスの視界に飛び込んできた。その切先はバニカの口元と同じように、純度の高い赤色に染まっている。
「レヴィンの血は、とっても美味しかったわ。」
ひ、と小さくリリスは鳴いた。恐怖で引きつった喉からはまともな言葉すら出てこない。だた、一つだけ、強烈にリリスは理解した。
喰われる。
「あのね、このナイフで頸から裂いたの、あは、あの時のレヴィンの表情、とっても素敵だったわ。何が起こったかわからないみたいに、ぱくぱく、ぱくぱくと口を動かしてね。」
どこ、どこに逃げればいいの。
「そうしたら、まるでポンプが噴き出すみたいに、レヴィンの頸から血がたくさん飛んじゃったの。だから、私慌ててレヴィンの血を飲んだの。傷口から直接、沢山ね。」
そうだ、勝手口、この厨房には勝手口がある。あそこから逃げれば。
「絞りたての血は最高ね。あれ以上の食材はこの世に存在しないかも知れない。だって、とっても美味しかったもの。ちょっと、お掃除が大変だったけれど。」
いやだ、死にたくない、怖い、いやだ、死にたくない!
「逃げちゃ駄目。」
甘く、優しく、バニカはそう言った。バニカから背を向けて、震える足を無理に動かしているのだろう。動きすらおぼつかないリリスが渾身の想いで勝手口のドアノブに手をかけた。
「駄目よ、リリス。」
直後に、背中に焼けるような痛みが走る。熱い、恐ろしく冷たいくせに、痛みはまるで灼熱棒を直に皮膚に当てられたかのよう。そのまま鋭い刃が、まるで弄るようにリリスの体内へと侵入してくる。ぷつり、と音がしたのはどこかの筋肉が切り裂かれたからだろうか。
「いたい、いたいよ。」
「もっと鳴いて、リリス。今の貴女、とっても素敵よ。」
「しにたくない、」
レヴィン、たすけて。
それからの数日間、バニカはただ貪るように肉を食べた。料理人は勿論、仕えるべき召使もいない中で、バニカは自ら人肉を熟成させるために空き部屋の一つに人体をつるし、今日食べたい分だけを切り取って自ら肉を焼き、たった一人で歓喜しながら食事を続けた。まるで玩具を与えられた子供のように楽しげに、それでもきちんと食べる時間だけは律儀に守りながら。
初めは熟成が進んでいるシオンから、次にレヴィン、最後にリリスという具合に、バニカはその食事を続けていった。特にレヴィンとリリスの肉は最高だった、とバニカは思う。やはり肉が柔らかいほうが美味しく仕上がるらしい。レヴィンは子供であったゆえに柔らかさを保っていたのだろう。だが、食べるなら幼女に尽きる、とバニカは考えて、ある時分かりきった事実に気付いて恐怖した。
今日で保存していた肉が、全て尽きる。
それはバニカが想定していなかった、最悪の事態であった。否、必然であったにも関わらず、バニカはその事態が起こることを意図的に無視していた。だが、いくら無視していたとしても、その日は必ず来る。
もう、食べるものがいない。
バニカは錯乱したように頭髪を掻き毟りながら、そう悶えた。最後の肉を食べ終えた直後から、バニカはまるで鉄格子に放置された猛獣のように無意味に食堂をうろつき、時折奇声を上げながら頸を大げさに振って悶えた。
だから、その時、その手紙に気付いたのは、バニカにとっては幸運であったといえるだろう。それはレヴィンを殺す直前に手渡された、実妹のフレアからの手紙だった。まるで藁をも掴むような心境で、バニカはペーパーナイフすらも用いずに両手の力で封筒を切り裂くと、真っ赤に充血した瞳でその手紙を舐めるように眺め始めた。その瞳はやがて、絶望から沸き起こるような歓喜の色へと変化してゆく。今日はいつだったか、日付け感覚を失って久しいが、確か、十月十九日。
「ああ、明日、もう明日!肉が来る!嬉しい、きっと美味しいわ、ああ、良かった、これでもっとお肉が食べられる!」
バニカは安堵した衝撃からか、ほろほろと涙を流しながらそう叫んだ。
『親愛なるお姉様へ
ご体調は如何でしょうか。
コンチータ領地は自然に溢れる、落ち着いた場所だと聞いております。お姉様が早くご健康を取り戻して、王都へと戻られることを今から心待ちにしておりますわ。
さて、お姉様。そろそろ収穫祭前の休暇の時期になって参りました。王立学校も例に漏れず、十月の初旬から十一月の頭まで、長期の休暇が予定されておりますわ。私も時間がありますので、その休暇に合わせて一度お姉様のお見舞いにお伺いしようと思います。王都からコンチータ領までは一週間の旅程だと聞いておりますから、十月二十日にはお姉様のところへ到着できると思います。ご迷惑かも知れませんけれど、愚妹がお姉さまに出来る唯一のこと、どうかご容赦ください。それでは、お姉様、お会いできる日を今から、首を長くして待っておりますわ。
P.S また、お姉様がお好きなクリームチーズのタルトをお作りしたいと思っております。今度は上手く出来るかしら・・。
王都より愛を込めて
フレア=マーガレット』
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