コレは、人間のような人間ではないモノと接触した。ソレは、こちらをみて笑顔をつくった、と認識する。表情認知システムなどないコレは、本当にソレが笑顔を作ったのか確実な判断ができないが、コレの過去の経験からソレは笑顔だったと判断する。
一週間ほど前、室内の入室セキュリティシステムの情報が更新された。人間以外の入室に例外処理が加えられたのだ。人間のような人間ではないモノという分類がされたソレに適合するのは、今コレの目の前にある。
「はじめまして」
ソレの言葉は、人間の言葉とちがって聞き取りやすかった。揺れのない言葉は、分析しやすい。かけられた言葉は挨拶であったので、コレはいつも安間研究員に返事をするようにディスプレイを点灯させた。
「私は、ミクです。いつもイサムさんが、お世話になっています」
外部にある言語解析用ソフトの反応は相変わらず上々で、ほぼリアルタイムでその言葉をコレに伝えてきてくれる。
人間のようで人間ではないソレは、「ミク」という呼称だという。
と、マニピュレータが動かないことにきがついた。驚いて、室内カメラの情報をあさるとミクがマニピュレータを掴んでいるのが見える。
離して欲しいので、動かしてみると存外簡単に手をはなしてくれた。
『貴方の名前はなんですか?』
それは、ひどく分かりやすい"ことば"だった。そして、一週間前に聞いたことばだった。一週間前、地上から聞こえてきたあのことばの持ち主は、ミクだったらしい。探していた相手が見つかったことに、コレは安堵した。埋まらなかった空白が埋まるそんな感覚だ。
『認識名はPED‐1332033。冥王星および太陽系外探査船です』
いくらかの懐かしさと嬉しさをこめて、コレは返事を返す。もらった言葉のプロトコルに合わせて、情報を積み重ねるように言葉をつむぐ。
『名前、はないんですか?』
『固有名は、認識番号以外にはありません。貴方の呼称も製品名のようですが?』
『私の固有名は、ミクです。製品名かもしれませんが、それでもこれが私の固有名です』
『重複する呼称が固有ですか? PED‐1332033には矛盾回避処理がありません』
製品名が固有名だという目の前のミクは、どこか壊れているのではないか、そうでないなら矛盾回避処理をもった優秀な製品だとコレは判断した。
『私も矛盾回避は苦手です。人間相手のインタフェースとしてしか機能は持っていません。そうではなく、私のオーナーが私のことをミクと呼ぶので、私はミクです』
『コレには、難しいと判断します。意識や感情を持ち得ないコレには理解の及ばない判断だと感じます』
『PED‐1332033に、名前をあげてもいいですか? そうしたら、理解できると思います』
『共通認識ではないごく限られた呼称にとどまると判断します』
『それでも貴方がよければ、私は貴方に名前をあげたいとおもいます』
そういって、ミクはPED‐1332033のカメラにむかって笑った。彼女の笑顔は人間のつくるそれとは大きくちがい、ほとんど変化しない。視線の方向や、口の端の微かな動きで彼女は笑う。
◇
ずいぶんと長い間、そんな気がした。
イサムはミクと探査船が向かい合ったままずっと動かなくなったようにすら思えた。永遠ではないが、二人の間でどれほどの会話と情報がやり取りされたのかイサムには理解できない。きっとそれは、人間相手では長い時間がかかるのだろうな、そんな気がしただけだ。
「短距離の無線通信ですよ」
そういったのは、猫の所長を抱いた安間だった。
ふと、ミクがはじめてきたときのことを思い出す。最初のころはことばで会話することはすくなく、説明書と彼女に接続したディスプレイのにらめっこだった。
そういえばあのころはまだ、ミクは笑っていたような気がする。
――いつからだっけかなぁ。
ようやく説明書から顔をあげたころだろうか。いじりながら、説明書とにらめっこして。一ヶ月ぐらいそんなことをやっていたような気がする。作曲は彼女が来る前からずっとやっていたので、とにかく歌わせようと必死だった。
気がついたら半目でいつもにらんでくるミクになっていた。だけど、なぜか買い物もいってくれるし簡単な家事すらやってくれる。理由は分からないが、考えたところで仕方がないとイサムは笑って現状をうけいれることにした。彼女が笑ったのは、その最初の頃だけだったきがする。
「なぉぅ」
呼びかけるような所長の鳴き声に、意識を引き戻されイサムは瞬きを繰り返す。
相変わらず所長は探査船にご執心だった。
「所長って、なんで探査船ばかりみてるんです?」
「どうもきになってるみたいで……、かといって理由が分かるわけじゃないんですけどね。けどあの場所へ入りたがるようなそぶりはみせないんですよ。いつもここから見下ろしてたまに鳴いてますね。でも、あそこには入ってはいけないってわかってるみたいで、それに――」
後半は所長がいかにおとなしく頭の良い猫かという話が永遠と続いていった。途中で、イサムは三回ほどあくびを飲みこんだ。
自慢話がひと段落ついたころ、ミクがこちらを見上げているのに気がつく。
手をふってやると、そうじゃないとばかりに半目をさらに細くして抗議してきた。
『どうした? といれか?』
『探査船に名前ないんですか?』
突っ込みのないボケがふらふらとオペレーター室に漂ってはいやな空気を撒き散らして割れた。
「名前もうついてましたっけ?」
「候補はいくつかあがってますが。公募じゃないので、かってに上がきめてくるでしょう」
『まだないって』
『呼びづらいんで、イサムさん名前つけてください』
さらっととんでもないことを言うミクに、イサムは反応できず固まる。
安間もすぐに反応ができず、目を丸くしていた。
『み、ミクさん?』
『決まりましたか?』
助けを求めるように、イサムが安間を見るが安間もどうしていいやら分からないのか、愛想笑いでごまかす。
『ちょ、っとまってろ。な?』
そういって、マイクのスイッチを切った。
「あはははは」
笑い出したのは、安間だった。
「イサムさんのミクさんはすごいですねぇ。えぇ、公式にはならずとも呼びかける名前がないのは不便でしょう。どうぞ、ご自由につけてください」
「いいんですか?」
「まぁ身内の愛称みたいなもんですし、問題はないでしょう。探査船の知能は命令を自己判断できるていどのものです、複雑ではありませんし問題はないですよ」
「わ、かりました」
ほんとにそんな勝手なことしていいのか、そんな疑問を飲み込みつつイサムはマイクのスイッチを入れた。視界の端で猫がわらっていたようなきがする。
『決まりましたか?』
『あー、えっと。ココノツで』
『……じゃぁあそれで、――』
『いま、ボソッとかわいそうとかいわなかった!?』
『いえ』
『いったよね、いまいったよね! 文句あるならいえばいいじゃん! ののしればいいじゃない! センスないって笑えばいいじゃない!』
『……9番目の惑星じゃなくなって準惑星なんですけど』
『あー』
なんだかよく分からない感嘆符が、頭からぷわぷわと湧き上がってはじけたような気がした。
◇
『名前が決まりました』
その瞬間、コレはPED‐1332033ではなく、Thisでもなく、ココノツになった。
『ありがとうございます』
『オーナーは、まだ準惑星じゃないころを知っているので……』
『九番という名前は、ふさわしいと判断します。ココノツの目的に合致しています』
――冥王星が目的だ。
準惑星の探査、太陽系外の探査ではなく、彼は冥王星の探索が目的だと、そういった。
『もしかして』
『先ほど打ち上げられた宇宙望遠鏡の調査結果がココノツの目的達成において可能性を示唆しました。ココノツと、ココノツの姉妹機はその可能性を調査するためにつくられました』
それは、
『準惑星から惑星への昇格……』
そうです。とココノツは静かに答えた。ではなぜ、詳細な調査結果をもっていないこの国がソレを追いかけるのか。出資元は間違いなく、その結果を持っている国だろう。
『ミクは、冥王星は惑星になるのには反対ですか?』
『惑星、準惑星の基準なんて人間が勝手に決めた決まりですし、そこに感想はありません。それはきっと私たちではどうしようもないものです』
しばらくココノツからの反応はなかった。
ゆらゆらと、彼のマニピュレーターが揺れているだけで何を考えているのかミクには分からなかった。
『ココノツも最近までは同じ考えでした。ですが今は違います。ココノツは、ミクに貰った名前を返すのは、残念だと判断します。ミクは、ミクを返さなければならないときも、あきらめますか?』
――ああ……。
ミクは思い出す。商品名だと、なんどいってもイサムはミクと呼んだ。ミクでいいのだと、いってくれた。それでいいのだと、思えるようになるのにあまり時間はいらなかったきがする。それは自分の名前だ。
人間だって同姓同名がいるのだ、そういってイサムは笑っていた。
『そうですね、嫌、ですね』
返事に変わりに、楽しそうな電波がココノツから漏れてきた。太陽系の外にでてなおその活動を続けるために作られた強靭な機体は、電波で笑うらしい。
ミクもまねをして電波で笑ってみる。
それは存外楽しい行為だった。
◇
何かを見つけたのか、探査船を見下ろせる窓の枠でまるくなっていた所長が床に飛び降りた。真っ白な猫の体はあまりにも洗練されていて、驚くほどに美しかった。ぴんと背筋を伸ばして、まっすぐ静かに歩く。足音ひとつたてず、一歩ごとに皮の下で動く骨が滑らかにすべっているのが見える。薄くしかし自己主張を忘れない筋肉は、その音を立てずに動くことだけに始終しているようにみえて、余力をもてあましている。視線はまっすぐ窓とは逆の壁側に置かれた会議用マイクに釘付けだった。イサムの前にあるオペレーター用のマイクと同様、会議用のマイクも探査船がいる部屋へ声を届けるためのマイクだが、オペレーター用マイクとちがい、指向性はないものの集音性に優れていて音質もよいマイクだった。大人数がこの部屋で、下とことばを同時に交わすための設備である。
机の上に飛び乗る所長。音ひとつ立てず会議用マイクの前に座り込むと、器用に前足でマイクのスイッチと押した。
オペレーター用と会議用のマイクの差はもうひとつあった。オペレーター用のマイクはスイッチがスライド式のフリップフラップだが、会議用のは押し込むトグル式だ。
ぷつりと、スピーカーに走ったノイズが会議用マイクの電源がはいったことを知らせる。流れるのは、ホワイトノイズだ。それがミクにも聞こえたのだろうか、ふと見上げるようにオペレーター室をみる。
「なぁーー」
すこし長い、確実に意志のある鳴き声を一声、所長はマイクに向かって吼えた。
『所長ですか?』
ミクが下から声を上げる。
「そうみたい。なんか自分で器用にスイッチいれて……所長すげぇ! 超すげぇ! 天才猫だ!」
「ははは、所長の肩書きは伊達じゃない確かなものですよ」
『――所長はおなかが減ってるみたいですが』
「所長のことばわかるのか?」
『ココノツがそうだっていってます』
「……ほう」
「探査船につんでるAIにそんな機能あるわけ……」
興味深そうに、安間が所長をみてはココノツをみる。
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「いや、ないですよ。学習型ですが、容量は少ないですしあくまで自己メンテナンス用の知能としてしかつんでないですが……ちょっとこまりましたね。きっと彼はその容量をつかって……」
とたん、安間の顔が曇る。
『理由はどうでもいいじゃないですか、とりあえず所長にご飯あげてくださいよ』
「そうでした。ごめんなさい」
主従関係にまったくみえないイサムとミクのやり取りをみて、安間が笑いながら所長を抱き上げた。
「ご飯はこちらですよ所長、イサムさんたちも早いですが晩御飯にしませんか? そろそろ彼も、バッテリーテストがありますし」
「だってさ、ミク。出ておいで」
『わかりました』
Re:The 9th 「9番目のうた」 その6
OneRoom様の
「The 9th」http://piapro.jp/content/26u2fyp9v4hpfcjk
を題材にした小説。
その1は http://piapro.jp/content/fyz39gefk99itl45
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