12
『わかってる! いま大急ぎで引き返しているところだ! しかし……ええい、どんなに急いでも三時間はかかるぞ!』
四輪駆動車の助手席なのだろう。ハーヴェイ将軍の怒鳴り声の奥からは、四輪駆動車のエンジンがうなりをあげている。
「ここは、あと……二時間持てば長い方でしょう。実際には一時間弱かと」
こちらはこちらで、そう遠くもない距離からけたたましい銃声が鳴り響いていた。ハーヴェイ将軍にも聞こえていることだろう。
『くそ、くそ、くそっ! こっちの陣地には誰一人来ておらんのだぞ。なぜだ、誰がこちらの布陣を漏らしたのだ!』
「それは私にも……」
『そうだな。あんたに当たっても仕方がない。とにかく……死ぬなよ。私たちが来るまでは持ちこたえろ』
「できるだけ……善処するわ」
そう言ったものの、自信はなかった。ケイトを情け容赦なく殺したESSLFのことだ。私もまた……あっけなく殺されてしまうのではないだろうか。
『国連はどうなっておる?』
「現状のUNMISOLの戦力では……自衛で手一杯でしょう。私が国連本部で派兵増を認めさせましたが、それもまだ一ヶ月前のことです。増援を期待するのは……」
『甘い考え、か』
将軍が私の言葉を引き継ぐ。
『ミス・グミ。あんたの前に……ケイトの言葉に耳を貸さなかった私のせいか』
「ハーヴェイ将軍……」
言葉を返せなかった。
将軍はすでに、首都陥落を視野にいれている。……私の死も。そしてそれはちっとも大袈裟な想定ではなく、かなり高い確度で実際に起こりうるものだ。
自分自身が子ども兵だったころでも、ここまで状況に絶望したことはなかったかもしれない。まあ、当時は状況把握すらできていなかったから、というのもあるけれど。
行政府庁舎は敵に囲まれ、まもなく侵入を許すだろう。
首都防衛をしている政府軍は――前線に出さないため、と配置されていた味方の子ども兵もいたはずだ――ESSLFに蹂躙されている。アラダナの東側に展開していた政府軍の主力は間に合わない。UNMISOLの援軍もまた、望めそうにない。
状況は、これ以上になく、文字通り最悪だった。
『……仇はとる。必ずな』
ハーヴェイ将軍の重苦しい言葉に、私は苦笑した。
「私に限って言えば……いいんですよ。仇なんて取らなくても」
『なにを――』
「そのせいで更なる悲しみを生んでしまうなら、仇討ちなんて要りません。憎しみの連鎖は……私で終わらせてください」
将軍の方も私の方も騒がしくて仕方がなかったのに、将軍が電話越しに息を飲むのがわかった。
『ミス・グミ・カフスザイ。あんたは……とんでもない人だな』
「はい?」
『聖人にでもなるつもりかね?』
どこかあきれたような口調だった。
「別に、そんなつもりでは」
『……まあいい。ミス・グミ・カフスザイ。あんたの願いは確かに聞き入れた』
「ありがとうございます」
『いや……感謝されるほどのことではない。他に、私に求めることはあるかね?』
私は少し考えたけれど、答えはたった一つしかなかった。
「……平和を。この国に」
『わかった。必ず為し――』
突如、すさまじい爆発音が鳴り響き、通話が途切れる。
受話器を握りしめたまま、私は音の聞こえた方角を見た。それは行政府庁舎の正面玄関側だ。
「来たわね……」
一時間も持たなかった。その事実にも、せいぜい諦念を抱くくらいしかできることがなかった。
大統領執務室を見回す。
エリックを送り出してから、すでに三時間が経過していた。リディアはどこに隠れたのか、いまだ見つかっていない。その間この執務室には、事務員の男性が三人逃げてきていた。彼らがスパイであるとはとても思えなかった。どうせ自分が持っていても使わないからと、エリックから預かった自動式拳銃は、彼らの内の一人に渡してしまった。
エリックとモーガンは時折顔を出していたが、このまま庁舎内が戦場になってしまったら、もう戻ってこないかもしれない。
「もうおしまいだ……」
「死にたくない、死にたくない……」
怯える二人を横目に、私は使えなくなった受話器を置いて、執務室の扉に近づく。
「おい、危ないぞ!」
三人目の男――私が渡したエリックの自動式拳銃を持った男だ――の声も構わず、扉を薄く開ける。
扉の外は数メートルほど廊下がまっすぐ続き、突き当たりで左右に道が分かれている。あそこから向こうが行政府庁舎の中庭で、突き当たりの窓ガラスからは中庭を挟んだ反対側の建物の壁が見えている。
廊下には兵士たちが集まり出していた。庁舎内の兵士たちですら、もうここまで追い詰められているということか。
窓ガラスが割れ、廊下の天井に無数の弾痕が刻まれる。ざわめきながら兵士たちがその場に伏せた。
中庭の向こう側から、敵が撃ってきている。
――さっきの爆発音は、この建物が爆破された音なのね。
そしてそこから、敵がなだれ込んできた。味方は爆発の混乱に太刀打ちできず、あっという間に追い詰められつつある。……たぶん、そういうことだ。
ひゅん、という擦過音が聞こえたと思ったら、扉に穴が開き、木片が飛び散る。
「うわぁっ!」
「神様。神様……」
「助けて……」
その流れ弾に、執務室内で悲鳴がこだまする。
「……!」
そんな状況で、ようやく求めていた姿が廊下に現れた。
モーガンとエリック。そしてエリックに手を引かれている少女、リディアの三人だ。
「よかった……リディア、エリック、モーガン! こっちに!」
私の声にエリックとモーガンがうなずき、リディアの顔がぱあっと明るくなった。
ようやく一息つける、と三人の緊張が解かれ、こちらに歩き出そうとした瞬間。
エリックの首が鮮血に染まった。
一瞬遅れて、軽い破裂音が耳に届く。
エリックの首が力なく折れ曲がり、顔があらぬ方向を向く。ヘルメットが外れて床に落下する。首からはグロテスクな赤いシャワーが噴出し、遅れて全身から力が失われて倒れていった。
「エリック!」
血相を変えたモーガンが、とっさにエリックの身体を支えようとする。が、どう見ても手の施しようがない。
「きゃあああああ!」
リディアが悲鳴をあげ、握っていた手を離すと脱兎のごとくやって来た方向へ――私のいる執務室とは反対側へ――駆け出した。
「リディア、ダメ!」
モーガンに抱えられて崩れ落ちるエリックの姿から目が離せないまま、それでも少女の名前を呼ぶ。が、中庭からの再度の銃撃に誰もがその場に釘付けになっていて、少女の姿はあっという間に消えてしまう。
「ああ……エリック」
「ダメだ、ミス・グミ。こっちに来るな! エリック……モコエナ中尉は死んだ。巻き添えを食らう、執務室に戻れ!」
モーガンはエリックを床に横たえると、自動小銃を構えて中庭に向き直る。
「でも――」
私は扉から身を乗り出す。
私が、彼に指示をした。
彼の反対を押し退けて、リディアを探して、と。
そしてそのせいで、エリックが死んでしまった。
……私のせいだ!
「くそっ。出てくるなって言ってる!」
中庭に銃を向けたまま、こちらを振り返ってモーガンが叫ぶ。だけど、自分の歩みを止められなかった。
いてもたってもいられなかったのだ。
そんな私を見かねて、モーガンが自動小銃を肩にかけ直してこちらにやってくる。
「戻るんだ!」
私の肩をガシッとつかんで引き留める。エリックの死体まで、気づけばあと三メートルのところまで出てきていた。
「なんでこんな……」
「ああもう、ちょっと乱暴にしますからね!」
モーガンは有無を言わせず、私を抱え上げて執務室へと引き返させる。
開いたままの扉を抜け、モーガンはそのまま後ろ手で扉を閉める。
くずおれたエリックの姿が、閉じられる扉の向こうに消える。
「ああ……」
「ミス・グミ! 貴女はここから動かないでください」
私を下ろして、モーガンが叱責してくる。
「でも、私のせいでエリックが……」
「今ここで貴女が死んだら、なおさらエリックが無駄死にしたことになる!」
「っ!」
モーガンがサングラスを投げ捨て、私を直視した。
初めて見るそのダークブラウンの瞳に射すくめられ、息をのんだ。エリックの突然の死に呆然としていた頭が、ようやく動き始める。
「さっきの爆発で応接室がやられました。あそこに逃げ集まっていた連中は全滅です。……ラザルスキ大統領も。貴女はきっと、戦後のこの国に必要な人だ。だから、生き残ってもらわなきゃならない」
「そんなこと言われても……え?」
ラザルスキ大統領臨時代理が死んだ?
「たまたまなのか、狙われたのかはわかりませんが……事実です」
「そう。……そうだ、リディアが――」
「ここはもう戦場なんですよ。残酷なことを言うようですが、もうあの子を探しには行けません」
「そんなこと――」
言いかけて、口をつぐむ。
……そう。モーガンの言う通りだ。今は他人の生死を気にしている余裕すらない。
つらいけれど、そうしなければ私も死んでしまう。
でも、それももう……時間の問題ではないか?
「……すみません。元々は俺のミスです。あの子を逃がしていなければ、こんなことにはならなかった」
「いいえ、いいのよ。もう……仕方がないわ」
起きてしまったことは……どうにも、ならない。
これまで、さんざん思い知らされ続けてきたことだ。なのに、それでも……納得するのには時間がかかる。そんな時間さえないのだと分かっていても。
自らを安心させるように自動小銃の残弾を確認するモーガン。
「とにかく、なんとかして生き残ら――」
爆発音。
さっきモーガンが閉めた扉が爆風にきしみ、すき間から粉じんが漏れる。
とっさに顔をそむけたところで、モーガンが私を守ろうと覆い被さってくる。
「ひぃっ!」
「うわっ」
私たちの背後で、男たちが悲鳴を上げる。
「ミス・グミ。デスクの裏へ!」
叫ぶモーガンに言われるまま、私は執務室のデスクを回り込む。
デスクの裏でしゃがもうとしたとき、騒がしい音を立てて片側の扉がゆっくりと倒れた。爆風に蝶つがいがもたなかったのだろう。
片側だけなくなった扉の向こうは、もうもうと立ち込める煙でなにも見えなかった。けれど、先ほどまで散発的に聞こえてきていた銃声は止んでしまっていて、爆発が起きたのはすぐそこの味方が集まっていたところなのだということが、ハッキリとわかってしまう。
この爆発は、執務室前の廊下に陣取っていた味方を仕留めるための、敵の攻撃だったのだ。
私はカンガで口元を隠して粉じんを防ぐ。
「くそっ……」
それを裏付けるように、中庭の方から歓声が聞こえてくる。こちらに壊滅的打撃を与えたことを喜ぶ敵の声だ。
モーガンが自動小銃を構えてデスクを乗り越え、粉じん越しにでたらめに撃つ。一見無駄撃ちかとも思ったが、歓声が一転して悲鳴に変わったところを見ると、意味がなかったわけではないらしい。
しかし、数秒と経たずに、かちん、と軽い音をたてて自動小銃が弾切れになる。
「これで……時間稼ぎになればいいが」
予備弾倉もないのだろう。モーガンはあきらめたように自動小銃を床に放り、腰から自動式拳銃を抜きつつこちらに引き返してくる。
「……」
「……」
つかの間の、奇妙な――それでいて張り詰めた――静寂。
執務室内だけでなく、外からもなにも聞こえてこない。
本当にこの部屋の中にいる以外に味方がいなくなってしまったのかもしれない、と思わせるに十分な状況だった。
私の隣で膝をついているモーガンの二の腕をつかんでいたのだが、見れば緊張のせいか、自分ができうる限り最大の力で握りしめてしまっていた。
「ふー……」
自らを落ち着けるように、一度深く息をはいて、手に込めすぎた力を抜く。それに気づいて、モーガンがちらりと私を見た。
唐突な発砲音。それもすぐ隣の部屋から。
「ひっ……」
そこにいた全員がびくりとして、一斉に執務室の脇の扉を見る。
「はは! 食らえ――」
若い声が聞こえてくる。が、更なる発砲音は聞こえない。
「なんだよこいつ!」
続いてどたどたともみ合う音。が、執務室内の誰一人として動くことができないままだった。
ややあって、その音も聞こえなくなる。
すぐそこでの争いの決着がついたのだ。
……問題は、どちらが勝ったのかということだ。
おそらく、数分も経っていなかったはずだ。それなのに、まるで永遠かと思うほどの長い時間だった。
執務室の脇の通用口の扉が開け放たれる。
飛び込んでくる小さな影。
「動くな!」
その言葉は、私たちの運命を決める託宣のように執務室内に響いた。
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