***** 2 欲望と崩壊 *****
* 未来
夢をみた。
少し切なくて、
どこか懐かしい……
夢をみた。
そこは何も無い荒野。
枯れた大地に命の気配はない。
なだらかな丘陵を、吹きすさぶ風が冷たく撫で、ヒョウと泣き声のような調べを奏でる。
空は灰。もう幾年の間、太陽がその顔を隠したままなのであろうか。
分厚い死の霧は晴れることなく大気という大気を汚し淀んでいる。
時折視界の端を閃く何かが舞い飛ぶが、それが死の灰であることを知らぬ者はいるはずもない。
そこは何も無い荒野、のはずだった。
しかし、そこにはたくさんの人影があった。
枯れた大地に命の気配はない。
人影は皆、沈黙している。
そこにはたくさん、たくさんの人影があった。
彼らは皆、その口を、目を……生命を維持する機能の全てを鎖している。
冗談のように存在する、たくさんのニンゲンたちの遺骸。それらは皆一様に武装している。鈍色にひかる鎧を身にまとい、思い思いの武器を手にし、憎しみをその表情に滲ませて。彼らは皆、死んでいる。ひとり残らず。
ザァァ……
動くもののない荒野を風が駆け巡る。
香りたつような死臭をかきわけて一点。甘く瑞々しい芳香を手繰る。
死に彩られた灰色の世界で一点。鮮やかで悲しい、赤と緑の色彩が目に沁みる。
少女がひとりたたずんでいた。
美しい少女である。
しなやかな肢体。手足はほっそりと長い割に弱々しい印象を与えない。手には細剣。獲物の血を浴び続けたであろう刀身は、すっかりと朱に染まり濡れそぼっている。大地を潤す雫。刀身から滴る朱滴は、さながら涙。もとは白銀であったであろう軽鎧も、冗談のように真っ赤に染まっている。
凛々しい横顔は無表情。しかしそのエメラルドの瞳には、隠しきれぬ苦悩が湛えられている。ギリと食いしばる歯。垣間見えるのは、吸血鬼の証たる牙。
不意に少女が動く。
所作は流麗。それを目にする人間がいたのならば、舞姫の如くその人間を魅了していたことだろう。しかし少女の発する雰囲気は剣呑。
少女は、彼女の後ろに佇む人影に細剣を突きつけた。
「わぉ、こっわぁ~」
心地よい低音。男はおどけた調子で両手をあげる。
細剣は男の首に押し当てられていた。
「何。」
先程までの戦いの残滓であろうか。
御されてはいるものの、少女の全身から御しきれない殺気が零れ出る。
それでも少女は自身を制し、男に問うた。
それだけですでに彼女が相当の場数を踏んでいることが見て取れる。
そんな様子に気付いてか、はたまたまったくわかっていないのか。男はおどけた調子を崩すことなく彼女に話しかける。
「昔話であったよね。『枯れ木に花を、荒れ野に緑を』的な?……ちがったかな。荒野に花が咲いたね。」
彼は程近い大地を指す。
そこは、赤。ペンキを零したように一面、赤。
「ニオイは、よくわかんないや。甘いような気もするし、苦いような気もする。」
彼の言葉に少女が眉を上げる。
「おまえ、」
「キミ、」
重なる声。しかし続けたのは彼の方。
「『戦姫』だろ。」
少女は沈黙する。沈黙は肯定。
「『戦姫フュトラス・フォルゾナス』。歴史と伝統を重んじる種としての吸血鬼・ヴァンパイアのなかで王族と目される一族。かの者たちの王、そして。」
「っ、いかにも。」
ふっくらとした唇を噛み締め、彼女は首肯した。彼の言葉を遮ったように感じられるのは、俺だけだろうか。
「我は、『フォルゾナス』が姫。
人の子と異なる原罪を抱きし種族の王にして、象徴。」
少女は目を伏せていた。人形のような相貌に影がおちる。しかしそれも瞬きの間の出来事。少女は不遜に続けた。
「『人の子』ヴァンピーロよ。ヴァンパイアが王フォルゾナスに何を望みしや。」
「……『ミク』。」
沈黙に続く不意の呟き。
少女は瞠目した。
ふたり佇むその場所に、咲いた一輪のミズバショウ。
枯れることなく、静かに揺れる。
魔法使いの起源はヴァンパイアである。遠い昔、誰かがそういったのをうっすら覚えている。
吸血鬼の中でも、種として存在する吸血鬼。その名をヴァンパイアと呼ぶ。彼らは人間には予測もつかないほどに長寿・長命かつ不老。不思議な力を使い、ある場所では神として信仰をあつめ、ある地域では魔物として畏れられた。
そのヴァンパイアのなかでも王と目される神格の吸血鬼。それがフォルゾナスの性の意味。それが『フォルゾナス性』のもつ意味の全てだった。
少なくとも、そのときまでの彼女にとっては。
「『フォルゾナス』は古語で『前の』『音』って意味で、」
至極まじめに考え込んだ後、そいつは得意げに説明した。
それまで色々な吸血鬼をみてきた。忌まわしきフォルゾナスの使命の元に。
ワタシを怨む者がいた。ワタシを侮蔑する者がいた。ワタシを嫌悪する者がいた。幾千、幾万の吸血鬼がワタシに歯向かい、命乞い、惨めに泣きながら散っていった。
フォルゾナスは、『同種殺し』。
フォルゾナスは、恐怖と。そして嫌悪の対象。
なのにそいつは……。
「“キミの名前”『フュトラス』は、」
そいつは。
「ある地方の古語で、『未来』。」
「み、らい……」
無意識に言葉が零れていた。
名前を呼ばれたの、そいうえばいつ以来だったか。
不意にムネのあたりを掻き毟りたいような衝動に駆られた。
誰かの笑顔を見たの、いつ以来だっただろうか……
胸が、アツかった。
「オレの国の言葉でね。未来と書いて『ミク』と発音するんだ。」
そいつは笑顔を絶やさず言うんだ。
「前の音ってことは、初めての音。で『初音』。名前は『ミク』。オレの国では性名の順に名乗るから、あんたは『初音ミク』だ。」
ワタシはその日、未来という名を得た。『ミク』……あなたにもらった、大切な、
その優しい笑顔に惹かれた。その美しい心に触れていたかった。その青空のような瞳が好きだった……だから愛した。餓えるカラダを充たすことは出来ない……その思いは、絶対に報われないと知りながら。
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