12.
飛行船の船体がぐにゃりとたわむ。
破裂寸前の風船みたいになったそれは、衝突した相手が押し負けたことで辛うじて破裂を免れた。当の相手は、飛行船の衝突に窓ガラスが粉々に割れ、構造材を歪ませ外壁材が砕かれ、その巨大な体躯を傾かせる。
窓ガラスの欠片がキラキラと乱反射し、外壁材が瓦礫と化し、傾いた建物の中からは事務机や椅子、何かの書類、更には中にいた人間であろうと、内包していたありとあらゆる物を空中へと撒き散らしていく。
その高層ビルはそのまま傾いて隣の高層ビルへと激突。隣のビルも同様に、更に隣の建物へと倒れ、瞬く間に連鎖して崩壊の規模を広げていく。
既に三棟目が傾き始めた時点で、飛行船の直撃を受けた一棟目は崩落し屋上部分がみるみる落ちていく。しかし、高層ビルの崩落に伴い尋常ではない程の土煙が立ち上っており、ビル影はあっという間に土煙に隠れて見えなくなってしまった。
……手の甲がジクジクと痛んだ。
離れていても、腹の底に響くほどの低い衝撃音が、連鎖して崩れていく高層ビルに合わせて絶え間なく響いてくる。
長い間感じた事のない、得も言われぬ充足感。
やっと成し遂げたのだと、やっと復讐を果たせるのだという、どこか奇妙な安心感……が、手の甲の痛みに吹っ飛ぶ。
「イッテェ!」
皮張りのリクライニングチェアの上で、オレはたまらず悲鳴を上げた。
自分の希望と夢想の詰まった光景が、いとも簡単に霧散する。
オレの手の甲に針を向けていた目の前の男は、とっさに針を引っ込める。
「……タトゥーは痛いモンですよ。しかも手の甲なんかは皮膚のすぐ下に骨があるんですから、尚更です」
場所は刺青師の工房だった。作業しやすいように明るくなっているのだろうが、内装や家具が黒に統一してあるせいか、そんなに明るい感じはしない。
処置の前に薬で眠らされて夢を見ていたのだが、痛みの前ではそんなの無駄だった。
「それをなんとかすんのが……テメェの仕事だろうが」
「だから薬を飲んでもらって、感覚が鈍るようなお香を焚いてんですけどねぇ。大抵のお客さんはこれで昏睡状態になって、その間に終わらせられるんですが……お客さんは一時間で起きちまいましたし、あんまり効果がないようだ」
オレの悪態なんぞ気にもせず、刺青師は改めてオレの手の甲に針を刺し、赤いハズの墨を入れていく。痛みの伴う仕事だ。客の悪態なんて日常茶飯事なんだろう。
「どうしても耐えられないってんなら、ここで一旦やめときますかい?」
優しそうな事を言っているが、右腕も左腕も指先までびっしりと刺青に埋め尽くされ、スキンヘッドの頭部は顔面から後頭部まで、まるで骸骨を被っているかのような禍々しい刺青が施されている。
見えている肌の全てが刺青に覆われているのを見ると、恐らく服の下も刺青で覆い尽くされているんじゃないだろうか。
正直、ぞっとしない。
「いや……いい。続けてくれ」
「ヒヒヒ……流石ですねぇ。お嬢さんみたいな美人に彫るのは久しぶりで胸が高まりますよ。その綺麗な右ほほに……そうですねぇ。天使を彫るのなんていかがですかい?」
「しねーよ。後にも先にもこれっきりだ」
「もったいないですねぇ。肌が綺麗だからこそ、タトゥーは映えるんですよ」
刺青用の針を手にそう言うが、これ以外に――アレックスの入れていたのと同じもの以外に――興味など無かった。
オレの手の甲に針を刺す刺青師の手は、まるで機械かと思うほどに淡々と、正確な動きを繰り返している。とても話しながら作業をしているような動きには見えない。
「しかし、世間は大騒ぎですね。市長が亡くなったとか」
「……らしいな」
つい数日前のことだった。
アレックスの死後、環境活動家を殺し、テロ活動もそのほとんどが下火になった矢先、アレックスと親交のあった市長が死んだ。
病死ということになっているが、実際はどうだか。葬儀に出席したものの、喪主の息子もまた妙に自信満々な態度で、父の死を悲しむよりも自らをアピールしてばかりだった。
次の市長の座を狙っているのが透けて見えた。
そういう事情も知っちゃあいるが、わざわざそんな事を話すつもりなどない。
オレの興味無さそうな態度と、余計な会話をするつもりの無い様子を察し、刺青師はそれ以上はほとんど何も言わずに黙々と作業を続けた。
「さて……これで終わりですね」
刺青師がそう言って針を置いたのは、それから四時間ほど経ってからだった。
結局、再度眠ることなんかできなくて、ずっと彼の作業を見ていた。
まずは線をなぞり、針を変えて広い部分の塗りつぶしを行い……その間中、オレは痛みに唇を噛み締めて耐える羽目になった。
「一週間ほどは、揉んだり擦ったりしないでくださいねぇ。インクが馴染むのに時間がかかるので、定着前だと外圧でボヤけたり滲んだりするんですよ。完成したものを自分で台無しにするのは嫌でしょう?」
「まあ、そうだな。気をつけよう」
刺青師が最後に濡れタオルで手の甲をぬぐう。
オレは改めて手の甲を眺める。
まだジクジクと痛む手の甲には、波打つような流線型の真紅の模様が完成していた。
流線型の模様は何かの生き物のようでいて、けれどどんな生き物にも似ていない。
「よければ……どんな意味があるのかお伺いしても?」
「それは……」
刺青師が控えめに聞いてくるが、オレには答えられない。
アレックスの手の甲にあった、赤い模様。今でもはっきり思い出せる図柄を、そのままオレの手の甲に入れてもらっただけだ。そこにどんな意味があるのかは知らない。アレックスに聞いておけばよかったな、と今更になって考える。
「答えたくなければ別に構いませんよ。そういうお客さんも多いですし。ただ……私も一つ、思い出したことがありまして」
「なにを?」
「はっきり覚えてる訳じゃあ無いんですけど、ずいぶん昔に同じような図柄を彫ったような気がしましてね」
「なんだと!」
その言葉を聞いた瞬間、総毛立った。
「もしかして、彼と何か繋がりのある方なのかな、と思いまして。……いや、一介の刺青屋の戯れ言です。お気になさら――」
「――いつの事だ!」
強い剣幕で詰め寄るオレに、刺青師は目を白黒させる。
「それは……もう、何年も前の事で……」
「十数年前、当時オレと同じくらいの歳の男性か。細身で、皮肉屋で……」
「……え、ええ。まあ、そうだったとは思いますが……」
「同じように手の甲に、赤い刺青をか」
「はい。そうです」
そこに関しては刺青師はしっかりとうなずく。
恐らく間違いは無いだろう。オレが適当に選んだ刺青師。そいつは、昔、アレックスの手の甲に同じ刺青を施した人物だったのだ。
「……名前はアレックスか」
「いえ……すみません。随分昔の事で、名前までは……」
刺青師は後頭部を掻くが、オレはすでに確信していた。そしてその偶然に、魂が沸き立つ。
「もしかして、お知り合い……で?」
「……多分な。もう……死んじまったが」
「それは……。お悔やみ申し上げます」
骸骨の顔をした刺青師の神妙な言葉に、どこか滑稽さを感じてしまう。
「いや、……ありがとう。その人は、これについて何と言っていた?」
「それは……」
刺青師は口元に手を当て、少し考え込む。
「少々うろ覚えな記憶ではありますが……。確か、自らの決意を示し、その覚悟を忘れない為のものだと……言っていたと、思うのですが……」
刺青師自身にもあやふやな記憶なのだろう。確信のない話らしく、眉間にしわを寄せたまま記憶を辿るように言葉を紡ぐ。
「そうか、わかった。……そうだよな」
「申し訳、ありません」
オレは首を振る。
「いいんだ。報酬を受けとれ」
オレは置いていた手提げ鞄から財布を取り出し、金を刺青師へと差し出す。
「どうも……ってお嬢さん、金額を間違えてますよ」
「それでいい。それでも安いくらいだ」
オレの言葉に骸骨頭はポカンと間の抜けた顔をして、やがてあわてて手にしたものを返そうとしてくる。
「いやいや、そんなことをしていただくわけには!」
「いいんだ」
少し笑ったオレに、刺青師は黙る。
「……その話を聞けただけで、十分な価値があるんだよ。オレにとっちゃな」
「……困りましたねぇ。そういう報酬は、後々恐ろしい返礼を望まれるものですから」
「んなことしねーよ。……今はまだ、な」
そう言って片目をつぶって見せると、刺青師はぷっと吹き出して笑った。
「まったく、可憐なお姿の割に冗談がお上手な方だ」
「あんたも、骸骨の割にゃあ紳士的だな?」
オレたちは笑い合い、刺青師はその金を受け取ることを受け入れてくれた。
「貴女とまたお仕事が出来ることを望んでいますよ」
「言ったろ、後にも先にもこれっきりだってな。単に“仕事”でいいってんならたまに客を紹介したり、投資したりとかは出来るけどよ」
刺青師は肩をすくめる。
「残念ですねぇ」
「まあでも、いい仕事をしてくれたよ。興味深い話も聞けたしな」
手の甲を見る。
流線型の模様は単純に美麗だと思えて、同時にアレックスに自分が近付けたような感覚がある。
自らの決意と覚悟、か。
脳裏に、一番地区の高層ビル群が崩れ落ちる光景が広がる。
その夢想を叶えるのが、オレの願いだ。
このタトゥーを入れようと思ったのは、アレックスと同じになりたいと思ったからだ。だが……そんな風になれるはずもない。
けれど、今のオレにも自らの決意と覚悟はある。
アレックスのそれがなんなのかは分からないが、それでも、自分自身の決意と覚悟は、ここに誓っておこう。
恐らく、アレックスのものとはまったく違うものだろうが……それでもいい。
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