人は、誰かに見つけてもらうために生きているのかもしれない。
そんなことを、夜の撮影帰りに考えることがある。
街の灯りが途切れたあと、空には名前も知らない星が浮かんでいて
その光は何百年も前に放たれたものだと知る。
もう存在していない星の光を、僕たちは“今”として見つめている。
写真も少し似ている。
シャッターを切った瞬間に閉じ込められるのは、顔でも景色でもなく
その人がそこに存在していたという微かな証明だ。
僕は長い間、「上手く撮ること」が正解だと思っていた。
光を整えて、構図を磨いて、ノイズを消していく。けれど、本当に心に残る写真には、少しの揺らぎがある。
視線が泳ぐ瞬間。
言葉にならなかった沈黙。
笑う直前の、不安に似た呼吸。
人は完成された瞬間より未完成な途中にこそ、その人らしさが滲むのだと思う。
だから最近は写真を撮っているというより、誰かの内側を静かに観測している感覚に近い。
宇宙にはまだ名前のついていない銀河が無数にあるらしい。
発見されることもなく、ただ暗闇の中で光り続けている星々。
それを知ったとき少し安心した。
誰にも理解されなくても人は光っていていいのだと。
仕事をしているとたくさんの人に出会う。
夢を語る人。
何かを諦めかけている人。
笑っているのに、どこか遠くを見ている人。
その表情を見ていると人間は皆、小さな宇宙を抱えて生きているのだと思えてくる。
たぶん僕はその宇宙の輪郭を残したくて写真を撮っている。
うまく言葉にできない感情や誰にも気づかれなかった孤独や、それでも確かに存在していた時間を
光として残しておきたい。
名前のない銀河を歩くように、今日もまた誰かを撮っている。
そして気づけば自分自身もまた、誰かに見つけてもらいたかった一つの星だったのかもしれない。
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