第六章 02
 開け放たれたままの扉を抜け、焔姫が国王の居室へと入る。
 部屋は広かった。
 四、五十人はゆうに入れる広間には及ばないが、それでも二、三十人が入っても余裕があるほどに広い。
 部屋の奥に、五人ほどの賊が集まっていた。広い寝台の脇には、拘束された国王の姿も見える。
 賊の一人が、膝をついた国王に三日月刀を向けている。見ればその賊は、男の部屋にやってきたあの歩き方のおかしなやせぎすの賊だった。
 その光景に近衛兵たちは息をのむが、焔姫はやれやれと嘆息するだけだった。
「こいつを殺されたくなければ、さっさと武器を置きたまえ」
 賊は三日月刀の腹で国王の首をなでる。刃がかすかにあたっていたのか、少しだけ血がにじむのが男の目にも映った。
 その所業に近衛兵たちは手にした剣を手放そうと切っ先を下ろすが、焔姫は手放すどころか剣を賊へと向ける。
「ハリド・アル=アサド、やはり汝じゃったか。余は愚かであったな。禍根の無きようちゃんと余の手で殺しておくべきじゃった」
「……ハリド?」
 その名前に聞き覚えがあるような気がして、男は考え込む。
「我は貴族ぞ。口には気をつけろ。貴様のような者に呼び捨てされる筋合いなどない」
 焔姫は笑う。
「貴族。貴族……とはの」
「我を侮辱しておるのか!」
 焔姫と賊の言い合いをよそに、男はようやく思い出した。
 あれはもう五ヶ月も前の事だ。
 西方の大国の軍が東方へと進軍する途中でこの国を訪れ、補給をさせろと無茶な要求をしてきた事があった。あの時の指揮官は確かに、ハリド・アル=アサドと名乗ったのだ。
 焔姫は要求を退け、最終的には相手の将軍と焔姫とで決闘をし、戦をする事なく焔姫は西方の大国の軍を壊滅させたのだ。
「目的地にもたどり着けないまま軍を壊滅させたのじゃ。西方の大国になど戻れるはずもない。その貴族の称号などすでに剥奪されておるのじゃろうて」
「ぐ……」
 反論出来ないところを見ると、どうやら図星なのだろう。
 しかし……この元貴族は一体どうやって助かったというのだろうか?
 男は、壊滅して干からびた死体だらけだった野営地跡を思い出す。
 あの地を、目の前の元貴族はどうやって抜け出したのだろう。水も食糧も足りなかったはずなのに。
 そこで、男は思い出す。
 あの時、壊滅した野営地の本陣を見た後、焔姫は「まずいな」とつぶやいていた。あれはまさか、あの時すでに元貴族が逃げ出していた事に気づいていたから出てきたつぶやきだったのではないだろうか。
 だとすれば、もしかすると焔姫は、あの時すでにこのような事態が起きる可能性を予見していたのかもしれない。
「それで――必死に考えた事が余への報復と言ったところか。哀れすぎて涙が出るの」
 男は考え込むのをやめて、その元貴族を見る。
 以前はまるまるとした肥満体だったが、今はその面影もないくらいにやせているのが服の上からでも分かる。歩き方がおかしかったのは、決闘の邪魔をした元貴族の片脚を、焔姫が斬り落としたからだ。義足をつけているのだろうが、そのせいで普通に歩く事が出来ないのだ。
「……ええい、こいつの命が惜しければ、さっさと武器を捨てろ!」
 元貴族は、手にした三日月刀を国王ののどにつきつける。
「くだらぬ」
「……は?」
 焔姫の一蹴に、貴族はとっさに返答も出来ずにぽかんとした。その様子に、三日月刀をつきつけられている国王までもが苦笑していた。
「汝の指揮官にあるまじきこす狡さのお陰で、運良く助かったその命だと言うのにな。じゃが、こうやってまたのこのこと帰ってきてくれた事には礼を言うぞ。今度はきっちりと殺してくれる。地獄の苦しみを味あわせたあと、皆の前で処刑して差し上げようぞ」
「貴様……状況が分かってないらしいな。こい!」
 国王を人質にしても悠然とした態度を崩さない焔姫に業を煮やして、元貴族は声を上げる。すると、周囲に隠れていた賊が幾人も現れた。
 五人しかいなかった賊はあっという間に二十人もの集団になっていた。焔姫と男たちは彼らに囲まれてしまい、その様子に元貴族は少し落ち着きを取り戻す。
「くくく……どうだ。これだけの差があってもまだそんな大口を叩け――」
「――この程度で、何を勝ち誇っておるのじゃ?」
「ああ?」
 少しも動揺を見せない焔姫に、元貴族は理解不能のようだった。
「余をたかだか二十人程度で止められると思っておるとは、甘く見られたものじゃな。最低でも、この倍は連れてきたらどうじゃ」
「貴様……。我を愚弄するのもいい加減にしろ!」
「こやつらの力を借りておるだけなのじゃから、別に汝の持つ力というわけでもあるまい。愚弄しようにも、罵倒する言葉がさしてないわ」
 暗に愚弄する価値もない、と言われて元貴族は顔を真っ赤にさせる。
「ば……馬鹿に、しおって……」
「人質を殺して汝も死ぬか、それとも素直に投降してやはり死ぬか。どちらにせよ死ぬのじゃから、どちらにするかくらいは決めさせてやらんでもないぞ?」
 焔姫と近衛兵が五人。あとは戦力とは言い難い男と宰相。総勢八人に対する賊は、元貴族を含めて二十人。通常であれば優位が動かないはずの元貴族は、劣勢のはずの焔姫に言い負かされ、押されていた。
 焔姫の余裕の態度に、元貴族は不安になっているのだ。元貴族の部下だった西方の将軍との決闘を、この元貴族は目撃している。その時の焔姫の圧倒的な強さを知っているからこそ、焔姫の余裕は誇張などではないと元貴族は分かっている。
「……余は気が短い。早く決めよ」
 かつん、と音を立てて焔姫は一歩踏み出す。
 その音に、元貴族だけでなく周囲の賊もぎくりとした。
「くそ、くそ……」
 かつん。
 三日月刀の切っ先がぶるぶると震えている。
 かつん。
「本当に……殺すぞ!」
「殺して見せよ。その瞬間、汝の首は飛んでおるがの」
 かつん。
「ひっ……。寄るな!」
「まったく、もっと面白い事は言えぬのかえ? あきれてものも言えぬわ」
「姫!」
 そうこうしている内に、背後からばたばたと音が響いてさらに人がなだれ込んできた。
 男が振り返ると、先頭に立っているのは将軍としての焔姫の側近であるナジームだった。という事は、入ってきたのは軍の兵士たちだ。
 焔姫の予測よりもずいぶん早く、軍は混乱から復帰したようだ。これはナジームの手腕か。
「汝はあいも変わらず馬鹿よの。時間をかければこうなる事など見えておろうに」
 あきれた焔姫に、元貴族は助けを求めて視線をさまよわせる。
 数の優位さえ打ち崩され、元貴族だけでなくほかの賊たちにも動揺の気配が伝わってゆく。
 賊たちは宰相をにらみつける。戦う事も出来ず人質に出来そうな人物は、国王の他には男と宰相くらいのものだ。王宮の内情を知らなければ、男よりも宰相の方が人質として使えそうに見えるだろう。しかし、もはや人質など何人いても意味をなさない。
「……時間切れじゃ」
 焔姫は簡潔に告げる。同時に、目にも止まらぬ銀光が走り抜けた。
「は……?」
 まるで意味が分からないという様子で、元貴族は三日月刀を握った右腕が宙を舞うのを見つめる。
 右腕が床に落ち、三日月刀が甲高い音を立てる。
「……っ、ぎゃああああ!」
 その音を聞いてようやく、元貴族はその右腕が自らのものだと気づいたようだった。悲鳴とともに国王を手放すと、尻もちをつく。後ずさって逃げようとするが、義足のせいかうまくいかない。
「……あわれよの」
 焔姫は一足飛びで国王のそばへと駆け寄ると、再度銀光をきらめかせる。膝をついた国王と尻もちをついた元貴族の周囲から、他の賊を遠ざける。
「賊どもは可能な限り生け捕りにするのじゃ。ここで殺してしもうては、それ以上に苦しめる事が出来ぬからのう」
 唇の端をつり上げ、焔姫は狂気の笑みを浮かべてみせる。
「全員突撃!」
「うおおお!」
 雄叫びとともに、近衛兵とナジーム率いる兵士たちが賊に斬りかかっていく。王宮を守るため死力を尽くそうとする兵士たちと、勝ち目がない事を思い知らされた賊。
 決着は見えていた。
 防戦一方の賊は、一人また一人と倒されていく。 
 まもなく賊が全員討ち倒され、拘束された。
「ハリド・アル=アサド。残念じゃったのう。汝の悲願はここで潰える」
「ひ……」
 焔姫の心底面白そうな笑みを前に、元貴族は悲鳴をあげようとして、しかし恐怖に白目をむいて気絶してしまった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

焔姫 27 ※2次創作

第二十七話

人って誰しも何かを“演じて”生きているものだと思います。
その時々に求められているものに応じて、従う事にしたり、反抗する事にしたりしながら。何もかもが自らの思い通りにいく事なんて、生きていく上でそう多くはないのですから。
でも、演じる事で物事がうまくいってしまった場合、演じ続けなければならない、演じる事をやめられなくなってしまうという枷が発生してしまうのでしょう。
身の回りにいる、なんでも出来て完璧に見えてしまう人も、実は誰も知らない苦しみがあったりするのかもしれません。
それがいい事なのか悪い事なのかは分かりませんが、そんな事を考えたりします。

思い返してみると、過去作の「ReAct」でのリン嬢もそういうキャラクターにしていましたね。「ロミオとシンデレラ」の未来嬢にも、近いものがあるかもしれません。
あまり意識していたわけではありませんが、その考えは自分の思考の中では結構重要な位置を占めているのかもしれません。

閲覧数:51

投稿日:2015/03/23 20:17:40

文字数:3,490文字

カテゴリ:小説

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