叫び声をあげる代わりに、鍵盤に指を叩きつけた。悲鳴のような音が部屋中にこだまして反響して、空っぽの部屋中に響き渡った。
一緒にいた部屋から簡単にルカはいなくなった。荷物をまとめて綺麗に掃除までしていった彼女の痕跡はほとんど無く、あるのは不自然に空いた一人分のスペースだけだった。いままであるべきもので埋まっていたその空間を持て余すようにシンは過ごしていた。
ルガがいなくなった後には、ルカにあげた銀色のリングがいらないものとして残されていた。いつかのクリスマスにルカに渡して、それ以来ずっと彼女の指にも自分の指にもはまっていたものだった。
「ずっと一緒にいるという約束の証だ。」
そう言ってシンがこのリングを手渡したとき、ルカはどこかくすぐったそうに微笑んでいた。
「じゃあ。シンが私の傍にずっといてくれる。と約束するのならば、私も、私がシンの傍にずっといてあげるわ。」
「何それ。」
ルカのひねくれた物言いにシンが笑うと、ルカは心底嬉しくてたまらない。というように笑って、シンのおでこに自分のそれをこつん、と合わせて来た。
「ずっと一緒にいようね。って事。」
「最初からそういえばいいんだよ。」
そう言ってシンも嬉しそうに笑った。
このリングをはずして置いていったことが、ルカの気持ちの現われだ。とシンは思った。
ルカは、今は実家で暮らしているらしい。そして、アメリカでのデビューの話を受けた。とカイトたちから聞いた。二人が別れたことに対して、メイコは、簡単に別れないでもっとなんとかしなさいよ。と怒り、カイトは寂しそうに、そうか。と言っただけだった。
他の友人知人からは、結婚すると思ってたのに。なんて無遠慮な言葉が聞こえてきたりして、その度にシンは苦笑いをして受け流し、きっとルカならば真正面から、失礼な事を言わないで。と言って憤慨しただろう。と、そんなことを思って、又、胸が痛くなったりもした。
これでよかったのだ。とシンは思う。
けれど、頭では別れたことが正しかったとわかっても、空虚な思いは消えてなくなることは無い。
痛みは消えることなく、傍に、伸ばした手の先に、ルカの存在がいないことに酷く絶望を感じる。
今まで一緒に過ごした時間、一緒に笑って泣いて過ごした記憶が、柔らかく甘やかにシンを縛り付けて痛めつける。
柔らかなひかりのなかギターを弾くルカの姿も、雪の中頬と鼻の頭を赤くして遊んだ事も、お祭りで慣れない下駄に困った様子のルカの手を引いたことも、落ち葉の降る帰り道をただ並んで手を繋いで歩いたことも、ずっと一緒にいると約束したことも、お風呂の順番をジャンケンで決めたことも、道に迷っているのに気にすることなくずんずんと先に歩いてしまうルカも、ピアノを弾くシンの横で足をぶらぶらさせながら楽しげに聞き入っているその姿も。
大切な思い出が全部、暴力的な威力をもってシンを打ちのめす。
それでも。と、シンは思う。
それでも。二人の思い出が痛みに変わってしまうとしても、ルカのことを好きにならなければ良かったとは思えなかった。もしもどちらかを選べ。と言われても、あの音楽室で微笑むルカに出会うことを、選ぶ。
高音を叩きつけるように奏でた。軋むようなその音が空気を揺らし、シンは手を止めた。
部屋の入り口のほうで小さく拍手する音が聞こえてきた。シンが驚きそちらに目をやると、ルカが立っていた。
初めてあった頃はまだ肩の上だった髪の毛は、今では腰の辺りまで長く、緩やかに肩にかかっている。表情に色は無く、ポーカーフェイスでこちらを見ている。記憶の中のルカよりもほんの少し頬や肩のラインが削がれていて、痩せたのかな。とシンは思った。
「、、、ごめんなさい。鍵を、返しに来たの。ポストに入れておこうと思ったのだけど、シンのピアノの音が聞こえて。つい、入ってしまって。」
「うん。」
こんな最悪な演奏を聴かれたのか。とシンが苦笑交じりに、どうだった?と尋ねると、ルカも又ほんの少し苦笑して、そうね。と言った。
「泣いているのか、と思ったわ。」
「、、そう。」
やっぱりな。とシンは思った。ルカを失ってから、ずっと泣くのを堪えている。案外自分は弱くて泣き虫だったんだな。とシンは今更ながらに気がついた。
くつくつと、お互い困ったように笑っていると、ふと、ルカが何かを探るようにシンのことを見つめてきた。
「ねえシン、泣いているのは、シンが涙を流すのは私のことを思っての事?」
そのルカの言葉に、彼女はまだ自分のことを思ってくれているのかもしれない。という甘い思いがシンの中に浮かぶ。
「うん、、、そうだよ。」
シンがそう素直に返事をすると、ルカはかすかに眉を顰めて、そう。と視線をそらした。ルカの横顔が、振った本人が何をふざけた事を言っているのか。そう言っているような気がした。
まだ繋がっているのかもしれない。などと考えるのは甘い考えなのだろう。
諦めの沈黙が2人の間に落ちた。
「アメリカにはいつ、発つの?」
「、、、あと4日後。」
「そうか」
手持ち無沙汰にシンはピアノのキィを一つ、鳴らした。ぽーん、とどこか間の抜けた音が響く。
「ルカ。アメリカに行っても元気で。」
そうシンが言うと、ルカはこくり、と一つ、頷いた。
「うん。シンも元気で。」
さよなら。とルカは手に持っていた鍵を傍らのテーブルの上へ置いた。
かつん、と金属の音が終わりを告げる。
これで本当におしまいなのだ。とシンは出てゆくルカの背中を見つめた。
ひかりのなか、君が笑う・11~Just Be Friends~
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