03
カイトは呼ばれたような感覚に顔を上げた。
プログラムでしかない彼にとって、それはただしい表現とは言いがたかったが、同時に彼の意識ではそれは事実。
マスターは食事中で、この「いえ」にはふたりしかいないはずなのにと思いながら誰?と「意識」を向けると、「彼女」が「目の前」で、やは、と軽く手を上げた。
「メイ姉!」
「久しぶり、カイト。元気だった?」
「うん!でもどうしたんだい?」
そこに立っていたのは、カイトの「姉」とも言うべき存在である、切符のよさそうな「女性」だった。
「VOCALOID/PROGRAM」は、平たく言えば電脳世界に存在する仮想人格に過ぎない。
企画され、そうして創られたのは二つのパーソナル。
KAITOと、そして彼女、MEIKO。
本体をパソコンとする彼らは、だからマスターがネットワークに繋ぐことで、お互いの元へ訪れることも可能。
だからと言って、特に必然性があるわけでもない。
実際、彼女が自主的に、自分からカイトの元へと来たのははじめてのことだった。
「なに言ってるのよ。
折角デビューしたって話だから、お祝いに来たんでしょ」
お祝いしにきた、っていうわりに、酷く偉そうに彼女は胸を張った。
その辺りが彼女らしいといえばそれまでだが。
だが彼女の言葉に、カイトは戸惑うようにして肩をすくめた。
それは彼女と比べて、自分があまりにも些細な形でのデビューだったからに他ならない。
「お祝いって・・・
デビューしたって言っても、動画投稿サイトに投稿しただけだよ」
「でもそれ、親父さんの方針で、でしょう?」
「うん。マスターがとーさんの指示でって」
従順なだけではない。
その裏にあるものを読みきれないと解っていても、信頼するだけの関係を彼らはちゃんと築いている。
「なら既にデビューみたいなものよ。
その内、親父さんのプロダクションから"お披露目"するための、ね」
「そうなのかなぁ?」
聞いている人がコメントを書き込めるタイプの動画サイト。
画像は唄の舞台的な街角の写真一枚で、あとはカイトの歌声だけという酷くシンプルなつくりのそれは、再生数だけを増やすのだが、殆どコメントがつくことがなかった。
だからどうなんだろうね、ってマスターと話していたところで、とてもじゃないがお披露目されるような域に自分がいるとは思っていなかったのだ。
だがそんな様子の「弟」を、「姉」はあきれたように観る。
「あんたネット自体での評判みてないの?」
「ネット?」
「そう」
その気になればネットワークに「関われる」のが本体がデータである二人だが、カイトはそのグラフィックデータとはかけ離れた幼い仕草で首を傾いで、みてないよ?と当たり前に告げる。
「だってマスターと歌ってたり話してたりする方が忙しいし、たのしいし」
「・・・・・まぁ、あんたらしーっちゃぁ、そうね・・・」
「メイ姉?」
あきれたようなため息を貰うが、だが決して嫌な感じじゃない。
言葉の通り、逆にそんなの聞きに来た自分の方が間違いなんじゃないかと彼女が感じてるくらいの反応だ。
実際、彼女はふっ、と笑って、胸を張る。
「いいわ。それがあんたの選ぶことなら、余計なこと言っても仕方ないもの」
「あ、いや、ありがとね?
お祝いとか嬉しい、よ。ただ、なんか実感がないだけで」
「わかってるわよ。
人をいぢめっこにしないで頂戴、カイト」
くすくすとその辺に「腰掛けて」、健康的な造詣の足を振り上げながらメイ姉……メイコが明るく不満を投げる。
そんなつもりは無かったカイトは慌てて声を上げる。
「そんなことっ、ほらだって、メイコ姉のがもっと確実にデビューしたんだし!」
それは事実だ。
音楽番組など、「現実」には一切顔を出さない「謎」の女性ボーカリスト。
不祥事で解散を余儀なくされたバンドのギタリストをプロデューサーに迎えた彼女の歌声はとても力強く、自分のマスターとは違うカラーだがカイトは好きだった。
そしてなにより、尊敬していた。
自分の評価はなんにも興味はないが、彼女の高評価を見かけると自分のコトのように嬉しいのだ。
熱弁をふるう彼に、メイコはふっ、と笑う。
「まぁいいわ。これはお祝い」
「なんのデータ?」
「あんたの"評価"よ」
「・・・・・・・・」
きょとん、としている、今度は後輩としての彼に笑いかけた彼女は、無防備なその胸元に綺麗な・・・汚れることはない指先を突きつける。
「いいのも悪いのも入ってるわ。
それを見極めて、未来の為に学べばいい」
「僕は未だ、成長途中だ」
「解ってるじゃない。がんばりなさい」
「ありがとう!メイ姉」
いいのも、悪いのも。
それは自分たちが成長途中だとわかって言うから。
そして、成長して欲しいと想ってくれるのが、解るから。
再び声を掛けられ、今度は画面越し、「カメラ」越しにその姿を確認する。
彼女が来たのだと説明すると、マスターである彼女は少しだけ虚に疲れたように目を丸くした。
「メイコさんがきてたの?」
「はい」
「じゃぁ御挨拶すればよかったわね。せっかく来てくれたのに」
「呼べばこれますけど。僕らには"距離"はないですし」
「そうなんだけどね。
それじゃあんまり意味がないのよ、カイト。
それで、貰った"評価"をみてたの?」
カイトとしては話を逸らされたようにも感じたが、それよりも意識すべきことは振られた話題だった。
実際、「その意見」は酷く彼の中に大きなものを残していた。
「えぇ。低い部分に違和感があるとか、その点もなんですけど」
「ん?」
「"どこで息継ぎしてるんだ"って」
「・・・・・・・・・・」
それは「人が歌っている」と考えるなら、当然の反応ともいえた。
人とVOCALOIDの違いというもの。
当たり前であるはずのものに、カイトはその表情が曇るのを抑えられなかった。
「そうですよね。僕は"イキ"をしてない」
「・・・・・・・カイト・・・」
「すいません、マスター。妙に、その言葉が引っかかったみたいで」
「・・・・・・・だってせっかくカイトは誰よりも流れるように歌えるから。
私の方が謝るべきかもしれないわね。調子に乗りすぎたかしら」
「そんなっ・・・」
マスターは悪くないです。
でもカイトも悪くないのよ。
そう、お互いに悪いことはなにもない。
ただ、忘れていただけ、それだけなのだ。
だから、それを意識する。
人の言葉を、自分たちを気付く。
「なら、"次の曲"では少しだけ意識してみましょう?
先ずはたくさんの人に、たくさん聞いてもらうところからよ」
「・・・・・・・・・はい」
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