大学で何を勉強するのかはかなり悩んだけど、ここニューヨークは舞台の本場だけあって、演劇に関しては教える方も一流だったりする。舞台への強い興味を捨てきれず、俺は演劇を専攻することにした。つぶしがきかないわよ、と、母さんには散々言われたりもした。でも、やりたいことに思い切りぶつかるのもいいかもね、と、最終的には言ってくれた。
 リンとの文通は、以前と変わらずに続いていた。時々、写真も同封されている。写真の中のリンは、いつも少し淋しそうだった。往々にして、隣に全開の笑顔の初音さんが映っていたりするから、余計そう感じるのかもしれない。……もしかしてこの写真、クオが撮っていたりするんだろうか。クオの仏頂面が頭に浮かび、俺は少し微笑ましい気分になった。
 そうこうするうちに、大学に入学して二年めの冬を迎えた。相変わらず帰省していないので――俺が大学に入ってからは、母さんは自分だけで帰省するようになった――当然、年越しもニューヨークで迎えることになる。一月の半ばには、リンから「成人式に出た」と、振袖姿の写真が送られてきた。……日本にいることができれば、こういったイベントにも、リンと一緒に参加できたのに。
 そして……異変が起きた。


 そろそろ二月の中旬にさしかかろうかというある日のことだった。郵便受けに届いていた郵便物の中から、リンの手紙を見つけた俺は、その手紙を手にとって首を傾げた。封筒が、やけに薄い。普段なら、便箋に三枚以上は手紙を書くし、それに加えて、リンが書いた詩とかも同封されていたりするので、送られてくる封筒はもっと厚みがある。
 ……どうにも嫌な予感を憶えながら、俺はハサミを取り出して、封筒を開けた。中には、折りたたまれた便箋が一枚だけ入っている。俺はその便箋を開いた。
「ごめんなさい。調子が悪くて、きちんとした手紙が書けそうにないの。今だけ少し休ませて」
 手紙に書かれていたのは、それだけだった。いつものリンらしくない、乱れに乱れた文字で。……なんだ? 何があった?
 リンは、何もないのにこんな手紙を書いてよこす人間じゃない。手を骨折して筆記具が握れないとか、病気になって起き上がれないとかだったら、ハクさんなり初音さんなりに、代筆を頼むだろうし、ちゃんとその経緯も説明するだろう。
 つまり、説明したくないような何かが起きたってことだ。リンを打ちのめし、こんな手紙を書かせてしまうような、何か嫌な出来事が。俺は落ち着かない気持ちで、部屋の中をうろうろと歩き回った。時計を見る。えーと、午後の四時か。時差を考えると、姉貴はまだ家にいるな。
 俺は姉貴の携帯に電話をかけた。コール音が響いて、姉貴が出る。
「もしもし、レン?」
「あ、姉貴」
 俺はリンから届いた手紙について姉貴に説明し、リンの身に何か起きたのかを尋ねた。
「うーん、リンちゃん、あんたにあの状態で手紙を出したのか……」
「何か起きているんだ?」
 俺がそう尋ねると、姉貴は電話の向こうでしばらく黙ってしまった。……こりゃ、知ってるな。知らないのなら「知らない」と即答するはずだ。
「姉貴、言ってくれよ!」
「……参ったわね」
 ため息混じりの姉貴の声が聞こえる。俺は、イライラしながら続きを待った。
「本当は言うなって言われているんだけど……」
「いいから話してくれ!」
 つい声が大きくなる。姉貴にあたっても仕方がないのに。
「えーとね、まず、私も完全に状況を把握してるんじゃないのよ。ハクちゃんから話を聞いただけだし」
「前置きはいいから」
「あ、うん……実をいうとね、リンちゃんのお父さんが、リンちゃんに縁談を持ち込んできて」
 その話は初耳だった。……リン、俺に心配かけまいとして、手紙には書かなかったんだ。
「リンはまだ二十歳になったばかりじゃないか」
「そういう家なんだって、ハクちゃんは言っていたわ。一番上のお姉さんが、お見合いしたのもそれぐらいの時期だったって」
 俺は、見通しの甘さを呪った。リンのお父さん、リンを無理矢理結婚させる気なのか。あれだけ傷物だってののしったくせに。
「勝手に婚姻届を出されないように、お役所に書類の提出はさせたんだけど」
 姉貴は、例の始音カイトとつきあっている。話を聞かされた時は驚いた。いつの間にそんなことになってたんだか。姉貴のそんな私的な関係はさておき、奴は法律を勉強しているので、こういう時は何かと入れ知恵をしている。
「その上でリンちゃんは、結婚なんかしないってお父さんにはっきり言ったそうよ。でもまあ、リンちゃんのお父さんって、こっちの思考の斜め上を行く人で」
 それは嫌ってほどわかってるよ。でなきゃ、俺は今ここにいない。
「それで、リンちゃんに何も言わずに相手を家に呼んで、引き合わせたのね」
「リンが首を縦に振るわけないだろ」
「まあね。リンちゃんは首を縦に振るどころか、一貫して冷たい態度を取ったそうよ。『脈ない』って、わかってもらうために」
 お父さんが駄目なら、向こうから振ってもらうことで、この縁談を潰そうとしたんだろう。
「それで……」
 姉貴は言おうとして、言いよどんだ。
「姉貴、続きは?」
「あ、うん……レン、落ち着いて聞いてね。どうしてそういうことになったのかよくわからないけど、その人、リンちゃんを襲ったの」
 誇張でもなんでもなく、頭の中が真っ白になった。……リンを襲った? その、見合い相手とかいう奴が?
「そいつは一体何様のつもりなんだ!?」
「……ハクちゃんの話だと、相手は政治家の息子らしいわ。多分、この世の全てが自分の思い通りになると思っている、甘やかされて育ったバカボンボンなんでしょ」
 突き放すような口調で、姉貴は言った。その意見には百パーセント同意するが、今大事なのはリンのことだ。
「リンは? リンは無事なのか!?」
「物音に気づいてハクちゃんが騒いだから、最悪の事態だけは避けられたわ。ただ、そいつにひどく殴られたもんだから、リンちゃんはショックで外もまともに歩けないみたい」
 リンを殴っただって!? 俺は、そのクズ野郎を殺してやりたいと思った。拒絶されたからって、暴力をふるって言うことをきかせようとしたのか。
「それでリンは?」
「さっきも言ったけど、ほとんど部屋から出てこない状態らしいの。ハクちゃんかお母さんが、傍についてはいるみたいなんだけど」
「クズ野郎と父親は?」
「クズは一度警察に逮捕されたけど、示談になったから、裁判沙汰にはならないって。法の裁きを味あわせた方がいいと思うんだけど、リンちゃん、もう二度とそいつには関わり合いになりたくないみたいで。でも、二度と近づかないという念書だけは書いてもらったそうよ。……お父さんの方は、相変わらず」
「娘が襲われたのに?」
 断言するが、俺の父さんがまだ生きていて、姉貴にそういう真似をする奴がいたら、そいつをぶん殴ってるよ。
「……とことん常識の通じない人みたい」
 疲れた声で姉貴はそう言った。
「とにかく、リンちゃんの事情はそういうこと。あ、もしリンちゃんに手紙を書くのなら、この事実は伏せておきなさい。リンちゃん、あんたには話すなってハクちゃんに口止めしてるの」
「話すなって……」
「リンちゃんはあんたに心配をかけたくないのよ。あんただって、自分が学校を追い出されかけたこと、最初は話すなって私に口止めしたでしょ?」
 確かに、俺は以前そうした。でも……なんだか、納得のいかないものを感じる。
「俺は、どうしたらいいんだ?」
 できることなら、今すぐ日本に戻って、リンの傍についていてやりたい。けど、俺はリンのお父さんに睨まれている。下手に戻れば、全てがご破算だ。
「ん~、そのことなんだけど……今、ハクちゃんと話し合ってるところなの。話がまとまったら、連絡するから。だから、あんたはそれまで、普段どおりにしておきなさい」
 じゃあね、と言って、姉貴は電話を切った。俺は憂鬱な気分で、リンからの手紙にもう一度視線を向けた。歪んだ文字。リンは、どれだけ辛い気持ちでいるんだろう。


 ……その日の夜、俺はリンの夢を見た。
 いつだかのように、白い翼を生やしたリンがいる。翼を羽ばたかせて飛んで行ってしまおうとするリンを、俺は必死になって引き止めていた。
「向こうに行きたいの」
 リンはそう言って、遥か先を指差した。そっちは灰色の霧に包まれて、何があるのかはわからない。
「わたしは行かなくちゃ」
「駄目だ!」
「わたしは行くわ。向こうはきっと素敵なところよ。苦しむことも悩むこともなくて、ずっと安らいでいられるわ」
 俺はリンの腕をつかみ、細い身体を引き寄せて抱きしめた。どこへも行かせない。
「俺の傍にいてくれるって、約束しただろ」
「……レン君はわたしの傍にいてくれないもの」
 一瞬、力が緩んだ。リンが俺の腕から抜け出し、翼を開く。
「わたし、もう行くわね」
 絶対に駄目だ。そっちに行かせるわけにはいかないんだ。だって向こうは、死の世界なんだから。そっちに行かれたら、二度と会えない。
 もう一度リンをつかまえようとしたけれど、リンは俺の手をすり抜けて、飛んで行ってしまった。……そこで、夢から覚める。
 このままじゃ駄目だ。リンをもう、あんな家には置いておけない。それだけは確かだ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

アナザー:ロミオとシンデレラ 第六十八話【君がくれた手紙】

 久々のアナザー更新。

 多分それぞれ後三話ぐらいで終わるんじゃないかかと。

閲覧数:1,375

投稿日:2012/06/09 22:16:39

文字数:3,841文字

カテゴリ:小説

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  • 水乃

    水乃

    ご意見・ご感想

    こんにちは、水乃です。

    リンが可哀相すぎて泣けてきそうです……!早くレン帰ってきて欲しいけど、確かに下手に帰るのも無理だしなぁ。
    出来ることならあたしがお父さんを殴ってやりたい!

    2012/06/10 02:00:03

    • 目白皐月

      目白皐月

       こんにちは、水乃さん。

       いや……なんかすいません、こんな展開で。ただちょっと私の中で外せない展開といいますか。
       この話は複数のキャラクターが絡みあっているので、ここでこの問題をクリアして、とか、色々ややこしいんです。
       後、リンのお父さんは殴られたら、嬉々として被害届を提出しに行く人なので、殴るだけ体力の無駄かなと思います。

      2012/06/10 23:05:09

  • 凪猫

    凪猫

    ご意見・ご感想

    ついに終わるんですか?!

    2012/06/09 22:28:36

    • 目白皐月

      目白皐月

       こんにちは、凪猫さん。

       はい、その予定です。
       ただ、次の更新は外伝になる予定ですが。

      2012/06/10 23:02:42

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