ずっとリンと抱き合っていたかったけれど、そういうわけにも行かない。明るくなったら、誰かに見つかりやすくなってしまう。だから、俺は暗いうちにリンの家を出ることにした。
 脱いだ服を身に着ける俺を、リンは泣きそうな表情で眺めていた。そんな顔しないでくれ。
「リン、俺はもう行くよ」
 引き伸ばすと、余計別れが辛くなってしまう。俺は手を伸ばして、リンの頬に触れた。リンが辛そうに頷く。
「気をつけて……」
 必ず迎えに来るからと重ねて約束して、俺はリンの部屋を出た。脚立を物置に戻し、裏門から外に出る。外に出た後で、もう一度建物を見た。……リンを閉じ込めている、リンの家。
 ここにリンを残して行くのかと思うと、辛い。なんていうか……自分の魂を半分、残して行くような気分になってしまう。
「二人で一つ」という台詞を思い出した。去年の学祭の舞台で、グミヤが言った台詞。あの台詞の意味、初めてわかったような気がする。


 それから一週間としないうちに、俺は母さんと一緒にニューヨークへ立つことになった。色々と手続きとかいって、かなり大変なはずなんだけど、その辺りは母さんが走り回って何とかしてくれたらしい。いや、俺もあっち行ったら転入試験とか色々あるんだけど。
 クラスの皆や演劇部の連中には、結局「向こうでやりたいことができた」と言ってしまった。この時期ということで、変な噂が飛び交いそうだけど、あれこれ話すわけにもいかない。受験やらなにやらで、周りがさっさとこのことを忘れてくれることを祈ろう。
 学校の人間で、どうして俺が転校するのかを知っているのは、初音さんにクオ、グミヤとグミの四人だけだ。みんな驚いていたけど、最終的には理解してくれた。グミヤには「お前が抜けると公演が不安だよ」と言われてしまったけど。俺としても、リンと二人で考えた舞台が見られないのは残念だけど、仕方がない。
 初音さんには、リンの支えになってくれるように何度も頼んだ。俺がいなくなってしまったら、一度は了解したことでも、リンはやっぱり自分を責めるだろう。そんな時、励ましの言葉をかけてあげられるのは、やっぱり初音さんしかいない。
 余談になるけど、何故か向こうに行く前に、始音カイトが俺の家に来た。……なんか、姉貴が色々と相談していたらしい。妙に法律関係についてあれこれ話してたと思ったが、入れ知恵してた奴がいたのか。あいつが法学部だとは知らなかったけど。
 お礼に食事をご馳走するんだとか姉貴が言って、奴は夕飯を食べて帰って行った。姉貴……安くあげたかったわけじゃないよな? なんか本当に普段どおりの飯って感じだったし。もっともカイトは喜んでいた。もしかして、家庭の味に飢えているんだろうか。
「姉貴は平気なの?」
 空港に見送りに来てくれた姉貴に、俺は訊いてみた。
「何が?」
「いや、俺があっちに行ったら、姉貴はこの家に一人になるだろ。やっぱり心配なんだよ」
 若い女が一人暮らしすることになるわけだしさあ……。未成年でも、男が住んでた方が良かったんじゃないかと思う。もう決まっちゃったことだし、今更言ってもどうにもならないけど。
「大丈夫よ。この辺、結構ご近所の連携も強いから。だから、あんたは心配しなくていいの」
 それはそうだが……やっぱり不安だよ。
「なんなら、犬でも飼おうかしら」
「犬はそういう理由で飼うもんじゃないと思うぞ」
 反射的にそう言ってしまったけど、でも、犬を飼うのもいいかもしれない。シロは姉貴が、友達の家から貰ってきた犬だった。死んじゃって、もう二年。姉貴、何も言わなかったけど、結構淋しかったのかも。
「姉貴」
「なに?」
「色々と……ありがと」
 姉貴は笑って、俺の額を軽く小突いた。
「リンちゃんのことは、こっちでできる限り気をつけるから。ハクちゃんも協力してくれるって、言ってくれたしね。だからあんたは、向こうで頑張りなさい」
「うん……わかった」
 俺と母さんは、姉貴に見送られて搭乗ゲートをくぐった。あれこれと面倒な手続きを終え、飛行機に乗り込む。
 離陸までの間、俺はぼんやりと窓の外を眺めていた。別に向こうに行きっぱなしになる必要はないんだが、当分日本には戻って来ないつもりでいる。母さんにも姉貴にも面倒かけちゃうけど、それが一番いいと思うんだ。日本に戻ったら、リンに会いたい気持ちを抑えられなくなってしまうだろうから。目的がちゃんと果たせるようになるまで、リンとは会わない方がいい。


「レン、ニューヨークに着いたらどこに行ってみたい?」
 離陸してしばらくしてから、母さんが俺に訊いてきた。
「俺は勉強しに行くんだよ、観光じゃなくて」
 一応、そういうことだ。向こうの学校に通うことになるわけだし。試験はしばらく先だけど、母さんは家庭教師を頼むって言っていた。問題なく合格できるように。
「一日か二日ぐらい、遊びに行ったっていいわよ。ニューヨークには有名な観光スポットがたくさんあるし。ほら、ネダーランダー劇場とか、いいんじゃない?」
『RENT』を上演している劇場(注)か……。確かに行ってみたいし、舞台を見てみたい。でも……。
 行くんなら、やっぱりリンと一緒が良かった。
 そう考えてから、俺は首を横に振った。こんなことばかり考えていたら駄目だ。もっとちゃんと、前を見ないと。
「母さん、メトロポリタンって行ったことある?」
「ええ、美術館でしょう?」
「そっちじゃなくて、オペラハウスの方」
 リンが貸してくれたDVDの中に、ここで上演されたものもあった。ものすごく大きくて、大がかりな舞台。
「リンカーン・センターにある奴ね。行ったことはないけど、場所は知ってるわ。レン、行ってみたいの?」
 俺は頷いた。リンをあの家から連れ出せる日が来たら、そこへ連れて行ってあげよう。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

アナザー:ロミオとシンデレラ 第六十六話【分かれた道】

(注) 以前にも書きましたが、この作品は『RENT』の上演終了以前という設定になっています。


 レンが「二人で一つ」と言っていますが、訳者さんによって結構、台詞違うんですよね。これは青空文庫のフリー訳からとりました。岩波版では「僕たちは一体」と言っております。

 ゴールデンウィーク、皆様はいかがお過ごしだったでしょうか。
 私は風邪引いたので辛いウィークになってしまいました。やっと連休明けたので医者に行って薬もらって、ようやく落ち着きました。

閲覧数:1,032

投稿日:2012/05/08 22:12:30

文字数:2,408文字

カテゴリ:小説

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  • 水乃

    水乃

    ご意見・ご感想

    こんにちは、水乃です。

    リンはとってもさびしいでしょうが、ミクやグミたちがついていてくれる分安心ですね。
    メイコさんも、優しいですしね。
    しっかし…レンが少し羨ましいです。ニューヨークですからね……。美術館とか、大きくて見回れない位らしいです……。

    これから、リンはどうやってお父さんに立ち向かっていくんでしょうね。

    2012/05/09 13:38:19

    • 目白皐月

      目白皐月

       こんにちは、水乃さん。メッセージありがとうございます。

       それこそ、『RENT』の中で出てくるフレーズ、"You are not alone, I'm not alone" ですね(書いている間このフレーズが巡ってた私)

       ニューヨークは劇場も映画館もたくさんありますし、それ以外にも色々とありますからね。でも、しっかり勉強はしてもらわないと。

       お父さんに関してはまた出てきますが、例によってろくなことはしません、はい。

      2012/05/09 23:17:41

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