「あたし宛の手紙は?」
りんが廓の入り口にいる取次番の男に声を掛けると、男は思い出そうとするかのように、まじまじとりんの顔を見た。
「ええと、すまん。誰だっけか」
「おりん」
「ああ、新入りのじゃじゃ馬だ。最近騒ぎを起こす事もなくなったなあ。みくさんに良く仕込まれたんだろ」
そんな男の軽口を無視して、りんはただ、取次番を睨み付けただけだった。
「おお恐。そんな愛嬌がないんじゃ、店に出してもらっても、お客がつかないよ」
「手紙」
「……はいはい」
男は肩を竦めて、ちょっと待っておいでと言い置いて奥の部屋に入り、それから首を振って出てきた。
「あんた宛のは何も来ていないよ。でも、みくさん宛にはいくつか来ているから、持って行ってくれ」
差し出された手紙の束を、りんは物も言わずにひったくるように受取る。そのままくるりと挨拶もなしに立ち去る後姿を見て、取次番は呆れたものだという顔をして、僅かに首を横に振った。
りんがみくの部屋に行くと部屋の畳一杯にきらびやかな着物が広げられていた。りんが面食らって目を白黒させていると、楽しそうにそれを広げていたはくが、りんに気がついて微笑みかけた。それから、弾んだ声で、その着物を指差して言う。
「おりんちゃん、好きなものを、選んでいいって」
「え?」
「みく姐さんの昔の着物、もう着られないから下の子たちにって。まずはおりんちゃんが選んで良いって。欲しいなら、全部でもいいけどって」
りんはちょっと戸惑うように入り口に尚、立ち尽くしていた。その様子に、はくとみくは不思議そうに顔を見合わせる。
「どうしたの?」
みくが問いかけると、りんはしりごみしながら、といった様子でおずおずと部屋の中に入ってきて、それから途方に暮れたように床に広がる色とりどりの着物を見渡した。
「あたし、こういう華やかなのって着た事なくて……」
言い訳するように口の中でもぐもぐと言いながら、目は着物に釘付けだった。こんな豪勢な着物、実家にいた時はお目にかかったこともなかった。家ではいつも質素倹約が基本で、こんな派手なもの、欲しいとでも言った日には、家族から冷ややかな目で見られるだけでは済まされなかったはずだ。
りんの言葉に、二人は納得して密かに笑いあった。
「ああ、そっか。じゃあどれがいいか合わせてみないとね」
みくが言うと、はくは意を得たというように立ち上がって、りんの手を引っ張って、部屋の真ん中に連れてきて、戸惑うりんを立たせると、手際よく今着ている着物を脱がせ似かかる。
「さて最初は何色がいいかしら? おりんちゃんは明るい色の方がいいね」
みくは立ち上がって、畳一杯に広がる煌びやかな着物を見渡してめぼしい物を片手に引っ掛けて、楽しそうに帯などを合わせ始めた。
はくが他の仕事があるかと出て行った後でも、みくはりんにとっかえひっかえ着物を着せて、帯やなんかもあれこれと思う存分試して、挙句、髪もやらなきゃと張り切って、りんの髪を梳いていた。最初は多少抵抗したりんも、諦めと、抗(あらが)い難い煌びやかな着物や装飾品の魅力に屈して、お人形遊びのお人形の役を受け入れて大人しく座っていた。みくはすこぶる上機嫌の様子で、様々の華やかな簪や花飾りを手当たり次第に自分の道具箱から取り出して来た。
「たくさん、持ってるんだね」
りんはみくのその豪奢で贅沢なたくさんの装飾品に知らず目が吸い寄せられてしまって、とうとう感嘆するようにそう言った。
「たくさん貰うから」
「もらいもの?」
「自分で買うのも時々あるけど。お店に来るひとが結構くれる」
「お金があるんだね」
「ないひともいるけどね。それで身を持ち崩すひとだっているし。もっと有意義な事にも、つかえるのにね。おかね」
みくは興味なさそうにそう言って、りんの髪のひと束を掴んで持ち上げて、何か綺麗な紐で括り始めた。
「私もね、おりんちゃんくらいの年頃の時にここに来たの。お着物、とっておいてよかった」
柔らかく髪を梳かれながら聞いたその言葉に、りんは少し興味をひかれた。
「売られたの?」
「自分で売ったの」
「自分で?」
信じられない、という調子のりんの声に、みくは苦笑する。
そう、自分で。
軽く目を伏せて、思い浮かぶのはここに来たばかりの自分の姿。いまでもまざまざと思い出される、その時の思い。今でも胸の中に深く深く、澱(おり)のように根付いている思い。
それは決して、もう、逃れられないこと。
「はい、できた」
髪の脇に花飾りをつけてあげると、まるで座らせて飾っておきたいような、可愛らしい人形のような出で立ちとなった。
りんは照れくさそうな顔で立ち上がると「夕餉の膳を貰ってこないと」と言い訳するように言って、そそくさと部屋を出ようとする。
床に散らばった着物たちを集めようと屈んだみくは、障子が閉まる直前、消え入るような声で「ありがとう」というのを聞いた。意外な思いでりんの方を振り返ったときはもう、山吹色の帯の端が障子の向こうに消えるところだったけれど。
ぱたん、と閉まった障子を見ているうちに、みくは少し笑えて来た。
(私も、昔、ああいう感じだったのかな?)
くすくすと微笑ましい思いで笑いながら、また、着物を畳む作業に戻りつつ考える。
(ねえ、そうだった? 芽衣子姉さん)
内心で、そう呼びかけながら。
りんの足は宙を踏むようにふわふわとしていた。こんな綺麗な着物を着れる日が来るとは思っても見なかった。ひらひらと蝶の羽のように揺れる豪華な刺繍で縫い取られた袖を揺らして歩きながら、知らず、りんの心は浮き足立っていた。
(もしあの子が、この姿を見たらなんて言うかな)
故郷に残してきた人を思い浮かべてそんな事を考える。その様を想像すると、胸の奥がくすぐったくなった。どんな言葉をかけてくれるだろう? どんな目をして、めかし込んだ自分を見ただろうか?
「なんだ、その格好」
突然、心地の良い空想を打ち破る意地の悪い、そんな声が聞こえて、りんはムッとした顔で背後を振り向いた。案の定そこには最近何かと突っかかってくるねるがいて、腕を組んで、仁王立ちでこちらを見ていた。
「随分と派手な格好じゃないの」
「みく姐さんに貰ったの。羨ましいの?」
「そんなんじゃないわよ」
ねるは強い語調で言って、悔しそうにりんの上から下までじろじろと見る。
「すっかり手なずけられちゃっているんだ。あの女に」
「悪い?」
「悪かないけど、あの女、なかなかに悪女だって噂だから、簡単に手なずけられちゃったお前が単純だなって」
「悪女?」
「幾人もの男が骨抜きにされて、身を滅ぼしているとか。あいつの言いなりになって盗みを働いた男がいるとか、それで捕まったやつがいるとか。いろいろあるんだよ」
「るか姐さんも、それ程になれればいいわねえ」
りんのその揶揄する口調に、ねるはカッと顔を赤くした。
「何言ってるんだ! 馬鹿」
鋭い音がして、打たれた頬が弾ける様に痛んだけれど、りんも負けてはいなかった。仕返しとばかりに長いねるの髪をここぞとばかりに掴んで引っ張り寄せると、ねるは痛みに悲鳴を上げた。それと共に振り回されたねるの爪がりんの頬を掠めて引っ掻き傷を作る。かっとなって、りんはねるの鼻の穴に二本の指を鉤爪のようにして突っ込んで、思いきり引っ張った。ねるが痛々しい悲鳴を上げるのも構わず、力任せにそれをすると、めちゃめちゃに振り回された手がりんの髪を掴んで、強い力で引っ張る。りんが思わず痛みに手を離すと、それを見逃さず、ねるの肘がりんの顔に跳んできて、当たった瞬間顔面と、鼻の奥につんとした痛みを感じた。鼻の下を、つ、と液体が流れ落ちる感触を感じながら、りんは赤いそれを拭うこともせずに、拳を握ってやられた場所と同じ場所にそれを打ち込む……。
「またお前らか!」
騒ぎを駆けつけてきた若い衆が駆けつけて、捕らえられて、引き離されて。
せっかく結ってもらった帯も解けて、髪飾りもとれてしまって部屋に戻ると、みくは目を丸くした。
「どうしたの?」
「ねるに廊下であって」
「またあ」
怒られるかと思ったのに、思いがけず、みくは笑った。りんにしてみれば、ちょっと意外な笑い方で。声を立てて。
「本当、お転婆でしょうがないねえ」
おいで、とみくはりんを手招きする。
「結い直してあげる」
りんの顔が判りやすく輝くのを笑いを堪(こら)えて見守って、みくは、とりあえず血で汚れた顔を拭くために布を取り出した。
⇒第四話へ続く。
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