見下ろした窓の下、赤い髪飾りが通り過ぎて行った。
それは十代半ばくらいの浴衣姿の少女だった。路地裏の小道を一人、からころと下駄の足音を立てながら進んでいく。近所で行われる夏祭りに向かうのだろう。下駄履きに慣れていないのか、そのおぼつかない音色がなんだか可愛らしい。
恋人との待ち合わせだろう。浴衣の裾に気を付けながらも先へと急ぐ少女の背中を見送りながら、メイコはぼんやりとそんなことを思った。
着なれぬ浴衣に下駄の足元。結い上げた髪に飾るのは赤い花。
好きな相手に自分の可愛らしい格好を見て欲しい、と願う恋心。
好きな相手の可愛らしい格好を、見たいと望む恋心。
少女の髪に揺れる赤い髪飾りと同質の色を宿したその感情のことを、メイコはよく知っていた。恋をした“人”というのはただそれだけのことを、まるで一生の宝物を手に入れたように喜ぶことも知っている。
だから、部屋の壁には昨夜から浴衣が吊られていたし、その浴衣に似合う髪飾りもマスターと共用の鏡台の前に用意してある。
夏祭りに一緒に行かないか、と言ったのは彼からだった。こういう行事ものに関しては、大概、彼から誘ってくる。どこそこに行きたい、とメイコがねだることはほとんどない。欲がないなぁ、と彼は笑う。けれど違う、欲が無いのではなく、興味が無いのだ。
ちりん、と温い風が窓辺に吊るした風鈴を鳴らす。その涼やかな音色にそっと目を閉じてメイコは歌をうたった。
それはマスターがメイコのために作ってくれた恋の歌。甘い砂糖菓子、というよりも、共に時を刻む事を喜ぶような穏やかな曲。彼が求める愛情はきっと、こういった色合いのものだから。
彼、はメイコのマスターの叔父にあたる人だ。齢が近いから叔父っていうか兄みたいな存在なんだ、と初めて会ったとき、彼のことをマスターはそう紹介した。
彼は、ほんの少し頼りない印象の、叔父さんと呼ぶには確かに若い、男の人だった。
メイコにとってはマスターの血縁者でしかない存在だったけれど、彼はメイコにいつしか好意を持つようになった。たくさんの人工知能が実体化された現在では、人と機械の恋愛もそう珍しいものではなかった。彼は、何くれとなくメイコをかまい、あちこちに連れ出した。
この間のおすそ分けのお礼。メイコさん料理上手だね。と簡単なプレゼントを贈られて。
こういうのメイコちゃん好きそうだから。と映画に誘われ。
メイコはお酒強いんでしょ。と二人で飲みに行った。
向けられた視線に込められた熱についてメイコが察した頃。彼はメイコに告白をした。
好きだ、と。一緒に居て欲しい。と彼は言った。言ってくれた。
自分の叔父と、自分のボカロの恋愛模様について、マスターは面白がっているようだったが何かをけしかける事はしなかった。メイコの好きなようにすればいいよ、とそこはメイコの意見を尊重してくれた。
けれど、意見を持つも何も、恋愛感情をはっきりと理解していないメイコは、ほんの少し、途方に暮れた。
沢山の愛情を、彼はメイコに向けてくれた。言葉にするよりもその態度で十分すぎるほど伝わっていた。けれど、メイコは愛という情についてはっきりと理解していなかった。
ただ、与えられたものは、返さないといけないような気が、した。
「メイコ」
名を呼ばれ、メイコは目を開けた。口ずさんでいた歌は中途半端に途切れてふわふわと消えてしまう。名を呼ばれた方、部屋の入口へ視線を向けると、マスターである少女が麦茶のグラスを二つ手に持って立っていた。
「そろそろ支度した方がいいんじゃない? 叔父さんが迎えに来るよ」
そう言いながらマスターは、部屋の中央にあるローテーブルに麦茶のグラスを置いた。グラスに口をつけつつ、もう一方の麦茶をメイコに向けて促すように寄せた。
「歌って、喉、乾いたでしょ」
「ありがとうございます」
マスターの気遣いに礼を言って、メイコも麦茶を手に取った。冷たい液体に、グラスの表面にはびっしりと水滴がついている。ひんやりとしたその感覚を心地よく思いながら一口飲み、ほ、と息を吐いた。
「さっきの歌。メイコ最近よく歌っているよね」
「そうでしたか?」
「そうよ。無意識に恋の歌を歌っちゃうのは、やっぱり叔父さんの影響?」
からかう様なマスターの言葉に、メイコは曖昧な微笑を返した。
「……そうかも、しれないです」
はにかむ様にそう言えば、まだ少女であるマスターはやっぱりね、と黄色い歓声をあげる。その無邪気な様子にメイコは本心を微笑の裏側へそっと隠した。
彼からの影響、というのはあながち間違いではないだろう。けれどマスターが思う様な甘い影響ではない。
恋心を抱いているから恋の歌を歌っているんじゃない。
恋心を抱くために、恋の歌を歌っているのだ。
メイコは彼の好意を受け止めた。彼と付き合うようになり、たくさんの時間を、彼と共に恋人として過ごすようになった。
けれどやっぱりメイコ自身は恋愛という情を理解できないままだった。彼からの愛情を受け止め、恋人らしいふるまいをするのは、何かの義務のように感じていた。
浴衣を纏い髪飾りを付ける事も、慣れない下駄をはくことも、本当は動きやすい格好で出かけたいけれどそんなことは絶対に彼には言わない事も。全部メイコから生み出された事ではない。
全て、彼が向けてくれた好意に対する返事でしかなかった。
夕暮れ時。彼が迎えに来たころにはメイコは身支度を済ませて待っていた。白地に淡い朱の花が大きく描かれた浴衣に緋と辛子の帯。髪には涼しげな硝子玉が揺れる髪飾り。
「遅くなってごめん」
出迎えたメイコに、彼はそう言って照れたように笑った。
「暑かったでしょ。今、お茶入れるわ」
そう言ってメイコは彼を部屋の中へと促した。
冷蔵庫から作り置きの麦茶を取り出してグラスと一緒に居間へと戻ると、勝手知った様子であの人はローテーブルの傍らに腰を落ち着けていた。子供みたいに足を投げ出して座っているその姿に、だらしないよ、苦笑しながら小言を零し、メイコはその隣に腰を下ろした。
はい、とお茶を注いで渡せば、ありがとう、と彼は笑顔で受け取った。外はよっぽど暑かったのだろう、彼はごくごくと喉を鳴らしながら一息に麦茶を飲み干す。そんな彼に、メイコは苦笑しながら新たな麦茶を空のグラスに注いだ。
「あいつは?」
姿の見えないマスターに、きょろきょろと部屋の中を見回しながら彼が問いかけてきた。
「マスターは一足先に出かけたわ。待ち合わせしているって」
「へえ。彼氏かな」
「かもしれない。マスターも浴衣を着ていたから」
ふふ、と笑いながらそんなことを言って。
ふわり、と風が吹き込み、ちりん、とまた風鈴が鳴った。ただそこにいるだけでじんわりと汗がにじみ出るような空気に、沈黙が落ちる。
「疲れてる?」
不意に、彼がそんなことを言った。
疲れているそぶりも見せてないし、実際、疲れてないのだけど。その言葉の真意が図れずに小首をかしげたメイコの手に、彼はそっと触れてきた。
一見頼りなげに見える細い指が、けれど予想外の力でメイコの手を握りしめる。甘えるような、メイコをここに留めておきたいと願う様な。そんな彼の手の感触に、メイコはそっと目を伏せながら、握り返す。
「疲れてる、のかも、しれない」
半分くらいの嘘を混ぜて、メイコは甘えるようにそう言った。その言葉に、彼の指先は安堵するように緩む。
「じゃあ、お祭りに行くのは止す?」
「でも、せっかく浴衣を着たのに」
「俺は見れたから、それで十分」
おどける様にそんな事を言った彼に、なにそれ、とメイコは小さく笑った。
他愛のない会話の中で、お互いの気持ちを推し量るような緊張感。不安にさせてしまったのかもしれない、と甘えるように彼の肩にもたれかかりながらメイコは思った。
自分が恋愛感情を理解していない事を、この人が知ったらどんなに傷つくか。
それを思うと、たまらない気持ちになった。そんなことを彼に知ってほしくないと、強く願った。彼に傷ついてほしくないと願うこの感情はただの同情か何かなのかもしれなかった。
色付くような愛情などとは異なる、罪悪感にも似た感情がメイコの胸の奥を痛めつける。
メイコは先駆けのボーカロイドだからこそ、恋というものの甘い衝動を知っていた。愛というものの穏やかな熱をよく知っていた。それら全て、歌が教えてくれた感情だった。恋愛感情など知らないくせに、愛や恋に処する術を身に着けていた。だから、彼に好きと言われた時、愛なんて情を知らないくせにその想いを受け止める事が出来た。
あの時。好きだと彼に告げられた、あの時。
そもそも知らないくせに、あたかも彼に対しての愛情を自分も持っていたかのように振舞って。まるで歌をうたうように、請われるままに求められた熱を生み出して、彼に返してしまったのだ。
それはとんでもない罪だ、と気が付いたときにはもうどうすることもできなくなっていた。
「浴衣、似合ってる」
「派手じゃないかな。こういうのはミクやリンの方が似合う柄よね」
「そんなことない。可愛い」
「可愛いってタイプじゃないわよ、私」
「まー確かに、可愛いって言うか女帝だもんな」
「そこは、そんなことないよとか、言うべきじゃないのかな」
「自分で言ったくせにって、それ痛い、痛いから」
「はいはい、ごめんなさい」
恋人同士になる前と変わらぬ調子で軽口を交わし、けれど触れ合うその仕草は恋人同士の距離感。
じゃれ合うように笑って、彼は慈しむ様に私に触れながら、好きだよ、言った。
「そういう、メイコの褒めると照れるとこ、なんか可愛くて好きだ」
そう言って彼の指が確認するように、私の頬をなぞる。その指先のやさしさに、また罪悪感にも似た痛みが、じくりと胸に広がる。
今、この胸に感じる痛みは、あの時、偽りの笑顔を浮かべた私の罪に対する罰なのだろう。
いい。罰などいくらでも受ける。だからどうか、この人が私の空っぽの中身に気が付きませんように。
この人が、傷つくことなく過ごせますように。
彼からもらった想いの分だけ、返すために。恋をしたらどうすればいいのか。それを思い出すために。彼の腕の中に閉じ込められながら、メイコは小さな声で恋の歌を口ずさんだ。
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