椅子に背をもたせ掛け、カイトは本を読んでいた。開け放たれたままの窓から吹き込む風が、白いカーテンを小さく揺らす。部屋の隅に置いた蓄音機から流れるレコードの音が部屋の空気を静かに揺らしていた。
ぱらり、とページをめくる。と、次の瞬間、紅い花弁がひらひらと頭上から本の上へ降り注いだ。本の世界に没頭していた思考が、朱の破片に現実へ戻された。
驚いて、カイトが頭上へ視線を上げると、そこには悪戯っ子の様な笑みを浮かべたミクが、立っていた。彼女の白い指から零れ落ちた紅い花弁が、はらはらとカイトの顔に落ちてくる。
「ミク。」
可愛い邪魔をしてくるミクを、カイトが呆れた様な声で呼ぶと、ミクはだって。と笑いながら睨んできた。
「カイト、最近忙しくて私の相手をしてくれなかったじゃない。久しぶりに一緒にいると言うのに、本なんか読んでいるし。」
一緒にいるのだから、私の相手をして頂戴。とミクは笑んだ。
ミクと出会ってから数年がたった。
幼かった少女は、カイトの造った閉じた世界の中で成長した。誰にも汚されず、欲望の外で美しいものだけに囲まれて育ったミクは、カイトの思惑通り無邪気で、清らかな存在となった。
まるで大輪の花が綻び花弁を広げるように、ミクは日々美しくなってゆく。匂い立つような美しさは、死んでしまったハツネの面影と重なる。
可愛く我儘をねだり、美しいもの特有のある種の傲慢さも持つこの娘は、しかし、ハツネとは違う生き物になっていた。
「ねえカイト。折角だから街へ行きましょうよ。こんな良い季節なんですもの。外を出歩かなくては勿体無いわ。」
そう、ミクは言ってカイトの腕を取った。白く細い指がカイトの指に絡みつく。
その滑らかな感触にぞくり、と衝撃がカイトの内側を奔る。焼け付くようなその感覚を悟られないよう、カイトはそうだな。と表面上穏やかな笑みを浮かべた。
「では支度をしよう。」
そう言って絡んだ指をさりげなく解く。指先からミクの感触が消えてゆく。
ふと、ミクが真っ直ぐにカイトの事を見つめてきた。何かを問うような、質したいような。そんな眼差しにカイトは首をかしげた。
「どうした?」
そう問うと、ミクはなんでもないわ。と首を振った。
「なんでも、ないわ。私も支度をしてくるから、、、っ。」
そう踵を返しかけ、ミクが不意に声を上げた。
「目に、ごみが、、。」
痛い、とミクが目をこする。ああ、と慌ててカイトはその手を取った。
「駄目だ、擦っちゃ。目に傷がつく。」
そう、ミクの手首を掴み、カイトは涙で潤んだミクの瞳を覗き込んだ。
「ああ、、、睫が入ったんだな。」
そう言って、カイトはそっと指先で睫を払う。取れた。と微笑んでやると、ミクの顔がすぐそこにあることに今更ながらに気がついた。
吐息を感じるほどの距離に心が震えた。
知らず、ミクの腕を掴む手に力がこもる。ミクの付く吐息が肌に触れる。強い光を湛えた大きな瞳がカイトを見つめてくる。
「カイト。」
幼い頃とは違う甘さの篭った声が名を呼ぶ。
その声に、吐息に、思考は甘く痺れる。
抗えなくなる。
慌ててカイトは突き放すようにミクから体を離した。
「出かけるんだろ?早く支度をしよう。」
そう努めて冷静な声で言う。背けた視線の外で、ミクがじっと自分を見つめているのを感じた。
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