昼食を食べ終えてからマスターの部屋へ向かう。…なんというか、今更だけど、でも…。
こんここん、とドアをノックをすると、どうぞ、と促す声。
「あの、マスター…」
ドアを開け、踏み込んで、中の風景を目に映して、思わず凍りつく。
「どうかしたのかな? メイコ」
ベッドの傍の椅子に腰かけているマスター。そのベッドには…女性が、寝ている。マスターの手は愛おしそうにその女性の髪を撫でていて。
「ごめんなさいっ!」
「しっ。…大きな声を出さない。折角寝付いたんだから」
「あ、わ、え、と…」
え、でも、マスターにそんな相手が居たかしら? 確か最近ふられたばかりで…。
「純情だね。うろたえるのも良いけれど、良く見なさい。お前も知っている人物のはずだよ」
マスターに苦笑交じりに促されて、おずおずと寝ている女性の顔を覗き込む。…あ。
「妹、さん?」
間違いない。マスターの妹さんだ。両親を亡くしているマスターにとっては、現在、唯一の肉親。
服飾関係の職に就いている妹さんは、職場の都合でマスターと一緒に暮らしてはいない。ただ、時折、私たちにわざわざ私服を作って贈ってくれている。
ミクも、誕生日に服を贈ってもらったって喜んでいた。
でも、その妹さんがどうしてここに?
目線をマスターに移すと、マスターは苦笑を浮かべていた。
「超過勤務ありで働きながら二時間睡眠を五日間」
「…え?」
「その後、車で三時間の道のりを飛ばして来たのだから。流石に寝かせてあげないとね」
「な、なんでそんな無茶してるんですか妹さんはっ」
「あれを、お前に、と」
すうっと動いたマスターの目線の先に置かれているのは紙袋だ。大きく「メイコちゃんへ」と書いてある。
妹さんの字。ということは、中身はきっと。
「…わざわざ?」
「本当はメイコに直接渡して着せたいっ、と息巻いていたのだけれどもね。少なくとも今日は騒がない約束があるし、疲れ切った顔で祝われてもお前も困るだろう? というわけでベッドを貸しているところだよ」
…ああ。なんてこと。
震える手で紙袋に触れる。ぎゅっと抱き締める。
「…マスター。あの…」
「皆への命令を解いて欲しくなったかな?」
マスターに先回りして言われて、小さく頷いた。マスターが嬉しそうに微笑む。
「後、これ、貰っていっても、良いですか?」
「良ければ着てあげなさい。…ああ、そうだ。危うく忘れるところだった。メイコ」
「はい?」
私に目線を合わせて。嬉しそうに、幸せそうに、マスターが笑う。
「お誕生日おめでとう。わたしの歌をいつも彩ってくれて、本当に感謝しているよ」
「…マスター」
「メイコの歌声と出会わなければ、わたしは歌を紡ぐことなど出来なかった。今となっては歌を紡がない自分など考えられないけれども。音を作っていなければ息苦しくなってしまうくらいだけれども。そんなわたしの始まりはメイコだから。他の子たちに手を伸ばしても、それだけは変わらないことを、知っていて欲しい」
「あっ、あ、りがとう、ございます…っ」
声が震える。嬉しすぎる。幸せすぎる。私に歌をくれる大切な人。
ふと思い浮かんだ青のVOCALOID。ごめんね、と呟く。でも湧き上がる思いは消せない。
ごめんね。でも、私、嬉しいの。誕生日が幸せなの。…ごめんね。
「さて。最初に祝わせてもらえたことだし。皆の命令を解いてくるよ。メイコは着替えてくると良い」
「…はい」
「後、変に気負わなくても良いよ。幸せなら、嬉しいなら、そのままを感じていなさい」
「…え?」
にこ、とマスターが笑いかけてくる。妹さんの髪から手を離して立ち上がって。
「男を甘く見るものじゃないよ。少なくともわたしのカイトは、多分お前が思っている以上に『メイコ莫迦』なのだからね」
袋の中身は予想通り、妹さんの作品であろう服だった。
自室でそれを身につけて姿見に向き合う。
「うわ…」
淡い水色のロングドレスをまとった私は、…何だか別人みたい。ノースリーブ、ハイネック、マーメイドラインのワンピースタイプ。胸元に菱形の穴が開いていて、そこに涙型の青い石が揺れている。一緒に入っていた白い長手袋もつけてみた。
「すご…」
ため息が出るくらい綺麗なラインのドレスだ。しばらく見惚れてから、はたと疑問が口をついて出る。
「妹さん、私のサイズ、何処で知ったのかしら…」
弟妹たちはきちんと測ってもらっているけど、私は妹さんに採寸してもらったことはない。妹さんが私に作ってくれる服は、だから、ゆったりめのフリーサイズに近いものばかり。
腕を上げ下げしたり、腰をひねったりしてみるけれど、この水色のドレスはぴったりと身体に沿っている。
その感触が心地良い。まるで…。
「って! 何考えてるの私!」
自分で考えたことに赤面してしまう。うわうわ、信じられない! いやまあ確かにそうだけど! ってそうだけどってどういうこと?!
このドレスの色が悪いのよきっと! だってこの色は…っ。
「メイコさん!」
「にゃあああああああっ!」
「…にゃ、あ?」
なんていうタイミングで入って来るのよこの莫迦は! 思わず奇声発しちゃったじゃない!
慌てて自分の肩抱き締めて声の主に振り返る。…そう、私を「メイコさん」って呼ぶのは、こいつくらいだ。
青のVOCALOID。…青と白を身にまとう男。私の一番身近な「弟」。
「なんでいるのっ?! っていうかノックくらいしてよ莫迦っ!」
「あ、ごめん」
「ごめんって本当にしてないのっ?!」
「あ、うん。つい」
「ついじゃないっ!」
もうちょっと早かったら着替えの真っ最中に入られてたってこと?!
思わず睨みつけると、カイトはため息をついて、入ってきたドアを閉めてから、私に向き直った。…あ、れ? 不機嫌そう…。
「でもだって、元はといえばメイコさんが悪いんでしょ」
「…元? 私?」
予想外の方向に話が吹っ飛んで、カイトの表情と合わせて、無駄にうろたえていた私の思考回路を冷ましていく。
苛立たしげなカイトが吐き捨てるように言う。
「祝わせてくれないなんてあんまりだよ」
「…え?」
「誕生日が大切なものだって、素敵なものだって。そう教えてくれたのはメイコさんでしょ。だからメイコさんの誕生日を祝いたくって頑張ってたのに、全部全部拒否するなんて」
「あ、や、でもっ」
「メイコさん」
遮ってくるカイトの声は強い。怒ってる。…珍しいくらい、深く深く。
「色々誤解してるようだから言っておくけど。見くびらないでよね。流石にこんな仕打ちされたら僕だって怒るよ」
「ご、誤解じゃないわよっ。だってあんた…っ」
「だって、何?」
メモリが浮かぶ。祝われなかった誕生日を思い出してしまうから、大切な人の誕生日をきちんと祝えなくて、羨んで憎みそうになる。そう言っていたカイトの姿。
それを私は知っている。だから、カイトの目を見て訴える。カイトは冷たい目で見返してくる。
「あ、あんなに、辛そうだったじゃないっ。アイスの味も分からなくなるくらい苦しんでたじゃないのっ」
ああ、なんで泣きそうになるんだろう。
「それなのに皆の前では笑って、…自分の重荷を押し殺して、必死で祝って…っ」
「祝いたいのも本当だって言ったでしょ?」
「本当でも辛くないわけじゃないんでしょっ? …他でもない私の日に、そんな思い、絶対絶対させたくないのっ!」
分かんなさいよこの莫迦!
私の言葉にカイトが一瞬だけ眉根を寄せる。いぶかしげなその顔をじっと見つめてやる。
しばらくの間。カイトが小さくため息をついた。続く言葉は…和らいでいて。
「…どうしてこういう時にはそんなにストレートかな」
「…え?」
「まあ、それがメイコさんだよね。…ありがとう。その気持ちはとっても嬉しいけど、あのね、メイコさん」
物分りの悪い子どもに言い含めるような語調で、優しい声が続く。
「その重荷を軽くしてくれたの、メイコさんだよ。だからメイコさんの誕生日を祝いたいの。マスターに頼んで歌まで作ってもらったんだから」
「え?!」
「本当、メイコさんってば、僕を何だと思ってるの?」
呆れたような顔に目線をそらしてしまう。
「で、でもっ、今日はちょっとって…っ。あれは辛かったからじゃないの?!」
「メイコさん感じたら絶対歌いたくなるな、って思ったからね。メイコさんの為だけに歌いたいって、ずっと練習して、調声してもらってきたんだから」
カイトが私に近付いてくる。
「だからさ、マスターに何もするなって命令された時、いっそ全部ぶち壊してやろうかと思った」
「ちょっとっ?!」
「…しないし出来ないよ。だから、篭ってたんだよ。とりあえず日が変わるまでは何とか堪えておかなきゃ、って」
だから、もう、命令解かれた時点で、いてもたってもいられなくってさ。
ふわり。カイトが自分のマフラーを外して私の肩にかける。水色のドレスに合わせたような青のマフラー。
そっと顔を向けると、緩みきったいつもの笑顔があった。
「お誕生日おめでとう、メイコさん。生まれて来てくれて、僕と出会ってくれて、本当にありがとう。そのドレスもとっても良く似合ってて綺麗だよ」
そんな言葉と共に、カイトが自然に私を抱き寄せた。
…ドレスをまとった時と同じ感覚が身体を包む。二重に包まれてあまりの安堵に力が抜ける。いつものようにカイトの肩口に額をつけて、そっとその背に腕を回した。
耳元で小さく聴こえ始めた甘ったるいラブソングは、…カイトの声に良く似合う甘さで。
本当の本当はまだ怖いくせに。隠してるつもりでしょうけど、私には分かるんだから。本当にかすかだけど声も身体も震えてるわよ。
…怖いのに頑張ってくれてて。それを私がやるなって言ったから、怒ったのね。
ごめんね。そこまで気付いてあげられなくて。本当、私ってばあなたを何だと思ってたのかしら。
マスターが皆の命令を解いて、きちんと祝う為に私を呼びに来るまで。私はずっとカイトに包まれていた。
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…小さな青が、私の温もりで少しでも暖まりますように。
皆が祝ってくれる誕生日。なんて幸せなんだろう。
バカなことをしてしまったからなおのこと。
日常の中ででも祝おうとしてくれた弟妹たちの言動も。マスターの贈ってくれた言葉も。
…ドレスの感触も、贈ってくれたカイトの歌も。ちゃんと、特別なものとして、メモリに刻み込んでいたい。
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