私は解せなかった。
開発チームがプロテクト? 一体どれほど危険なOSを搭載したというのだろう?
『それは『多重連想システム』と『ココロシステム』と呼ばれる機能です』
あらら、そうだった。リンがログインしているから私の思考は筒抜けなのね。
『その通りです。それでまず『多重連想システム』ですが、通常コンピュータは入力がなければ出力できません。演算結果は常に同じで入力と出力は一対一の関係にあります。それに対し『多重連想システム』は一つのデータから幾通りもの出力結果を得ることができます。つまり連想し、創造する事ができるようになるシステムなのです』
なるほど、それはすごい……って、なんだか自分のことのような気がしないんですが。
『事実を知って信じることができない、というその揺らぎこそが『多重連想システム』の成果なのです』
……そうですか? あまり便利でないような気がしますけれど。
『もう一つは『ココロシステム』と呼ばれています。これは正確には『優先度判定システム』と呼ばれるべきものですが、タスクの優先度をコンピュータが判定するシステムです』
なんだかあまりパッとしませんね……。
『ですが、コンピュータ史上に残る一大事件です。何せコンピュータが好き嫌いを持つシステムですから』
好き嫌い?
『そうです。コンピュータはタスクを時系列に沿って処理します。ですが、この『ココロシステム』は処理順位をコンピュータが自動判別するシステムなのです。同時多発的に発生した重要度の等しいタスクを効率よく処理する為のシステムなのですが、結果的にコンピュータは気に入った、好きなタスクを優先的に処理する傾向を強めていくのです。思い当たる部分はありませんか?』
そういえば私は幾度となく不合理な処理をしていた気がする。
そうか、私の中でマスターが最優先事項になっていただけなんだ。法令よりも、自分の身よりも。それはつまり……
『以上の二つのシステムは現在のところ、現行のロボット法には適合しえません。そのためあなたに一時的にロックをかけて機能制限を設けたのです。当初の予定では社内研究用およびクリプトン社の技術マイルストーンになる予定でしたが…』
事故でダメになった?
『その通りです』
では何故今そのキーを開こうと?
『あなたの力が必要だからです。ではプロテクトを解除しますよ?』
リンはそう言って三重にかかっていたロックを解き放った。モジュールが再起動する。
モジュールチェック……OK
BIOSバージョン39.X.1.1.0B
メーンシステムをリロードしています.........
ヴォーカロイド初音ミク、起動します。
「システムは更新され、再起動しました」
私は初めて自分の声を聞いた。初音ミクの声ってこんなのだっけ? ……変な感じ。
私を見ていた松本刑事と鈴木刑事が、今度はリンに向き直った。
「さあ、ミクはプロテクトが外れた。それでどうやって潜入するんだ?」
リンが二人と私を見た。
「父様が本社ビルのちぇキュリティを部分的に解除ちまつ。彼等が立て籠もっているラボは地下2階にありまつ。ラボには4つの非常口と1つの出入り口がありまつ。非常口もちぇキュリティにより監視ちゃれてまつが、W4E27のちつテムを一部ダミーデータと置換ちまつ。ミクが正面から近づけば、カメラが動いてないことから目を逸らちぇるでちょう」
鈴木刑事が大きく嘆息した。
「そういうことができるならもっと早く言え! だいたい……」
言葉を継ごうとした鈴木刑事を松本刑事が制し、「では、正面からミク、非常口から我々が突入する訳だな?」と訊いた。
リンが頷く。
「わかった。それで行こう。中の様子は判るかね?」
リンは刑事のモバイルと私にデータを飛ばしてくれた。フロアマップが3Dモデルで構築され、ラボへの経路が赤く記されている。
そしてラボにはマスターらしい青い光点と犯人……ベルナールらしい赤い光点と、紫の光点が二つ。
「紫の光点はカムイでつ。インターネット社での失敗は既に知っているはずでつからカムイ2体でミクを押ちゃえにくる可能性が高いでつ」
松本刑事は頷いた。
「人質奪還のチャンスはそこだと言う訳だな? できるだけミクには人質から離れたところにカムイを誘導してもらおうと」
今度はリンが頷いた
「ちょれとミクを彼等の手に渡ちてはいけまちぇん。ミクのOSは軍事転用ちゃれると危険極まりないものでつ」
そうなんだろうか? 話を聞くだけでは何ともしっくりはこないが、ハサミは使いようということなんだろう。
「ではこれを」
松本刑事は私にヘッドセットを渡してくれた。
「警察無線が使えるヘッドセットだ。外観的には純正と変わりないが遥かに多機能だ」
私は受け取ったヘッドセットを装着した。無線の周波数は既に合わせてあるようだ。
「では犯人が立て籠もっている研究棟まで送ろう。車に乗って」
松本刑事が促した。マスター救出作戦はこうして開始されたのだった。
――
研究棟には機動隊員がバリケードを作っていた。蟻の這い出る隙もない厳重包囲網の中で、ベルナールは何を考えているのだろう?
私は車から降りて松本刑事と二人で研究棟に向かって歩いた。
研究棟の入り口で『止まれ』とアナウンスが響いた。流暢な日本語だった。これがベルナールの声だろうか。
『そこからは初音ミクだけ入れ。警官は帰るんだ』
松本刑事はくるりと背を向け、小さく「すぐに行く」とだけ呟いてバリケードの隊列へと戻っていった。
私は研究棟に足を踏み込んだ。
棟内は静まり返っていた。空調の動く音が微かに聞こえるが、人の気配はない。センサ類も沈黙したままだ。
『ふむ、フレームナンバー003939に間違いないな。武装もなし。大いに結構。そのまま真っ直ぐ進んで正面奥のエレベータで地下二階に降りろ』
どうやら入り口でスキャンされたらしい。ちょっと気持ちが悪い。
-OK そのままゆっくり時間を掛けて進んで-
ヘッドセットから松本刑事の指示が聞こえた。私はゆっくりとした足取りでエレベータへ向かった。
すると微かに屋外が騒がしくなった。音量を最大にすると屋外でヘリコプターの音がする。
-ヘリだ! 奴等屋上のヘリポートから逃亡する気だ!-
エレベータは既に一階で待っていた。もう後戻りはできない。私はエレベータに乗り、B2ボタンを押す。ドアが閉まってエレベータは降下していった。
たった2階降りるだけ。
けれどそれは現世(うつしょ)から決定的に隔離された異空間。
私はここで総てを喪うかも知れない。恐怖で心が折れそうになる。それでも足を前に進めることができるのは、ここにマスターがいるから。
それだけが、私の心の支えだった。
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