桜の樹の下には死体が埋まっているーー

 そんな逸話を知ったのはいつのことだっただろうか。古本屋で立ち読みでもしたのか、浮き世離れした祖父の独り言でも聞いたのかーー、今となっては全く思い出せやしないのに、一つだけはっきりと思い出せることがある。それは、このフレーズを聞いてまず最初に感じたことが「ああ、やっぱり。やっぱり、そうなんだーー」という妙な安堵感であった、ということだ。

 物心ついた頃から、満開の桜には狂気じみたものを感じていた。思い返せばお花見を楽しいと思ったことは一度としてなかったし、ピンクに濡れた通学路を歩けば自分の知らない世界に迷いこんだような奇妙な心地さえした。それは一言で言えば理解し得ないものへの不安感だった。

 なぜ彼らは、一度にあんなに凄まじい勢いの花を咲かせるのだろう?きっと僕は、そんな疑問を無意識のうちに抱いていて、その答えを探しあぐねていたのだ。

「あの爆発するようなおびただしい桃色は、死体をエネルギーに変換して燃やしたものだからさ。何もないところからは何も生まれない。差引ゼロになるように出来ているんだよ。逆に言えば、差引ゼロだから、発生したエネルギーは必ず何かに使われる。だから、エネルギーを使って咲き狂うことは彼らの意思ではなく、単なる結果に過ぎないのさーー」

 世界には様々な形の喜びが溢れているけれども、その一つ一つが奇跡めいたことだと思う。入試に合格したこと、誰かと付き合えること、音楽の喜びを知れること、……十数年かそこらの人生経験しかない身には自分の経験した卑近な幸せしか想像できないが、それでも一つの幸せにたどり着くために、どれ程の無数の分岐を正しく選んできたのか、と考えると、たとえようもないくらい、奇跡めいたものを感じる。僕は、控えめに言って、今怖いくらい幸せだ。こんなに幸せで、いいのだろうか?

そんなことを思った瞬間、なぜだか急に、自身が桜になったような錯覚を覚える。桜の樹の下に埋まっているという死体ーー僕の根は、この大地の下から何かを吸い上げているのだろうか?不意にふっと意識が遠退き、足下を見るのが怖くて震えが止まらなくなった。思索が頭を駆け巡る。

 満たされているように思える今日、そこに至るだけの奇跡を起こすことは、本当に自分の力だけで可能だったのだろうか?僕は自分の力で奇跡を起こしたと思っているが、実際には何か、後ろに計り知れない世界の理があって、それによって決定付けられた結果に過ぎないのではないのか?

 例えば、この世界について「幸せの総和は常に0になる」、そんな物理法則が働いているとしたら。

 僕は自分の力で無数の分岐を正しく選んできたように思い込んでいるけれども、実はそうではなくて、ただ単に誰かの犠牲によってマイナスに傾いた総和を埋めるために、プラスを与えられてきたに過ぎないのだとしたら。ちょうど真空へ空気が流れ込むような、単なる物理法則の結果に過ぎないのだとしたら。

 どこかで聞いた言葉に手繰り寄せられるように、記憶が突然色を取り戻し始める。

「咲き狂うことは彼らの意思ではなく、単なる結果に過ぎないのさーー」

 いつかの満開の桜の下。懐かしい君の声が聞こえる。そうだ、どうして忘れていたんだろう。この話を教えてくれたのは、他でもない君だったのだ。

 無意識のうちに、君から何かを奪い取って、僕は今ここにいるのだろうか?

 僕に幸せを与えるために、君は犠牲になったのか?そんな裏切りを、僕のためにしたのか?だから君は去ったのか?

 近いうちに、この街も行き交う人々も桜色に染まっていく。桜になった彼らは、自分たちの幸せが誰かの犠牲の上に成り立っているだなんてきっと思いもしない。足下に埋まる死体は彼らにとっては他人事なのだ。どうして、犠牲になったのは君だったのだろう。

 今となっては何もわからない。ただただ、君に抱いていた淀んだ劣等感も、苛立ちも焦燥も、今は全てが愛おしい。戻りたい。戻りたい。

 そう願っても、いつだって季節だけは感傷を捨て置いて無情に巡り、暖かな日々は涙さえも乾かしてしまうだろう。

 春はもう、すぐそこだ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
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春望コンチェルティーノ Aperitif Reading

自作曲春望コンチェルティーノから発想したミニノベルです。

【鏡音レン】  春望コンチェルティーノ  【オリジナル曲】 (00:04:09) #sm25949687 http://nico.ms/sm25949687

閲覧数:302

投稿日:2016/10/16 23:14:17

文字数:1,732文字

カテゴリ:小説

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