09
ソルコタ首都、アラダナ。
植民地支配が終わり、ソルコタという国が独立してから作られた都市だ。その歴史は浅く、まだ五十年も経っていない。
しかし、新しい都市だからこその利点というべきか、その全体像はきっちり区画分けされた碁盤目状だ。
……都市としては機能的だが、いざ戦争となると“攻めやすい”都市なのかもしれないが。
アラダナ市街地は、以前、ニューヨークに行く前にケイトと連れられて来たときよりも明らかにひと気がなく、閑散としていた。
碁盤目状なのだから、道路はまっすぐに延びているはずだ。なのに、積み重ねられた土のうと、幾重にも張り巡らされた有刺鉄線なんかのバリケードが行く手をふさいでいて、都市部に入ってからの車列はうねうねと蛇行しながら進んでいる。
ソルコタの西端に近いアラダナ市内でさえ、もはや厳戒体制なのだ。
道中には、政府軍の兵士たちが自動小銃を構えて立っていた。中には……十八歳以下ではないかという兵士もいる。
「あんなところにも、子ども兵がいる……」
「……」
「……現状、望む者は誰であれ軍に所属できます」
「なんでそんな」
「勧誘はしてませんよ。……言い訳にしかならないんでしょうけど、一応言っておきます」
気まずそうに、小さく注釈を入れるモーガン。
「だからって――」
「家族を失い、受け入れてくれたコミュニティを失い……孤児院にも入れない。そんな子たちが、どこか受け入れてくれるところを探した結果、政府軍にたどり着くんです。ESSLFから一番遠いここで、とりあえず軍所属扱いで警備をしていれば、政府としても彼らに賃金という形で彼らを飢えさせずに済み、宿舎も提供できる」
「詭弁よ。エリック」
「そうかもしれません。ただ――」
「――着きましたよ」
モーガンの言葉に、私たちの言い合いは途絶える。
車両が大仰なゲートをくぐり、建物の敷地内に入る。
行政府庁舎。
ニューヨークに行く前にケイトと訪れたときは、まだ綺麗な建物、という印象だった気がする。
だが、今は違った。
ゲートを過ぎても敷地内に土のうや有刺鉄線が張り巡らされ、建物の壁も鉄板で補強されている。
行政府庁舎は綺麗な建物から、要塞へと変貌していた。
「我々を責める分には……いくらでもそのそしりを受けましょう。ですが、我々にはそれを変える権限はありません。ミス・グミ。貴女の仕事は……この車の外にあるのではないですか?」
行政府庁舎の入口で車を止めて、先程とは打って変わって真面目な口調でモーガンが言う。
「……。……そうね。ごめんなさい」
「いいんですよ。謝ることじゃあない」
私が車から降りるのにあわせて、二人も車から降りる。
「貴方たちも来るの?」
「我々はしばらくミス・グミの護衛も兼ねます。ご容赦下さい」
「むしろ大歓迎よ。ここには……私の知っている人なんていないから」
「そう言ってもらえて嬉しいんですけど、俺たちもせいぜい何時間かしか変わらないですよ」
車から行政府庁舎内までのわずか十メートルほどの道のりだったが、モーガンは背後を警戒して背を向けたままでついてきていた。
エリックの先導に従って、私は行政府庁舎へ。
正面入口に立つ兵士に敬礼して、エリックが中へ。私も彼らに会釈をしてからエリックについていく。
ニューヨークの国連本部とは当然ながら雲泥の差がある。が、それでも大きな建物だった。
建物は大きな四角の中央をくりぬいた口の字型で、その広い中庭は手入れの行き届いた美しい庭園になっていた。
「……」
その、外とはかけ離れた光景に眉を潜めてしまうが……なにも言わないでいた。
その中庭沿いの廊下をぐるりと反対側まで歩き、正面入口からは中庭を挟んで逆側の三階の部屋へ。扉の前には兵士が二人。扉の横のプレートには「大統領執務室」と書いてあった。
「――おい、どういうことなんだこれは!」
「――そう申されましてもな。我々としても困っているのでしてね」
「――だいたい、あんたが引き留めてればこんなことにはならなかったんだぞ!」
「――それこそ、彼はきちんとした正しい手続きの上でこの建物から出ていったのです」
「――これだから軍人というやつは……」
部屋の中から響く口論に、私はポカンとして背後のモーガンを見た。彼もまたキョトンとしている。
エリックが兵士を見ると、その兵士はただやれやれといった様子で肩をすくめる。エリックは振り返って私に向かって首をかしげて見せ、仕方なく扉をノックする。
「ミス・グミ・カフスザイ氏をお連れしました」
「……」
「……入ってくれ」
パタリと止んだ口論のあと、ややあってそう声がかかる。
遅滞なく扉を開けてくれたエリックに会釈して、私は大統領執務室に入る。
初めて入る大統領執務室は、ソルコタという最貧国にいるはずなのに、それでも可能な限りの贅を尽くした部屋、といった感じだった。
分厚い絨毯が敷かれていて、その中央には重厚な木製のデスクが鎮座している。欠かすことなく清掃されているのだろう。その表面は艶々としている。
奥の漆喰の壁には油絵の風景画が飾られている。どこの景色かはわからないが、少なくともソルコタ国内の風景には見えない。絵画の両脇には飾り棚があり、そこにはミニチュアの国旗の他、歴代大統領の写真やなにかの賞状や楯、トロフィーといったものが飾られていた。
……端的に言って豪華だが趣味の悪い部屋だった。
この国の現状からしたら、こんなところにお金をかける余裕などないはずなのに。
室内では二人の男がデスクを挟んで対峙していた。
「失礼しますね。ラザルスキ副大統領にハーヴェイ将軍」
デスクの向こう側でこれまた立派な革のチェアに座っているスーツの男は、カフラン・ラザルスキ副大統領。
デスクのこちら側に立っている、迷彩服にベレー帽をかぶった男が、ダニエル・ハーヴェイ将軍だ。両脇にホルスターを吊るしていて、片側に回転弾倉式の拳銃、もう片側には自動式拳銃を吊るしていた。
二人とも知っている。とはいえ、話したことはほとんどないけれど。
私の挨拶に、二人は欧陽に首肯するだけだった。
私と一緒に入ってきたエリックとモーガンは、二人に最敬礼して入口の扉脇に立つ。
他にも、護衛として幾人かの兵士が壁際に立っていた。
「それで……ええと、シェンコア・ウブク大統領はどちらに? ご挨拶にお伺いしたのですが……」
私の質問に、将軍が鼻で笑った。
「あの男は、十日前から行方不明だよ」
「なんですって?」
「なんでも、用事があると護衛と共に出ていったきり、音沙汰なし。隣国に亡命でもしようとして……いや、もう国外にいるだろうな」
「なんてこと。それじゃあ――」
「――私が大統領ということだよ」
自信満々に……というよりは、やっとこの座を手に入れた、という様子を隠そうともせず、ラザルスキ副大統領が言う。
「だからそれは――」
「現大統領がなんらかの事情により職務を遂行できない状況に陥った場合、速やかに選挙を行うものとする。それまでの期間は、議会の過半数の承認により、副大統領が大統領代理として職務を遂行することとする。議会の承認を待たず遂行すべき事態がある場合は、本人を除いた上位二名以上の承認により、大統領臨時代理として職務を遂行するものとする」
「……」
「……」
スラスラとソルコタの大統領就任規定を暗唱して見せた私に、二人は唖然とする。
「ですからまぁ……ハーヴェイ将軍と国連大使の私が承認すれば、ラザルスキ副大統領は大統領臨時代理として行動可能ですね。少なくとも議会の承認まで、長ければ選挙までは」
そう告げると、目の前の二人は実に対称的な反応をした。
ほらな、私がトップなんだよ、と嬉しそうに言いたげなラザルスキ副大統領。そして、余計なことを言いやがって、と苦虫を噛み潰した顔をするハーヴェイ将軍。
二人が敵対しているとよくわかる瞬間だった。
「私はまだソルコタに帰ってきたばかりなので現状に疎いのですが……少なくとも、大統領代理は早く決めなければ面倒なことになるのではないですか?」
「そそ、その通りだぞ! ふ、ふんっ。仕方あるまい。私が大統領として――」
ルールに従って、堂々と自分がトップに立てるのだと気づき、嬉々とするラザルスキ副大統領。それに将軍は不快さを隠そうともせず彼の話に割り込む。
「ラザルスキ殿。それは――」
「では、将軍は他に適任をお知りで? 副大統領以外の者を臨時代理にするのであれば、議会の承認は必須です。その場合は三分の二の賛成が必要になりますね」
「議会を召集したとして、集まれるのは早くて一週間はかかる。私が大統領に就任する他ないな」
「……小賢しい小娘め……」
ハーヴェイ将軍のくだらない悪態はちゃんと聞こえていたけれど、私は聞こえていないふりをした。
「将軍?」
降参だ、と言うようにハーヴェイ将軍は両手を広げる。
「なんでもない。……わかった、わかったよ。ラザルスキ副大統領の昇進を承認しよう」
「では私も、大統領不在に伴う副大統領の大統領臨時代理就任を承認します。正式な書類は……後で作成しましょうか。とりあえずはこの部屋の護衛のみなさんが証人ですね」
そう言って護衛の兵士たちを――エリックとモーガンも――見て、私はにっこりと笑って見せる。
……もちろんそれも、ケイトから学んだ手法の一つだ。
「それで……そろそろ、この国の現状を教えていただいてもよろしいですか?」
「これだから――」
「よし、ミス・カフスザイ。大統領となった私が説明してあげようじゃないか」
私のお陰で大統領になれた、と抱擁さえしてきそうなラザルスキが、将軍の言葉をさえぎって笑顔で言う。
「是非お願いします。ラザルスキ大統領臨時代理」
「とはいえ、わが国の現状はよくない。なにせ、現職の大統領が逃げ出すほどだからな。まずはESSLFだが――」
大統領“臨時代理”であることをかたくなに認めようとしないラザルスキ。
いまのところ、私は彼と敵対する必要はないし、すべきでもない。だが今後も彼を持ち上げたままでいるべきか、それは慎重に判断しなければならない。
顔には出さずに心の中でだけため息をついて、私はラザルスキの説明に耳を傾け続けた。
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