UV-WARS
第二部「初音ミク」
第一章「ハジメテのオト」
その17「テッドが動いた日」
その後のログの解析で、ミクはサブフォルダの中にあったテキストファイルで作られたリストに従って、MMDのモーションデータと基本的な動作プログラムを組み合わせる作業を行っていたことが判った。
それは、十億通り以上の組み合わせを一つずつ確認していく作業でもあった。
ミクはその作業を、テッドが寝ている五時間の間に行っていた。
しかし、基本動作プログラムを基に生成された応用動作スクリプトは、電力消費の問題を置き去りにしていた。
そのため、リビングから玄関までの十メートルだけで電池の大半を消耗していた。また、ミク自体がACアダプターを持って移動するというプログラムを持っていなかった。結果、ミクは玄関の鍵を開けたところで待機モードに移ることになった。
しかし、問題はまだ他にもあった。ボリュームが多すぎて、テッドの頭は痛くなった。
表情、声、仕種など目に見える表層部分だけで なく、電池やモーター等ハードウェアの見直しも必要だった。
「OSも見直しが必要かな」
朝食から数時間後、昼食の後片付けを終えて桃が台所から戻ってきたとき、テッドはポツリと言葉を漏らした。
テッドのその小さな呟きを、テトも桃も聞き逃さなかった。
「OSを」
「見直す、って」
「うん」
テッドはキーボードを叩くのをやめ、モニターから目を離して、窓の外の遠くへ視線を放り出した。
「窓系のOSは、最終的にデータの保護が目的なんだ」
「そうですね」
「そりゃ、そうだろう」
「つまり、ユーザーがパソコンやタブレットをどう使おうと、途中でハードディスクやメモリーカードが壊れても構わないという思想で設計されているわけで…」
「そんなの当然じゃん。どこの誰が使うかも解らないのに」
「それをミクにもあてはめるのは、無理があると思うんだ」
「そうですね」
「ということは、ミクを使う者は、ミクのことに精通していないと、ダメってこと?」
「それもあるけど…」
「おろ? 何かあるの」
「例えて言えば、原子力発電所を動かしているシステムが停電で全部が止まってしまうなんてのは、ナンセンスだし、ジェット機を飛ばすプログラムも、バグがあるからといって、即、墜落なんてあり得ない」
「安全性の問題ですか」
「それもある」
「仕様の問題とか?」
「ミクの基本性能は、普通の女の子と同じだ。でも、全く人間と同じわけじゃない。ロボットなんだ」
「うん、そうだね」
「ロボット工学の三原則を組み込むべきだと思うかい?」
テッドの問いに静寂が応えた。
間を置いて、テトがテッドに聞いた。
「『ロボット三原則』て、なんだっけ?」
桃がそれに応えた。
「人間に危害を加えない。人間に服従する。以上に反しないかぎり、自分を守る、でしたよね」
「大体合ってる。第一条が『人間に危害を加えない。または危険を看過して人間に危害が及んではならない。』第二条は『第一条に反しない限り人間の命令には従わなければならない。』第三条は『第一条と第二条に反しない限り自分を守らなければならない』」
一気にしゃべったテッドは一呼吸置いて続けた。
「これをプログラムしてミクに組み込むべきだと、君は思うかい?」
「え…」
指名された桃は戸惑った。
「簡単に言ってしまえば、ミクの、安全性と利便性と保守性はどのレベルまで要求されるのかってことさ」
大した問題ではない風に、テッドは笑みを浮かべていた。
「え…と」
それでも言葉を躊躇っている桃に、テッドは謝った。
「ごめん。言い直すよ」
テッドはソファーの上に鎮座しているミクを指差した。
「ミクは部屋から出ないのかな。家の中だけ自由に動き回るのかな。外に出てコンビニエンスストアで買い物をするのかな?」
少し考えて、桃は口を開いた。
「コンビニで買い物するって、素敵ですね。でも、おじいさまと相談します」
桃は立ち上がると、荷物をまとめ始めた。
「送るよ」
テトも立ち上がった。
それを桃は、ニッコリと微笑んで、手で制した。
「大丈夫。まだ明るいですし、一人で帰れます」
「そう?」
中腰だったテトは腰を下ろした。
桃が一礼をしてリビングを出た。
テトは手を振り見送り、桃が見えなくなるとその手を握りこぶしに変えてテッドの頭に下ろした。
「いてえなあ」
不意の暴力に強く抗議する視線をテトに送ろうとして、それより強力な怒りの視線を浴びて、テッドは視線を反らした。
「女の子を泣かせた」
テトの告発にテッドは反論した。
「俺が? いつ?」
「たった今」
「彼女、笑顔で帰っていったぜ」
ぽかりとテトの拳がテッドの頭に落ちた。
「痛い」
「お姉さんは、テッド君をそんな、女心が解らない阿呆に育てた覚えはありません」
「俺も、従姉に育てられた覚えは…。いてっ」
言いかけたテッドの頭にもう一発、テトの拳が落ちた。
「女の子に議論をふっかけるとは、何のつもり?」
「俺は、クライアントの意向を確認…」
「あれじゃ、桃ちゃんは、怒られたとしか、思わないわよ」
「え? そうなの?」
「とぼけるな!」
テトの大きな声が響いた、家中に、テッドの頭に。
テッドも自分が何にイライラしているか分かっていた。
それを桃にぶつけてしまったことにも気付いていた。
テッドは両手で頬を叩いて気合を入れると、「ちょっと行ってくる」と残して立ち上がり、駆け出した。
その後ろ姿に、テトがほっと安堵の溜め息を漏らした。
「第一関門突破。おめでとう、テッド君」
テトも腰を上げ、立ち上がった。
「次は第二関門だね」
テトは鎮座しているミクの頭をなでてリビングを出た。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
少し驚いてテトはミクを見た。
ミクは彫像のように固まって動かなかった。
テトはミクに軽く手を振って、家を出た。
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