とある病院の一室。
その寝たきりの娘は口も利けず、手足も自由に動かせませんでした。
交通事故で医者からは手の施しようがなく、
もう5年近くずっと同じベッドで同じ窓の風景を見つめていました。
娘が癒える事を望んでいた両親や友人でしたが、あらゆる手段を尽くしても
効果は得られないことが分ると次第に彼女を訪れることも少なくなっていきました。
そんなある日、一人の死神が彼女の病室を訪れました。
死神は人間のフリをしていましたが、娘はそれが死神であると直感で分かりました。
それが分った瞬間、「やっと、来てくれたのね。」と安堵にも似た思いをしました。
死神は言います。
「ビジネスをしに来ました。私があなたの命をもらう代わりに私はあなたのどんな願いも叶えましょう。」
それを聞いた途端、娘は困ってしまいました。
娘にとって真っ先に願っていたのは自分の死だったからです。
それでも死神は契約をまもり、「死」以外のもので願いを娘に選ばせました。
『自分に良くしてくれた人にお礼が言いたい。』
それが彼女の願いでした。
*******
死神は娘に日没までを条件に健康的な体を貸し与え、病院から連れ出し、当人同士を会わせる事にしました。
最初は娘の父親でした。
娘が父親に姿を見せると父親はひどく驚きました。
父親は娘を抱きしめ、ただ「良かった。」と言って泣いていましたが、
平日の日中に訪れた場所は仕事場ではなく、
ホテルの一室で知らない女性と一緒にいたので
娘は父親に『ありがとう』とは言えませんでした。
次に自宅にいた娘の母親を訪れました。
娘が母親に姿を見せると母親もひどく驚きました。
母親は娘を抱きしめ、ただ「良かった。」と言って泣いていましたが、
机に置かれた大量の保険金と、
娘を轢いた車の男が一緒にいたので
娘は母親に『ありがとう』とは言えませんでした。
次に友人を訪れました。
娘が友人に姿を見せると友人は娘を怖がりました。
友人は娘をいないかったものとし、拒絶したため
娘は友人に『ありがとう』とは言えませんでした。
死神は困りました。
娘が『ありがとう』と言えなければ、娘の命をもらうことができません。
死神は娘に良くしてくれた人物を躍起になって探しました。
学校の先生、クラスメイト、町内会で通っていた神社の神主、友人の友人。
あらゆる手を尽くしはしましたが、娘が『ありがとう』と言える人物に会うことはできませんでした。
夕刻、貸し与えた体のタイムリミットは差し迫っています。
課せられた仕事の不履行。
神の御業を使って、代価が得られなかったとなれば、死神もただでは済みません。
娘は言います。
「死神さん、もういいです。私は自分の人生に絶望しました。死なせてください。」
「そうは行きません。これは契約で決まっていることなのです。代価としての命でない限り、私は命を受け取れない。」
「でしたら、私はあなたにお礼を言いましょう。ここまで私に健康な体を貸し与えていただきました。5年もの間、外ばかり見ていた私にとって、これほど幸せな一日はありませんでした。」
娘は涙で声を震わせていました。
死神は思いました。
そんな訳がない。娘は人生に絶望したと自ら言っていたではないか。
一日自由な体を分け与えたとして、それが幸せだったと?
どうしてこうなってしまった結果を、私を責めてはくれないのだ。
と。
日没が過ぎたころ、娘は健康な体と共に病室に立っていました。
娘は死神にすら『ありがとう』とは言えなかったのです。
終
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