広間を駆け出ると、喧騒はいっそう大きくなった。
剣戟に入り混じる悲鳴と怒号で、耳がおかしくなりそうだ。
「兵はどうしたの!?」
誰ともなく叫べば、見知った家臣の一人が駆け寄ってきて手を伸ばした。
「リン様!この国はもう落ちます。お逃げください。さあ、こちらへ!」
「待って!離して!レンがまだ帰ってきていないのよ!」
乱暴な力で引き摺られながら、未だレンの姿が見えないことを思い出したリンは必死にそれに抵抗した。
「駄目よ!私一人でなんか、どこにも行かない!絶対にレンも一緒じゃなきゃ!」
何とか腕を振り払い、次々に伸ばされる腕を押しのけて、リンは逃げるように駆け出した。
「レン!どこにいるの!返事をして!」
喧騒にかき消されそうになりながら、声を張り上げる。
人影を避けるようにしながら、それでも召使の姿を探して、広い広い王宮をリンはひとり走った。
「レン・・・ッ!」
「リン!」
どれほど探し回っただろう。突然、鋭い少年の声が聞こえた。
「こっちへ!」
叫ぶ声と共に伸ばされた腕に、リンは考えるよりも早く飛び込んだ。
少女の華奢な身体を抱きとめた腕が、手近な部屋に二人分の身を引き入れるや、隠れるように扉を閉ざす。
息をついて見上げたそこに、捜し求めた姿を認めて、リンは泣きそうなくらいの安堵を覚えた。
「レン!今までどこに・・・、レン!?怪我をしたの!?」
少年の姿と共に目に飛び込んできた、肩に滲む赤い色に悲鳴を上げる。
浅い傷ではないと一目でわかるのに、レンは怪我のことなどまるで無視をして、リンの顔を覗き込んだ。
「よく聞いて。兄さんたちに何とか連絡が取れた。今、迎えがこちらに向かってきてる。それまで、ここをやり過ごせば匿ってくれるよ」
そう告げるレンは、恐ろしいほど真剣で、そして切羽詰った表情だった。
「レン・・・?」
彼の言う兄とはリンの乳母の子供たちだ。リンにとっても乳兄弟となる。皆、今はリンが与えた遠い領地で静かに暮らしているはずだった。どうして彼らがここへ来るというのだろう。匿うとはどういう意味か。
リンの疑問には答えず、レンは先ほどまで腕に抱えていたのだろう、足元に落ちた布の塊を広い、リンに押し付けた。
「今すぐ着替えて。貴族達は片っ端から革命軍に捕らえられているけど、下女や下働きたちは投降すれば許して貰える。連中のほとんどは、元々ただの農民だ。城の中のことなんて知らない。格好さえ変えてしまえば、相手の身分なんてわかりはしないよ」
事情が飲み込めないまま、リンは急かされてドレスを脱ぎ捨て、粗末な荒い布地を着込む。その間にレンは鋏を取り上げた。
「ごめん、我慢して」
そう言って、リンの髪を乱雑に切り、顔には暖炉の灰を擦り付ける。
自慢の黄金の髪も白い肌も煤と灰で汚されて、薄汚れた乞食の少年のようになった鏡の中の自分を、リンはただ呆然と見つめていた。
痛ましげにレンが顔を歪めた。
「ごめん・・・。この城が落ちるのが、あと一日でも遅ければ、こんなことしなくても良かったのに・・・」
懺悔のように囁き、レンは後ろでひとつに束ねていた髪を解いた。
懐から取り出した小さな時計に解いた結い紐を通して手早く輪を作り、それをリンの首にかける。
「兄さん達の迎えは、明日の午後3時。昔住んでた、あの屋敷の裏手が落ち合う場所だよ」
服の中に隠すように時計を押し込まれて、リンはようやく我に返った。
時計はレンがリンの召使となったときから、常に離さず身に着けていたものだ。
「待って、レン。何をするつもり・・・?」
不思議な眼差しでレンが微笑んだ。
いつも結っている髪を下ろした姿は、驚くほどに見慣れた自分の姿と瓜二つだった。その手にリンの着ていたドレスを抱えあげる。
何か恐ろしい予感に、リンの鼓動が跳ねた。
「レン・・・?それをどうするの? 一緒に逃げるんでしょ?ねえ!」
「僕には、まだやることがある」
腕を引かれて、今までいた部屋を後にする。
その時やっと、リンはそこが城の中でレンに与えられている部屋だったことに気付いた。あてもなく走りながら、いつのまにか城の下層まで来ていたのだ。
リンが今までにここを訪れたことは、数えるほどもない。昼であれ夜であれ、レンはほとんどの時間をリンの傍に寄り添っていたからだ。物の少ない、人の気配の薄い、いかにも使われていない様子の部屋だった。
それに何かを思う間もなく、リンは再び手近な扉に押し込まれた。
ただし今度は人の住む部屋ではない。雑多に物が積まれた、物置部屋のようだった。
「ここで、じっとしてるんだ。革命軍の連中がきたら、なるべく怯えた振りで顔を隠して、頃合を見て逃げるんだよ。兵士達にも貴族達にも気付かれないようにね。あいつらは君を差し出して、自分だけが助かるつもりだ。大丈夫、僕達は民や下働きの人間達にはほとんど顔を知られていない」
「それ・・・レン!? 待って!」
少女一人を中に入れて、そのまま閉ざされようとする扉に、リンは慌てて飛びついた。
人の住む部屋ではない。ここは外から鍵を掛けるのだ。一度、閉じられてしまったら、内側からは開けられない。扉が閉じてしまえば、中にいるものは閉じ込められる。
置いていかれてしまう。
渾身の力で押し戻そうと試みるが、扉はじりじりと閉じていく。
「やめて!レン!私の望みを叶えてくれるんでしょう!?こんなこと、私は望んでないわ!」
「守るって言ったろう。何があっても、最後まで君の味方だって。僕は君さえ無事なら、他は何だって良いんだ。・・・僕自身も」
「いやよ、そんなの!レンはずっと私の傍にいるのよ!ずっと一緒にいるって!絶対、一人にしないって言ったじゃない!お母様が死んでしまった時に、そう約束したじゃない!!」
扉を押す力が止まった。
それ以上、閉じることもなく、けれど開くこともない。
「・・・一人には、しないよ」
僅かに残された隙間から、静かな声がした。
「レン・・・?」
「必ず帰ってくる。これまでも、これからも、ずっと傍に居るよ。僕ら二人では目立ち過ぎて一緒には逃げられないけど、すぐに後から追い掛ける。君が無事なら、僕は必ず帰って来れる。だから、君は先に逃げて、そこで待っていて」
「っ・・・!」
扉の隙間から垣間見える、穏やかな少年の表情。
リンは泣きたい思いで、それを見つめた。わかってしまった。
レンはもう、心を決めてしまったのだ。その意思は誰にも、リンにすら動かせない。
かつて、リンがどれほど望んでも、どんな地位も領地も拒んで、ただ一介の召使であり続けることを選んだように。
再び扉が閉じ始めた。もうリンがどれほど抗っても、その力は緩まない。
「レン!!」
次第に細くなってゆく隙間が消える刹那、リンは扉の向こうへと声の限りに叫んだ。
「絶対よ!信じるから!信じてるから、絶対、帰って来て!待ってるから!ずっと、ずっと待ってるから・・・!!」
軋んだ音を立てて、扉が閉ざされた。
返らぬ答えを断ち切るかのように。
『リンをお願いね、・・・レン』
今際の際の細い息から、言葉にならない想いの篭もる瞳で、彼女はそう言った。
『あなたは男の子だから、この子を守ってあげてね・・・』
彼女の枕元に泣き縋る少女の背後に立ち尽くし、レンは彼女の最期の時を見送った。
臣下だからとは、彼女はただの一度も言わなかった。
一度もその腕に抱かれることはなく、少女が彼女を呼ぶように自分が呼ぶことは許されず。
真実を知ったその日から、この皮肉な境遇を恨まなかったといえば嘘になる。
それでも、その最期の言葉と眼差しに、何もかも許せると思った。
『約束よ・・・どんな時もずっと傍に居てね』
すたれ寂れた屋敷に王城からの迎えが来た、空しくも輝かしく晴れた戴冠式の朝。
小さな手を堅く握り、蒼白な顔で自分を見つめた、少女の孤独な眼差しを忘れたことはない。
「約束するよ、リン」
剣戟と怒号の混じる喧騒が次第に近付いてくる。
それはさほどの間をおかず、この玉座の間へと至るだろう。
まもなく訪れるだろうその時と入れ違うかのように、静寂の満ちる広間を染める斜陽は今まさに消え去ろうとしている。
唇だけで微笑み、【王女】は深く凭れた玉座で目を閉じた。
「何があっても、必ず君の元へ帰るよ。・・・例え魂だけになっても」
緩やかに閉じた瞼を飾る睫毛の先、肩に掛かる髪の上で、細く細く絞り込まれた最後の一条、――残響のようなその光が。
金色にも似た輝きでひときわ眩く、儚く瞬き、そして消えた。
ひとつの王朝の最後を象徴する日没だった。
「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第24話】後編
第24話後編です。
悪ノサイドのエンディング。ここはシーンが決まってるので書きやすい。でも難しい・・・。リグレットメッセージをちょっとだけ意識してます。
この後の第25話でエピローグになります。
・・・・・・最後で台無しにする可能性が否定できない・・・(汗)。
・・・続きです!
http://piapro.jp/content/gmr73tewg06oyoew
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ブクマつながり
もっと見る堅い木の扉を通して、抑えたノックの音が部屋に響く。
答える声のない沈黙に、間をおいて更に二度。音が繰り返した後、ゆっくり扉が開いた。
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淡い光源に目をやれば、それは窓越...「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【カイミク番外編】 第4話
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いきなり飛び込んできた公女に勢いよく詰め寄られ、驚いた顔の勅使が後ずさる。
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入室した兵の報告を聞いていたレオンが、ふと肩から力を抜いた。
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