「指輪を返してくれないかな」
そう言った男の顔には、常と変わらない穏やかな笑みが浮かんでいた。
まるで紅茶のお代わりを頼むような気軽さで、この王宮に数多ある中庭のひとつに据えられたテーブルセットに寛いだ様子で頬杖を付いたまま、彼は呼び止めた召使の少年に声を掛けた。
「何のことです」
前置きもなく告げられた言葉に、ひとつ大きく跳ねた鼓動を悟られないよう、レンは質問の意図を理解しかねるとばかりに素っ気無く答えた。
そうしながら、実に陳腐な答え方だと内心で舌を打つ。
咄嗟に冷静を装うとすれば、人はこんなありきたりな反応しか出てこないものらしい。
表情だけは取り繕ったまま、レンは身構えるように神経を緊張させた。
疑われていること、それ自体が意外なわけではない。
この閉鎖された王宮の中で、賓客の高価な所有物が紛失したとなれば、疑う相手など限られたものだ。
咄嗟に持ち去ってしまった指輪にはレンが危惧したような危険はなかったが、それがどういった用途の為に作られたものかは明らかだった。
この食わせ物の公子とて、さも安穏とした顔の裏側で、それをどのように扱ってきたのか。ただの装飾品とは呼べぬ、それが人手に渡ったのなら瑣末なことと流せるはずがない。
恐らくすぐに何らかの動きや反応があるだろうと思っていたのに、微塵の動揺も見せない彼の態度は、かえってレンの警戒を呼んだ。
だから不審に思ったのは、疑いを向けられたことではなく、何故、今になってそれを言い出したのか、ということだった。
探るようなレンの視線に気付いているのかいないのか、彼は事も無げに言葉を続けた。
「君のナイフはボカリアにある。いくら探しても見つからないよ」
不意打ちで突きつけられた切り札に、レンは思わず息を飲んだ。
「指輪を返してくれれば、代わりにナイフは君に返してあげよう。あれは私にとっては大事なものだし、君にとってもあのナイフは大切なものだろう」
その言葉が孕む意味の重要性をまるで感じさせない毒のなさで、青い髪の公子が首を傾げる。
警戒を込めて慎重に黙り込む少年に、彼は唇だけで薄く微笑んだ。
「それとも、もっと別なものと交換しようか。――例えば、この国の王位とか?」
「リンに何かしたら赦さない!!」
咄嗟に叫んだレンに、青年が目を細めた。
たったそれだけで、常に纏っている柔和な印象が掻き消える。
「けなげなことだ」
一転して冷ややかに響いた声に冷水を浴びせられ、レンは我に返った。試されたのだ。
未だナイフとレンを結びつける決定的な証拠があるわけでも、レンがそれを認めたわけでもない。それでも、今のレンの反応は、恐らく全ての顛末を見越しているのだろうこの男に確信を与えるには十分過ぎたろう。
難なく弱点を突かれた失態に歯噛みしながら、レンは目の前に悠然と座る男を睨みつけた。
「妹さえ平気で政治の手駒にする貴方にはわからない」
吐き捨てるレンに、彼は皮肉げに頬を歪めた。
「わかるさ。少なくとも、大切な妹を危険に晒した相手が許せない気持ちくらいはね。それがどんな相手であろうと、どんな事情を持っていようと見逃がしはしない。例え、他国の王家に連なる者だとしても必ず探し出す」
必ず。と繰り返すように呟く。
その言葉の奥に潜んだ薄暗い響きに、レンの背筋が冷えた。
「まさか、そのために・・・?」
落雷のように振ってきたその答えに、ぞっと身を震わせて、レンは叫んだ。
「そのためにリンに近付いたのか!それを知るためだけに!?それだけのために、リンを・・・リンは!」
憤りのあまり言葉が詰まる。
レンの憎しみの篭もった視線を受けてなお、青年の声はいっそ優しげなほどに穏やかだった。
「君にはそれだけのことが、私には何より許し難い」
口元の微かな笑みを深めて、彼は静かに身を起こした。
立ち上がる動きにつれ高い位置へ角度を変える顔が、その表情を曖昧に隠す。
底の見えない青い瞳がレンを見下ろした。
「君にわかるか。あと少し遅ければ、私はあの子を永遠に失ったかもしれない。あんなにもあっけなく、私の全てであるものを。もし、そうなっていたなら、私はあの子を奪った原因の全てを壊しただろう。彼女を害した者を。その者が愛する者、その者の存在する場所を。彼女を守るべき立場にいながら何もしなかった無能な王を、その治める国を、誰も救いの手を差し出さなかった街の連中を。そうして、あの毒を与えた、あの時に傍にいなかった私自身も、枷になった家も国も」
微笑みの仮面を貼り付け、人の形をした闇が、密やかな声で呪いを囁く。
美しい容をした底なしの深い闇の中に、青い瞳だけが執着じみた光を点して輝いていた。
引きずり込まれそうな狂気を振り払うように、レンはぎこちなく口を動かた。
「・・・狂ってる」
罵る言葉を、闇が可笑しそうに嗤う。
レンが我知らず後ずさった、その時――。
「そこで何をしてるの!」
鋭い声が、閉塞した空気を引き裂いた。
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鮮やかな金色の光を纏う少女が、険しい顔で立っていた。
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とうとう本性出してきたお兄様の黒さに、ドン引きな健気っ子レン君。非常に正しい反応です。投稿しようとする度に、『これヤンデレ?セーフだよね・・・?』とドキドキしてるんですが^^;
後編へ続きます。
http://piapro.jp/content/6x3l6zjik0qw01zi
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