第四章 ガクポの反乱 パート7
視界良好、ガクポは上手く立ち回ってくれたみたいね。
人が駆ける地響きと、狂気に近い興奮を持って叫ぶ武装集団の叫びを身体全体に感じながら、それでも総督府を守護する鉄扉は重々しく開かれる。土ぼこりの先に現れた、グリーンシティ総督府、ミルドガルドで最も美しいと評される建築物を確認し、リンは安堵するようにその瞳を瞬時、緩めさせた。敵の組織的な反抗は、今も尚確認できない。
「お姉さま。」
セリスが、そう言った。手にした剣が、陽光に一際輝く。
「このまま、突入。」
リンは短くそう告げて、真一文に視線を解放された鉄扉の奥、総督府へと向けて視線を放つ。剣は抜いている、そして恐らく、先程既に、一人、殺した。
その事実に身震いを感じたのはほんの一瞬、リンはそのまま、城内へと飛び込んでいった。広がるものは広大な前庭。造形を凝らせた、美術品に覆われていたとされるかつての姿からは多少見劣りがしている。黄緑戦争の際に、一部の美術品が破壊の対象になったためであった。その奥、白亜の城、宮殿と表現するにふさわしい、横幅を広く取られた三層建てのバロック式建築物。一度に千人は居住できると言われたその城が、現在のグリーンシティ総督府であった。その先から、時折、きらりと光るものが放たれる。散発的な銃撃が行われている模様ではあったが、組織として対抗している様子には見えない。
「リン様、」
血に染まった剣を片手にしたガクポが、目ざとくリンの姿を発見し、駆け寄ってくる。
「戦況は?」
「敵の指揮系統は大混乱に陥っている模様です。兵力も各地に分散している模様。」
「なら、一気に総督府を落とすわ。」
「御意。」
短く交わしたその言葉の間にも、次々と、まさしく雪崩の様に武装集団が詰め寄ってくる。ただ大きな怒声を上げながら。
「行くぞ、敵本陣を急襲する!」
天空に剣を突き上げたガクポが、武装集団へと向けてそう叫んだ。一際大きな歓声が周囲を包み込む。天をも恐れぬ度胸を持って、軍団は一斉に駆け出した。兵士でも傭兵でも、かといって市民ともいえぬ、まさに革命軍と評価するに相応しい混成軍団は、まるでサバンナを駆ける野牛の群れのごとく、無秩序に、だが一点を目指して進軍を始めた。その数、既に数千を遥かに越える。
「敵兵は、恐らく一千程度。」
リンの隣を併走しながら、ガクポがそう告げた。そのまま、一言を加える。
「殆どは館に配備されていると思われます。」
「油断禁物、ね。」
圧倒的な数の有利を確認したからこそ、自身を戒めるようにリンはそう言った。何度ロックバードに諭されたことか。それは寡兵を持って大軍を幾度も打ち破ってきたロックバードだからこそ重みのある言葉であった。彼は唯一つ。
『寡兵である以上、戦術はただ一つしかありません。即ち、大軍であるが故に生まれる油断を突く。その一点に他なりません。』
そしてまさしく今、リンは大軍の油断を容易に発生させえない立場に置かれていた。だからこそ、慎重に、神経質になる必要がある。
「破城槌を!」
ガクポがそう叫ぶと、丸太を抱えた、傭兵隊の中でも屈強な男達が先頭に踊り出た。四人一組で一体となった集団が、そのまま、丸太を半ば投げつけるように総督府の正面玄関へとぶち当てる。
「上、発砲が増えているわ!援護して!」
二本目の丸太隊が玄関へと駆け出した直後、リンが枯れるような声で、そう叫んだ。直後に、数名が倒れる。リンの視界の端でも、一人、胸を撃ち抜かれて仰向けに倒れ込んだ。血が吹き上げる。衛生兵が駆け寄り、脇の下に両手を差し込むと、すぐに後方へと負傷者を退避させてゆく。先程まで混乱を見せていた帝国軍の攻撃は徐々に、そして確実にその統制を取り戻しつつあった。弾丸は正面玄関から真上、二階フロアから放たれている。
「お任せを、リン様。」
マスケット銃を抱えながらそう答えたのは、いつの間に合流していたのか、リリィであった。旅商人という必然性から扱いを覚えたのだろう、まるで猟師のように手馴れた様子でリリィはマスケット銃を構え、そして正面上方へと向けて発砲する。続いて、五百名程度用意した鉄砲隊が一斉に火蓋を切った。鼓膜を突き刺す爆裂音とほぼ同時期に、二階フロアの窓硝子が破損し、その欠片が地上へと、ばらばらと降り注いだ。その中を、三度目の槌が襲い掛かった。鈍い衝撃音と同時に、鋼で製造された扉がたわみ、両扉の狭間、中央部分に僅かな隙間を生じさせる。
「リリィ、そのまま牽制をお願い。」
リンはそれだけを告げて、ただ正面を注視した。恐らく、扉を補強する時間的余裕を帝国軍は持たなかったのだろう。予想よりも脆弱な門扉を見つめながら、それでもリンは喉の奥が乾いていく感覚が強く残る。早く、もう一度銃撃が行われる前に。
四回目の槌が、鉄扉に当てられた。鈍く響かない、低い音が響き、更にその隙間を広げさせる。敵軍からの銃撃は止むどころか、益々威力を増して行く。予備のマスケット銃を受け取ったリンもまた、リリィと並んで銃弾を敵鉄砲隊へ向けて放った。窓枠に僅かに残された硝子の切れ端に、敵兵のものであるらしい血痕が飛び散る。こちらの被害も無視で気ない。確実に、負傷者、そして死者が増加している。
それから続けて、およそ十回。
「よし。」
リンは興奮した心を押さえつけるようにそう言った。やっとの思いでこじ開けた鉄扉の奥に向けて、ガクポを先頭とした傭兵軍団が怒涛の如く攻め上がる。その様子を見て、リンは最後の一発とばかりに弾込めを終えたばかりのマスケット銃を上空へと向けて放った。直後に銃を放り投げ、一度鞘に収めていた剣を再び引き抜く。
「セリス、行くわ。」
「はい、お姉さま!」
後ろ髪に括りつけた短めの髪が、ぽん、と背後で跳ねた。大股に、全速力でリンは駆ける。後ろに続くセリスはまるで兎のようなしなやかさ。だが、二人が持つ牙はその可憐な外見とは比べ物にならない程度に、鋭く、そして強い。
玄関ホールでは既に大乱戦が開始されていた。肉体と肉体がぶつかり合う、鈍い音が響き渡る。刃同士が交錯する音が、鬨の声が、そして人の絶叫が呼応するその中を、リンとセリスは一気に前線にまで飛び出した。先頭のガクポが、瞬間に二人を切り裂く。一人は右腕を失い、もう一人は首から上を一刀に切り裂かれた。振り下ろされる剣に対して、リンは瞳を見開いたまま、帝国兵の懐へと切り込む。身体全身を相手にぶち当てるように。そのくらい、深く飛び込んで漸く、剣が相手にまで届く。切先だけ当てても倒すことは出来ない。出来うる限り強く、そして切り裂く。噴き出した血を避けることもなく、その全身に浴びながらリンは、片脚でしなやかに、帝国兵の腹を蹴り飛ばした。どう、と仰向けに倒れた兵士の背後には、まだまだ戦闘に足りうる兵士が続々と現れている。剣を片手に、装備だけは立派な帝国兵に対して、リンは軽いステップで踏み込んだ。放った剣を、相手は受け止める。直後に、帝国兵の利き腕をさらりと切り裂いた、小柄な剣士がいた。セリスである。絶叫、血、悲痛、傷害。そのまま、帝国兵の喉元を切り裂いた。兵士の絶叫が、意味を成さない悶絶へと変化する。そして、光を失った瞳をどこかへと向けながら、前のめりに倒れた。
明らかに、被害は帝国兵の方が多い。何しろ、数では圧倒的な有利を革命軍は誇っているのだから。被害が増える毎に、帝国兵はその士気を際限なく削り取られてゆくことになった。やがて、戦列を離れてゆく帝国兵が増えてゆく。力押しに階段を駆け上って行く革命軍に対して、帝国兵は既になすべきことを持たなかった。二階への侵入を果たす頃には、一か八かの決断を迫られた挙句、二階窓から飛び降りる帝国兵すら存在した。無論、その殆どが無傷では済まなかっただろうが。何しろ未だに、全ての革命軍が総督府への進入を果たしているわけではない。前庭には未だ、多数の革命軍が占拠していたのだから。
「リン様、あちらを!」
ガクポが指差しながらそう叫んだのは、リン達先頭集団が第三層へと到達した直後のことであった。かつて謁見室として利用されたその部屋から、数十名の集団が駆け出している。
「追うわ、逃がしては駄目!」
言われなくとも理解できる。あの兵装。グリーンシティ総督、ハンブルク大将本人に違いがない。経路から見て、恐らく西階段から血路を切り裂くつもりなのだろう。だが、逃がすわけには行かない。一歩、ガクポが踏み出した。疾風。まさにその名の通り、ガクポは自身の脚力を一段階、上げた。集団から飛び出す、ガクポはそのまま、全員の先頭に立って駆け出した。手には長剣、ぬらりと光る。後方の騎士が二名、振り返り、ガクポに対峙した。だが。
「御免。」
ガクポの一言と同時に、放たれた刃はまるで羽を広げ、急降下する隼の如く。敵が構えるよりも前に、ガクポは一人を真正面から切り裂いた。脳髄から、血と肉が毀れる。震える切先でガクポに対峙したもう一人は、ハブのようにうねる長剣の前に、その右腕を瞬時に失った。まるで何事も無かったかのようにガクポは小さな笑みを漏らすと、更に走る速度を上げた。風、いや、放たれた鏃の如く、ガクポは走る。逃げる騎士の背中から、ガクポは容赦の無い剣戟を放った。脱皮するように甲冑の背を割った奥から、血液が毀れる。逃亡の不能を悟ったものか、一人、初老の騎士が振り返った。手にするのは槍。ハンブルクであった。
「この、若造めが!」
自ら指揮を執り、最後の騎士団二十名ほどがガクポに向けて剣を構えた。一斉に襲い掛かる騎士を前に、ガクポは冷静に一歩引く。それと同時に、リンとセリス、そしてダオスとヴェネトが戦闘に雪崩れ込んだ。ダオスが戦闘の一人を突き倒すと、反転したガクポとヴェネトが見事な連携をもってもう一人を絶命させる。流石に個々の戦闘力は他の帝国兵とは比べ物にならない程に強い。だが、果たしてアレクやメイコ、そしてウェッジと比類するだけの猛者がこの場に存在しているだろうか。
否。袈裟切りに放たれた剣を受け止めてこらえながら、リンは冷静に、そう考えた。いくらでも、隙はある。直後に、リンは相対する敵兵の足首を力任せに蹴り飛ばした。そのまま、床に滑り込む。リンという支えを失った敵兵がよろめく。その隙に、脇下、鎧が覆い隠せない一部分目掛けて、リンは剣を突き上げた。絶叫、すぐに剣を引き抜き、身を起こす。その直後。
「ふんぬ!」
気合を込めて放たれた槍の穂先が、リンの視界に映る。前転の要領で身をかわしながら、リンは血に濡れた顔を持ち上げた。穂先に触れたのか、軍服の一部、ズボンの端が零れ落ちたことを自覚する。その目の前には、ハンブルク。体格のよい、巨漢と評するに相応しい男がもう一度、槍を突き上げようとした、その直後、飛び出した疾風は紫がかった長い髪として具現化した。そのまま、疾風がハンブルクの喉元を切り裂く。ただの一撃。すれ違いざまに剣を放ったガクポの手により、ハンブルクはその頭部を丸々失うことになった。巨像が地に堕ちるように倒れたハンブルクの亡骸を見て、抵抗するものは最早存在しなかった。その場で、総督府に属する全ての帝国兵は革命軍に対し、無条件降伏の憂き目に会うことになったのである。
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