僕はそれに応えよう
<王国の薔薇.8>
ある時、一つの噂が国中を駆け巡った。
あの王女が恋をしたらしい、と。
なんでもその相手は海の向こうの貴族様。
彼は才色兼備で頭脳明晰、人々の信頼厚い聖人君子かとさえ思える方。―――とてもではないが、王女には勿体ない相手だ。
だけではない。彼には既に恋人がいるそうではないか。しかも彼にぴったりの素晴らしい女性だという。
普通に考えれば王女に勝ち目等ない。
しかし、人々は小さく囁く。
それでも「あの」王女のことだ、自分の望みを果たそうとするに違いない。
どんな手を使おうとも。
「カイトさんを!?どういうことですか、王女!」
「あら何よ、そんなに変かしら?」
リンは軽く肩を竦めて見せた。
確かにその仕種は年相応の少女のものだ。
でもその心の内が同い年の子供達とどれだけ違うのか、その片鱗は理解している身としては―――
「・・・いえ、変では・・・でも、いつ知り合われたのか、と」
微かに語尾が濁る。
そんな僕に、リンは可愛らしく笑った。
「知り合った、というかね。向こうは私に会ったなんて思ってないわよ」
「は・・・」
「まあいいじゃない、私と彼との出会いなんて。両思いになったら話してあげる」
笑う彼女は本当に嬉しそうで、僕はただ彼女を見ていることしか出来なかった。
本当ならば応援したい。そう、相手があの二人でさえなければ、僕は彼女の恋を応援できた。
でも。
リンは割って入るつもりなのか、彼等の仲に。
そんなの・・・ただ見苦しいだけだ。カイトさんも、相手の方も、けして譲りはしないだろう。
端から見ていてもこれ以上無いくらいにお似合いな二人なのに。
それは、
「ねえ、レンは応援してくれるわよね?」
リンの声が耳に突き刺さる。
「レンの評価があったから、私も行動する気になれたのよ」
思わず目を見開いた。
リンは、じゃあ、僕が彼をよく評したから彼への恋心を隠さなくなったのか?
彼女に一歩を踏み出させる、その背を押したのは―――僕?
呆然と彼女を見つめる僕に、彼女はにっこりと笑う。
「あのね、レン。後でまたお願いをするわ」
「・・・後、というと?」
「ああ貴方には言っていなかったわね。これから大切な会合があるの」
「・・・どなたと、でしょう」
くすり。
リンは口の端だけで笑った。
「皆と、よ。皆にと―――大切な話を、するの・・・」
何故かその笑みが恐ろしく見えたのは、果たして気のせいだったんだろうか。
「うん?レン坊、まーた花取りに来たのか?こないだ渡したよなあ?」
「はい、それは大丈夫です・・・ただ王女がなにか会合を開いているようで」
「あー、召使のお前さんが立ち会えない類のやつか。最近多いな」
「ええ」
「姫さんもレン坊にちと辛く当たってるし。仮にも自分付きなんだから優遇したっていいようなもんだろうに」
「辛く・・・?」
何となく足を向けた庭師のもとでそう言われ、リンの他の人に対する態度を考えてみた。
リンは、僕以外にどう接していただろう。
―――分からない。
分からなかった。
僕は用がなければ彼女の側に侍ることは許されない。だから、考えてみればリンのことで知っていることなんて殆どないと言ってもおかしくないのだ。
リン。
リン・・・
ああ。これが僕の限界なのかな。
咲き誇る薔薇の一つにそっと手を寄せる。
僕は彼女にまで届かない。
それはまるで地面を這う雑草が、高い枝の先に咲き誇る薔薇に焦がれるようなものだ。
いくら手を伸ばしても、彼女には。
「レン坊」
かけられた言葉に、意識を引き戻す。
彼は軽く眉を潜め、心配そうにこちらを見ていた。
「あのな、俺がいう事じゃないだろうけど・・・あんまり考え込むな」
「え」
「姫さんの事は姫さんが考えるさ。あれでリン王女はなかなか頭も良い。度胸もある。原因と結果を区別出来ないようなお子様じゃあない」
「・・・でも、じゃあ、どうして」
どうして―――
言葉を告げようとしたちょうどその時、血相を変えたメイドの一人が駆け付けて来た。
「レオン!と、レン君!」
「何だその呼び方の差」
「きっ、気にしないで!じゃなくて、大変よ!」
黄色くて長い髪を片側で結び上げた姿。
少し、カイトさんの恋人に似てる。いや雰囲気は全然違うけど。この人の方が遥かに闊達で明るくて気が強そうだ。
そんな風にのんびりと分析をしていた僕は、彼女の言葉に頭を殴られたような衝撃を受けた。
「緑の国に侵攻する、って、皆武装を始めてるの!もうすぐこの国は緑の国と戦争になるわ!」
緑の国?
それは―――
『隣の国の人でね、商家の娘さんなんだって』
まさか。
まさか、リン!
僕はその場から駆け出した。
彼等に別れの言葉一つ掛けなかったけれど、正直なところそれどころではなかったから。
嫌な予感が頭の中に溢れる。
きっと間違っている。リンはそんなこと考えない。
だけど。
だけどだけど、もしかしたら―――
「王女ッ!」
ばん、と音を立ててリンの部屋の扉を開く。
中では調度ウィリアムさんとリンが話を終えたところだったらしく、ウィリアムさんはリンに辞の言葉を述べ、僕に少し笑いかけてから丁寧に扉から抜けていった。
背後で扉が閉まるのを確かめてから彼女に向き直る。
「何かしら?」
いっそ涼やかとも言える声に、僕は堰を切るように口を開いた。
「緑の国へ侵攻、とはどういうことですか!?皆への話というのもそれだったのですね、何故そんなことに!」
「あらもう伝わったの?・・・ネルね、まあいいわ」
リンは軽く肩を竦め、皮肉げに笑みを作った。
「そうよ。あの国の軍隊は弱いわ、我が国の完全勝利に終わるでしょう」
「しかし、緑の国とは友好関係にあったはずでは!?」
「あんなもの口約束よ。慢心していたあちらが馬鹿なだけ。あんな国、行ったことさえないわ」
「・・・・!」
絶句するしかなかった。
なにか言えるわけがなかった。
嫌な予感はしていたとはいえ・・・
「まさか、リン王女・・・カイトさんのことで・・・?」
「レンは賢いわね」
にっこり。
まるで太陽のような笑顔で、彼女は僕が1番聞きたくなかった言葉を紡ぐ。
「そう、彼に纏わり付いていた女は緑の国の女だというものね。だからこれは当然の報いだわ。大地を焼かれ、民を殺され、そして後悔すれば良いのよ」
それでも足りないわね。
嘯く彼女。
やめてくれ!
僕は心の中で叫んだ。
やめてくれ。これ以上、リンの姿で、リンの声で、そんな事を言うな!
こんなのリンじゃない。リンならそんなこと言わない。あの人達の幸せを壊すような事はしない。
いくら皆が暴君だと噂しようが、僕の気持ちを動かせはしない。リンの本質は変わりはしない―――あの子は優しいままなんだ!
頭が真っ白になるほどの激情。
わかっていた。
わかっていると、思っていた。
でも僕は、僕自身が思うより遥かにリンを信じていた・・・信じたがっていた。自分でも驚く程に。
でも、現実は残酷だった。
「でね、レン。さっきも言ったけどお願いがあるの」
す、とリンは僕の目の前まで歩み寄って来た。
記憶にあるより少し下の位置から彼女は僕をじっと見つめる。
その目を見ていると、段々と頭が混乱してきた。
これは誰だ?こんな事を言うなんて、いや違う、そうだ、これはリンだ。リンの顔リンの声リンの姿、だったらリンに決まってる。あれでもおかしいな、昔はあんなに気持ちを通じ合わせることが出来たのに、今はその目は覗き込める位置にあるというのに何故かその色が読めない。落ち着かないと。これはリン。リン。僕が側に居たいと思った相手。僕が守りたいと思った相手。僕のかたわれ。大切な、何よりも大切なひと。
だよね?
「なんでしょう」
渇いた喉で声を搾り出す。
どうしてこんなに喉が渇くんだろう。
どうしてこんなに体が強張っているんだろう。
リンは静かに僕の頬に手を添えた。
「あの女を、消して頂戴」
一瞬で苦々しい顔に変わったリン。
ああ。
僕は麻痺した脳で考えた。
リンが、いやがってる。
だったらぼくのこたえはひとつ。
「 」
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