我が家の朝は、おみそ汁の匂いで始まる。

 その小さな子供は、もふもふと暖かな布団にくるまりながら階下の台所から漂ってくるおみそ汁の良い匂いを嗅いでいた。夢と現実の境目を行ったり来たりする、心地よい瞬間。今日のおみそ汁の具は何だろうな。とそんな幸せな疑問を思い浮かべつつ、あともうすこし、とお布団の中で寝返りを打った。
 が、次の瞬間。そのささやかながらも貴重な幸福をぶち破るように、たんたんたん、と軽快に階段を上ってくる足音が響きわたった。少し乱暴な調子のその足音に、うわあ来た。と布団の中の子供はせめてもの抵抗にと布団の中にもぐりこんでぎゅうと丸まる。しかしその足跡の主は階段を上りきり廊下を真っ直ぐに進み、子供の部屋の前までやってきて容赦なくすぱんとその襖を開け放った。
「がちゃ坊、朝よ。起きなさい。」
朝から元気な上の姉の声が明るく響き渡った。そして問答無用の勢いで、ぐわし、と子供がぬくぬくと包まっていた布団を引っぺがした。
 必死で布団の端っこをつかんで、がちゃ坊と呼ばれた子供は抵抗したが、いくら姉がスレンダーな体型だからと言っても体格の差があり過ぎる。無情にも暖かかった布団を奪われてしまい、がちゃ坊は清冽な朝の空気にぶるりと震えた。
「ぐみ姉ちゃん。ひどいよぅ。」
ううう。と恨めしげに長姉を睨みつけたが、それを気にする様子もなく、ぐみはもふもふと手早く掛け布団をベッドの足もとに畳んだ。
「朝の庭の水やりはがちゃ坊の仕事でしょうが。さっさと起きてやりなさい。」
はきはきとした調子でぐみはそう言い、未だにベットの上で名残惜しそうな視線を布団に向けているがちゃ坊の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「ほら、働かざる者食うべからず。」
やさしく、というよりもいささか乱暴に頭を撫でられて、がちゃ坊は、はぁい。とまだ眠気の残る体をゆっくりと動かしてベットから降りた。
「ぐみ姉ちゃん。今日のおみそ汁は何?」
「玉ねぎと油揚げだったわね。ちなみに卵焼きはリリィが頑張っているわよ。」
とんとんとん、とやっぱり軽快に階段を下りながら、ぐみは先に進むがちゃ坊からの問いにそう答えた。その返事に、再挑戦しているんだ。とがちゃ坊は目を丸くする。
「リリィ姉ちゃんは、今日は卵焼き、成功するかな。」
「どうだろう。だけど別に、私はオムレツでも良いんだけどね。」
そう言いながら、ほら朝ごはんが出来ちゃうから。と急きたてた。

 階段を下りてまず台所に顔を出し、おはよう。とガチャ坊があいさつをすると、ぐみの言葉通り、この家の大黒柱である長兄のがくぽと下の姉であるリリィが並んで朝食の準備をしていた。
「がちゃ坊。おはよう。」
長身で男前な筈なのに割烹着がやたら似合っている兄が、のんびりと振りかえってあいさつを返してくれて、その横で卵焼き用の四角いフライパンと対峙している次姉が、おはよう。と振り返ることなく切羽詰まった声で返事をしてきた。
「リリィ姉ちゃん、卵焼き、うまくいきそう?」
「今ちょっと話しかけないで。」
がちゃ坊の問いかけに、ピンと張りつめた調子でリリィは返事をしてきた。おっとなんだか大変そうだ。と、がちゃ坊が入り口から台所を覗き込んだままの姿勢でその様子をうかがっている中、リリィが不器用な手つきで菜箸を扱い、フライパンの中でけっこう巻き上がって大きくなってきた出し巻き卵をひっくり返そうとした。
 だが菜箸を上手に扱えないでいるので、もたもたと、なかなかうまくひっくり返す事が出来ないでいる。そして卵焼きをひっくり返そうとすることに意識が言っているためにコンロの火は点いたままだ。うっすらと焦げ臭い匂いがリリィの手元からしてくるのを感じつつ、がちゃ坊は、さっさと朝の仕事しなくては。と縁側から庭に出た。
 靴脱ぎにいつも置かれている大きなサンダルを突っかけて、庭の端にある水道の蛇口をひねり、じょうろに水を入れる。全部入れてしまうと重くて持てなくなるから、半分くらいいれて。がちゃ坊は庭の草花に水をあげた。
 椿に南天、こでまり、もくれん、シュウカイドウ、オジオバ。小さな庭ではあるが庭木や草花が植えられていて四季折々の風景を楽しませてくれる。そよそよと、すっかり春の気配に満ちた柔らかな風が、すっかり背を伸ばして蕾をつけたチューリップの緑の葉と、がちゃ坊の短い髪を揺らす。その横では次姉の名と同じ花の苗が、夏の開花に向けてすくすくと育っていた。
 植物の手入れは主にがちゃ坊がやっている。庭木の手入れは手に負えないから、兄にやってもらってはいるけれど。草花の種や球根を買ってもらって植えたりするのは、がちゃ坊だ。
 朝の水やりは草花だけでいい。あと夕方、今度は庭木にも水をあげる。一通り回って元の場所にじょうろを戻し、がちゃ坊は再び縁側から家の中へ戻った。
 わしゃわしゃと洗面台で手を洗うついで顔も洗ってしまう。もうここまで来ると、木々からの朝一番の空気と冷たい水の感触のお陰ではっきりと目が醒めてくる。ふかふかとタオルで水滴を拭ってがちゃ坊が居間に行くと、リリィがちゃぶ台の上に朝食を並べている最中だった。
 おみそ汁とご飯の良い匂いが部屋中に漂っていた。それに卵焼きの匂いも。既に並べられている皿を見ると、やっぱりリリィは少し卵焼きを焦がしてしまったようだ。黒く焦げ付いた痕がくるりと巻かれた卵焼きはしかし、形は綺麗に出来上がっている。
 お箸を並べるのを手伝って、自分の席に腰を下ろしたがちゃ坊にリリィがご飯をよそってくれた。卵焼きを今回も失敗したことが悔しいのか悲しいのか。その顔は、むっつりと口をへの字にしていて不機嫌そうだ。次姉は切れ長の瞳が綺麗な顔をしているので、本人は落ち込んでいるつもりでも、傍から見たら怒っているように見えて怖い。
「リリィ姉ちゃん、焦げてはいるけど形は綺麗だよ。」
そうがちゃ坊がフォローするように言うと、だからこそ悔しいのよ。とリリィは更に眉間に皺を寄せて言った。
「あともう少しでパーフェクトなだし巻き卵が作れたのに。」
ううう。と悔しげに呻くリリィに、味噌汁を運んできたがくぽが、進歩はしているのだから。と慰めるように言った。
「和食を今まで作った事が無かったのだから、出来なくて当然だ。俺だって最初はリリィが得意なビーなんとかを上手にできなかっただろう?」
「ビーフストロガノフ、だよ。」
「だけど、お兄ちゃんは直ぐに私なんかよりも上手にできるようになったじゃない。」
長兄の適当な言葉にがちゃ坊が訂正を入れ、リリィは悔しげな様子で更に眉間にしわを寄せる。と、そこへ二階の物干し台で洗濯物を干していたぐみが、軽やかな足音を立てて戻ってきた。
「お待たせお待たせ。今日はいい天気だから、あったかくなりそうよ。」
そんなことを明るく言いながらぐみが腰を下ろして。

 そして皆で両手を合わせて、いただきます。と声をそろえた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

ある日の朝

前からインタネ家の話を書きたいなぁ。と思っていたのです。
突撃インタネ家の朝ごはんです。

最初はエイプリルフールのネタ話として書く予定だったのだけど。
4月1日を思い切りスルーしてしまったので、ほのぼのに路線変更。

続きものっぽい書き方をしましたが、続くかどうかはわかりません(笑)
続くとしたら、インタネ家族でがくルカな話になりそうだけども。

閲覧数:342

投稿日:2011/04/09 14:31:47

文字数:2,847文字

カテゴリ:小説

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  • 時給310円

    時給310円

    ご意見・ご感想

    どうも、お久しぶりですsunny_mさん。
    ぼちぼち暫定的に復帰してみました、またよろしくお願いします。

    読ませて頂きましたが、相変わらず情景といい人物の動きといい、描写の秀逸なお話を書かれますね~。映像で見ているかのように、その光景が浮かびますよ。庭の草花については名前聞いてもほとんど分かりませんでしたが (^ω^;)
    仲良し家族、いいですね。がくぽはいかにも「家長!」って感じだし、グミも面倒見良さげだし、リリィが意外に頑張る子で萌えr(ry
    頼れる兄貴に気立ての良い美人な姉2人。こんな家に来ることが出来て、がちゃ坊は幸せ者ですね。
    僕も新しく始めた長編で、インタネ家が総出撃する予定なんですが……あれ? なんかウチとはだいぶ違うなぁ?w
    何とかウチの方も、こういう良い家族にできるように頑張ります。
    次回を楽しみにしております、引き続き執筆がんばってくださいね! ←(続き物だと頭から思い込んでいるらしい)

    2011/04/28 22:33:07

    • sunny_m

      sunny_m

      >時給310円さん

      読んでいただきありがとうございます!
      そしてこちらこそ、今後ともよろしくお願いします!!

      リリィさんに萌えましたかwそれはよかったww
      庭の植物たちの名前は正式名称ではないと思います(笑)
      ちゃんと調べたわけでなく庭のものを書いてしまったのでこんな事に(苦笑)
      少なくとも、おじおばはちゃんとした名前があると思うのだけど、本当のところ、なんていう名前なんだろ?

      この一家は、本当に「インタネさん家のご家族」っていう雰囲気を出したいなぁ。とは思っているのですが。
      なかなか考えているのに力量が追い付いてくれなくて、やっぱりもがぁ?!となっています(笑)
      なんだかんだ言って、確かに続きそうな感じでもありつつ。
      でも私なので予定は未定です^_^;

      それでは読んでいただきありがとうございました☆

      2011/04/29 09:52:42

  • 藍流

    藍流

    ご意見・ご感想

    大遅刻で参上しました!
    イヤ読ませていただいてたんですが、コメまとめるのに時間かかるタイプなのです;

    ほのぼのインタネ家、いいですね~☆
    がちゃ坊が可愛い! 凄く自然な『小さい子』ですね。可愛い(大事な事なので2回言いました)
    お庭の情景が素敵で。庭木もたくさんあるなら、大きいお庭なんだな。とか。
    水遣りをじょうろで、っていうのがまた、風情があっていいですよね。ホースじゃないんだーと思って。
    きっと最初の頃には欲張ってたくさん水を入れて、持てなかったりひっくり返したりしたのかな、とか考えてしまいましたw

    朗らかぐみさんも負けず嫌いのリリィさんも、しゃんとしてるのに優しい空気のがくぽさんも素敵でした!
    是非続きも! 読んでみたいですv←

    2011/04/23 12:40:23

    • sunny_m

      sunny_m

      >藍流さん
      コメ、ありがとうございます?!!
      もう本当に、読んで、触れ合ってもらえるだけで大感謝ですから!!

      がちゃ坊、可愛いですか?☆
      可愛いって誉められたよ!がちゃ!!とか言うと、この子は恥ずかしがって隠れてしまいそうな気もします^_^;
      甘えん坊な子なんだろうなぁ、やっぱり。

      庭のモデルは実家の庭がちょっとだけ混ざっています^^
      そして水やり、夏場は夕方はホースで朝はじょうろ、って我が家では決まっていたんです。
      それを、そのまま使ってしまったww
      ウチよりもインタネ一家の方が広くてちゃんと手入れをしていそいうだなぁw

      続きは、頑張る!ww
      思いついている事はあるので、気長に頑張っていきたいと思います☆
      それでは読んでいただきありがとうございました!!

      2011/04/24 13:51:42

  • wanita

    wanita

    ご意見・ご感想

    おはようございます^^
    朝っぱらから遊びにきてしまいました。私の敵もだし巻き卵です。
    すぐにふとんを巻いたみたいになってしまうので、修行中です。
    最近までああいった甘系の卵焼きをおいしいと思ったことがなかったのだもの……!というわけで、和食に出会ったリリィの気持ちがよく分かります☆

    リリィちゃんと、やわらかい口調のがくぽに和みました。
    がくぽを優しいイメージで扱っているのが、新鮮でした。

    2011/04/10 09:00:16

    • sunny_m

      sunny_m

      >wanitaさん
      コメントありがとうございます☆
      だし巻き卵は、私もリリィさんと同じような感じで小さい頃に習っていて、しょっちゅう焦がしつけていました(笑)

      リリィさんはまだ性格が固まりきっていない、というか、インタネ家族設定は、まだみんなの性格がはっきりしていないので今後続けられるかどうかも危ういのですが ^_^;
      こういうのんびりしたものは、書いていてとても楽しいでの、頑張りたいなぁ。とおもいます☆

      それでは読んでいただきありがとうございました!

      2011/04/10 11:01:00

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