私とジュリエット ※二次創作
1 現在:1日目
『次はー、始音温泉。始音温泉でございます。お降りのお客様は、お近くのボタンでお知らせください――』
バスの車窓に流れる山林をぼんやり眺めていたあたしは、運転手のアナウンスにハッとして手近のボタンを押した。
運転手はすごく渋い声で次のバス停での停車を告げる。
運転手のさらに先、フロントガラスの向こうに、目的の建物が見えてきていた。
緑繁る山の中腹の温泉街。昔はもっと何軒も旅館が連なっていたそうだが、今ではかろうじて三軒が生き残っているだけだ。別府温泉なんて聞くと、有数の温泉地、というイメージがあるけれど、エリアによってはこんな風にさびれかけてしまっているところも少なくないそうだ。
目指す旅館は、その中の一番奥。
柳の木立に隠れた、純和風の入口を抜けた先にある。
最寄駅から二時間に一本しか走っていないローカルの路線バスに揺られること一時間弱。目的地にようやく到着だ。
石畳の右手にはこじんまりした日本庭園がある。丁寧に整えられた芝生と植栽があり、小さな池では鯉がゆったりと泳いでいる。時おり鳴るししおどしが、ここの時間の流れをやけに遅く感じさせた。
“都会の喧騒から離れ、ゆったりした時間の流れと共に極上の癒しを”
雑誌の特集でここの旅館に付けられていたキャッチコピーを思い出す。言いたいことはわかるけど、よくある上にちょっと助長だな、なんて思っていたそれ。でも、これは確かに……的を得ているかもしれない。
日本庭園から視線をはずせば、すぐそこに正面玄関がある。今ではもう珍しい部類に入る、昔ながらの瓦屋根の庇をくぐり、あたしは建物の中へ。
「愛様、始音温泉へようこそ」
入ったとたん、そうやって総出でお辞儀をされて、あたしは面食らった。
「え、えーっと……」
うろたえるあたしに、若女将とおぼしき中央の女性が顔を上げて、にっこりとほほ笑む。
「この度はこちらにお越しいただきありがとうございます。当旅館でのご滞在が最高の時間となりますよう、一同、誠心誠意つくさせていただきます」
かなりの美人だ。仕立てのいい着物に、長い黒髪を結い上げている。着物の柄は赤地に薄桃の牡丹。すごく派手な色なのに、綺麗に着こなせるのは元がいいからだろうか。
――とはいえ、若女将の他人行儀な態度に、あたしは余計に硬直する。
あれ……?
あたし、確かに旅行でのんびりしようっていうのはあったけど、久しぶりに友人に会うっていうのもあったんだけど……。この子、じゃなかったっけ……。
「なーんてね。ようこそ、メグ!」
あたしの気持ちを察したんだろう。彼女は相好を崩し、さっきまでの大人びた笑みがひまわりの笑顔へと変わる。
「もー。ビックリしたじゃん!」
「へへー。まだまだ勉強中だけど、私もちょっとはサマになってきたでしょ?」
そんな彼女の様子に、他の皆さんも相好を崩す。危なっかしい若女将をしっかり支えてあげなきゃ、という雰囲気が伝わってきた。ここで働くようになってからまだ数年に過ぎないけれど、ここの皆に好かれているってことだ。
「久しぶりね、未来。大学卒業して、もう……三年か。早いなぁー。なんだか大変そう」
「ホント、あっという間。三年あれば覚えることちゃんと覚えられるって思ってたけど、まだまだ沢山あるんだもん」
「そうねぇ。あたしもそんな感じ」
「話したいこといっぱいあるけど、まずはチェックインしてもらわなきゃね。私も落ち着くまで時間かかるし、お夕食は一時間後だから、それまではのんびりしてて」
「じゃーお言葉に甘える」
普段こんなにゆったりできることなんかないから、そうさせてもらおう。未来の後ろにあるソファがすごく気持ちよさそうだ。外の景色も堪能できるみたいだし。
「温泉! すっごいいいから! 家族風呂の方予約すれば、市内の夜景も見下ろせてお得」
ビシッと指差して断言する未来の提案を断る理由はない。
「じゃーそれで予約お願い」
「はーい」
「それ、未来は来れないの?」
「え?」
ちょっと考えて――周りの皆さんに視線で問いかけてから、未来はちょっと申し訳なさそうな顔をする。
「遅い時間になっちゃうけど、それでいいなら」
「未来と入るためならのぼせるまで待つわよ」
その言葉に、あたしたち二人だけじゃなく、周りの皆さんも笑った。
この三年で従業員の皆さんを虜にしてしまった彼女を見て、改めて思う。
あぁ、やっぱり。
たぶんあたし、貴女が――。
初めて自分の気持ちをここまでハッキリと自覚したのはいつだっただろう。
……そうだ。あの時。
海斗さんから預かったケータイを届けに、未来の家に押しかけた時だ。
未来があんな状態になるまで気づいてなかったことに、あたしは自分を恨んだ。
そこまで思い詰めたのも、やっぱりそんな気持ちがあったからだ。
それまで、冗談で未来を口説いたりしたことはある。でもそれはやっぱり冗談の域を出なくて、ちゃんと自分の気持ちに確信を抱いたのは……あの時で間違いない。
まだ高校生の頃。
未来の家に二回目に行った時。
泣きじゃくる未来に寄り添い、海斗さん宛に写真を撮る名目で一緒にお風呂に入ったあとのこと。
この気持ちに気づいた時には、どうしようもなく手遅れだと思い知らされた時のこと――。
私とジュリエット 1 ※二次創作
第1話
お久しぶりの文吾です。
二次創作第12弾。doriko様の「私とジュリエット」をお送りいたします。
まず、私の二次創作第1弾「ロミオとシンデレラ」の物語の続編となっており、それに伴い「ロミオとシンデレラ」の内容に触れています。
ある程度本文でも説明を入れていますが、「ロミオとシンデレラ」読了前提の話となっておりますので、ご容赦ください。
doriko様のベストアルバムを聴いたときに「これは書かねば」と思った一曲です(笑)
初めて聴いたときに愛が主人公でブワーッと思い浮かんだのですが、実際に書き始めると物語と歌詞が噛み合わず、これがまた大変大変(汗)
とはいえ……「ロミオとシンデレラ」が気に入って頂けた方には、いろいろと面白いんじゃないかと思います。
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