注意書き
これは、拙作『ロミオとシンデレラ』の外伝です。
リンの継母である、カエ(オリジナルキャラ)の視点で、第十一話【冷たくもなく、熱くもない】のサイドエピソードとなっています。
したがって、『ロミオとシンデレラ』を第十一話まで読み進めてから、読むことを推奨します。
【母の苦悩】
月曜の朝。リンは食欲が無いらしく、朝食をほとんど食べなかった。前の日もまともに食べていないのに、こんなことでは身体が持たない。
「リン、ちゃんと食べないと駄目よ。昨日もろくに食べてないでしょう?」
「…………」
リンは沈んだ表情で、目の前の皿を見た。昨日も元気が無かった。……いや、違う。元気が無いのはいつもだ。今日は、それがとりわけひどいだけで。
「……もう行かないと遅れるから」
朝食を半分以上残したままで、リンは席を立ち、学校へと出かけて行った。最近、リンの考えていることがよくわからない。
「ルカ、どう思う?」
私は、朝のコーヒーを飲んでいる長女に、そう訊いてみた。
「何が?」
淡々とルカは尋ね返した。
「リンは、どこか具合が悪いんじゃないかしら」
「それなら、医者に連れて行けばいいわ。……ご馳走様」
ルカは空になったカップを置くと、出勤の準備をする為に、自分の部屋へと戻って行った。私はため息をついた。リンの考えていることがよくわからないのは最近からだが、ルカの考えていることがわからないのはもっと前からだ。どうしてなのだろう。
そもそも、私は、一体どこで間違えてしまったのだろうか。
十五年前、私は親族の勧めで、夫と結婚した。巡音グループという、大きな会社のトップに君臨する人。でも結婚に二度失敗していて、三人の幼い娘がいる。
「ほら、ああいう人だから、どうしても派手な女性が寄ってきちゃうでしょ。そういうのに目を眩まされて、二度も変なのつかんじゃったから、今度は堅実な人を探しているんですって。カエちゃんならぴったりだと思うのよ。辛抱強いし、家庭的でしょ」
一方私はというと、三年ほど前に身体を壊して勤め先を辞め、実家で行き場の無い生活を送っていた。一生こうしているわけにも行かない。親族の勧めるままに夫と見合いをすると、あっさりと話はまとまってしまった。
思うに、夫は結婚しておきたかったのだろう。金銭的には困っていないから、ベビーシッターでもお手伝いさんでも、簡単に雇って子供の面倒を見てもらうことは可能だ。だが夫は頭の固い人で、「子供には母親が必要」と考えていた。母親役をこなしてくれそうな人なら、きっと誰でも良かったのだ。そして、私は私で、経済的な安定と、社会的な立場を求めていた。要するに、お互いの利害が一致してしまったのだ。
結婚が決まり、夫になる家の人を訪問して、そこで私は初めて、自分の子供になる三人の娘たちに出会ったのだった。
「長女のルカ、九歳だ。こっちは次女のハク、六歳。それから三女のリン、二歳になったばかりだ。ルカ、ハク、リン。お前たちの新しいお母さんになる人だぞ」
「初めまして。ルカです。これからよろしくお願いします」
ルカと呼ばれた長女は、そう言って私に頭を下げた。その、あまりにも大人びた挨拶に、私は驚いてしまった。
「よ……よろしくね、ルカちゃん」
ルカは、物怖じせずに真っ直ぐに私をみつめた。その視線からは好意も敵意も感じられず、それが私を当惑させた。
「パパ、あたらしいママなんていらないよう。ママはどこにいったの? ママにあいたい」
そう言い出したのは、姉の隣に立っていた次女のハクだった。目には既に涙が浮かんでいる。
「ハク、わがまま言うんじゃない」
「やだやだやだ! あたらしいママなんていらないの!」
ハクは、すごい勢いで泣きわめきだした。
「いい加減にしないかっ!」
夫がハクを怒鳴りつける。私は呆然として、それを眺めていることしかできなかった。叱られたハクは、泣きながら走って行ってしまう。
「ハクちゃん!」
私は後を追おうとしたけれど、夫に止められてしまった。甘やかすなと言いたかったようだ。
立ち尽くしている私のスカートを、引っ張ったのは末っ子のリンだった。
「……だっこ」
「リンちゃん、初めまして」
私はリンを抱き上げると、頭を撫でた。
「ハクには後でよく言っておく。とにかく、子供たちのことを頼んだぞ」
それが、三人の娘たちと初めて会った時に、起きた出来事だった。
夫と結婚した私は、一度に三人の娘の母親になってしまった。そのことは自分では納得しているつもりだったし、自分なりに覚悟を決めて飛び込んだはずだった。だが、ことは私が思っていたよりも遥かに厄介だったのだ。
三人いた娘たちの中で、私に懐いたのはリンだけだった。長女のルカはひどく他人行儀だったし、次女のハクはふくれっ面で、私に対する敵意を隠そうともしなかった。
私は自分なりに、娘たちと仲良くなろうと試みてはみた。台所で得意だったクッキーやケーキを焼いて振る舞ったり、買い物に連れ出したり。だが、どれも上手くいかなかった。
ルカは、表面上はいい子だ。言われなくても勉強し、言われたことはちゃんとやり、禁じられたことは決してやらない。そういう子だった。お行儀も申し分なかったし、私は周囲から「できたお子さんでうらやましい」と、ずいぶん言われたものだった。だが、私には気になってならないことがあった。それは、ルカが全く遊ぼうとしないことだった。まだ遊ぶのが楽しい年頃だろうに、玩具の一つもほしがらないし、外に遊びに行こうともしない。不自然ではないだろうか? 相談してみても、夫は「いい子にしているんだから、それでいい」と、取り合ってくれなかった。夫だけではない。学校の先生などに話をしてみても「ルカちゃんは何の問題もない、いいお子さんです。お母さんは心配のしすぎですよ」と言われるだけだった。
一方で、ハクとリンは手がかかった。ハクは、全く私に懐こうとせず、何かというと泣いて暴れた。そしてリンの方はまだ幼児だったから、どうしても世話を焼いてやる必要があった。それに……全く懐かない上の二人に対し、私のことを慕って追いかけてくるリンは、いつしか特別な存在になってしまっていた。それが、良くないことであることを理解してはいたのだが……人の感情だけは、どうにもならない。
下の二人に時間をとられ、私はいつしかルカを一人にしておくことが多くなってしまった。そうして時間が経過し、気がつくと、私はルカのことが、全くわからなくなってしまっていた。
……だから、だろうか。ルカを一人にしておかなければ、良かったのだろうか。「あの子はいい子だから」ということに甘えないで、もっと早い時期に、ちゃんと向き合って話をしていれば、もしかしたら……。
私が物思いに耽っていると、電話が鳴った。お手伝いさんの一人が応対している声が聞こえてくる。やがて、お手伝いさんが、電話の子機を片手に部屋に入ってきた。
「奥様、お電話です。リンお嬢様の学校の校医の先生からです」
嫌な予感に襲われ、私は電話を手に取った。
「代わりました。リンの母です」
「校医の吉井です。今朝、巡音リンさんが校門のところで貧血を起こして倒れまして」
私は、頭の中が真っ白になった。やっぱり、あんな状態で送り出すべきじゃなかったのだ。
「今保健室で休んでいますが、どうされますか」
「すぐに迎えに行きます」
「わかりました」
私は電話を切ると、お手伝いさんに起きたことを話し、リンを迎えに行くので車を出すように運転手に伝えるように言った。すぐ準備は整ったので、私はバッグに必要そうなものを詰め込み、車に乗り込んで、リンの学校へと向かった。
「リン!」
リンは保健室のベッドの上に、不自然なほど青ざめて横になっていた。私は娘の傍に駆け寄ろうとして、校医の先生に気づいた。
「巡音さんのお母さんですね」
校医の先生は、リンの状態について話をしてくれた。私は黙って先生に何度も頭を下げ、それから、リンの傍に行った。
「リン、立てそう?」
リンはうなずいて、身体を起こした。だが、まだ見るからに辛そうだ。
「ふらつくけど……多分大丈夫」
私はリンを支えて、車まで連れて行った。後部座席に乗せ、自分もその隣に乗る。そして運転手に、自宅に向かうように告げた。
帰宅の車の途中で、不意に、リンはこう言い出した。
「……怒らないの?」
「何を?」
「朝ごはん食べなかったことと、それが原因で倒れて、手間をかけさせたこと」
リンは申し訳なさそうにそう言った。
「起きてしまったことは仕方がないから……リン、家に着いたらおかゆを作ってあげるから、それを食べて、今日は横になってなさい」
リンは頷いて、目を閉じた。その様子があまりにも弱々しくて、私は悲しくなった。初めて会った時、リンはまだ二つで、よく笑う明るい女の子だった。それなのに……。ここ数年、リンの笑顔を見た記憶はない。そして、年々、生気を失っていく。
どうしたらいいのか、それすらも私にはわからない。
この子に幸せになってほしいと願うのは、私のわがままだろうか。私は、本来、三人の娘を公平に愛してやらなくてはならない立場だ。だが、私も一人の人間だ。懐かなかった上の二人より、どうしてもリンを可愛いと思ってしまう。
……もしこの世に神様がいるとしたら、どうかこの子に、幸せな人生を。私には天罰が下っても、構いませんから。
ロミオとシンデレラ 外伝その六【母の苦悩】
リンの継母であるカエさんのエピソードです。
書いた奴が言うのもなんですが、よくこれで十五年も結婚生活が持ったなあ……。相当根性無いと逃げ出しますよ、こんな家。
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これは、拙作『ロミオとシンデレラ』の外伝です。
外伝その二『ママ、かえってきて』から、三年後のハクを書いたもので、こちらもハク視点となっています。
三年生になったので、少し漢字が増えました。
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