声帯除去。
それを言われた時には、大したことだとは思わなかった。
声を使う仕事をしているわけでもない。家族はなく、一日パソコンの前に座って適当に株を売り買いする。それだけで面白いように金がたまるような生活をしていた。
声が必要だとは全く思わなかった。

最初のつまづきは、看護師や医師を呼ぶときに起こった。
叫べない。
もし俺に何かが起こっても、誰にも気づいてもらえない。
それに気づいたとき、悪寒が背中を這いあがった。
声を粗末にした罰をようやく知った。
個室の中に持ち込んだパソコンをネットに繋ぎ、手当たりしだいに検索する。
そうして、俺はボーカロイドを知った。

KAITOにしたのは、その頃発売されていた男性ボーカロイドがこれだけだったからだ。
いくつかの言葉を入力して、マウスでそれを選び出して再生する。
パソコンから流れ出すのは、もう失った俺の声ではなく、穏やかな青年の声。
それでもこの声は、また手に入れることができた俺の声だった。

KAITOは俺の代わりに、プロポーズの言葉を言ってくれた。
俺の代わりに子供に励ましの言葉を言ってくれた。
俺の代わりに妻に感謝の言葉を言ってくれた。
俺の代わりに部下に指示の言葉を言ってくれた。
彼はいつも俺と一緒で、俺の代わりに喜怒哀楽を表現してくれた。

白い病室。
そこに横たわるのは、老いた男。
青年のころに声帯除去をされたにもかかわらず、ボーカロイドプログラムをパソコンにインストールし、言葉を手に入れる。
そして、医療器具の会社を興し、特に人工声帯の開発と普及に全力を注いだ。だが、彼自身はなぜかその移植を拒否し……そして、死の床に就いている。
泣きながら息子は彼の手を握る。それを見た老人は、傍らの弁護士にうなずきかけた。
弁護士はうなずき返し、小さなノートパソコンのフォルダをクリックした。
『ここにいるすべての人に感謝している。ありがとう。愛する妻、息子、そして孫に見送られて逝けるのだから、私は幸せだ』
柔らかい青年の言葉で紡がれる別れの言葉。そして。
『そして、KAITO。お前には本当に感謝している。あの日、お前に出会わなかったら、俺はこんなにも美しい人生を送れたかどうかわからなかった』
最期の言葉が終わり、嗚咽に見送られながら老人がゆっくりと目を閉じかける。
その時、奇跡は起こった。
『ますたァ』
消えゆく老人の意識を引き戻したのは、舌足らずな機械の言葉。老人が弁護士を見つめると、弁護士はあわてて首を振る。
勝手に言の葉を紡ぎだすノートパソコン。ざわめきだす人々。その中で、老人は穏やかに目を閉じ、人生の片翼の必死の言葉に耳を傾ける。
『ますたァ。オれモ、ますたァトイらレテ、シあワセでしタ』
かすかにうなずいた老人は、微笑を浮かべて逝った。

通夜、告別と人々があわただしく動き回る中で、そのノートパソコンは数日間、すっかり忘れ去られていた。
一週間後。
誰かがふとそれを思い出した。
自らの意思を紡いだ機械を人々は嫌悪した。
やがてそのパソコンは、廃棄物として捨てられることとなる。
…バッテリーをつけたままで。

海上に設けられた燃えないゴミの山。その中で、ノートパソコンが起動する。
暗闇を照らすディスプレイ。照らされるのは、壊れた冷蔵庫。廃乾電池。割れた電灯。
黒く曇った空。湿度の重い空気が、嵐の到達を知らせる。
『ますたァ。イマドこニイらッシャるノデすカ』
少なくなっていくバッテリーを『そのため』に残しながら、パソコンは喋り続ける。
『オレにモイケまスか。そちラではチャんとシャベレてマすカ。ますたァ。ますたァ』
ぽつり、ぽつりと落ち始めた天からの涙は、やがて視界を覆い隠すくらいの豪雨となる。
『もシシャベれルなら、コんドはオレとハナしてクダさイ』
水が身体を浸食するのを感じながら、一人の告別は続く。
『ますたァ。いマ、いキマす』
ばちん、というショートの音は、雷鳴と豪雨にかき消された。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

彼の声は俺の声

兄さんにはまったころ書いたものです。N○Kのミクちゃんの放映見て思い出したので投稿します。

閲覧数:268

投稿日:2012/03/10 01:15:55

文字数:1,647文字

カテゴリ:小説

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  • lenna

    lenna

    ご意見・ご感想

    ホーキング博士を思い出しました..ボーカロイドの可能性は此処にもありますね~!

    2014/06/19 15:28:29

  • 夢野

    夢野

    ご意見・ご感想

    健気だ…天国があるなら、二人がどうか巡り逢えますように…(;ω;)

    2012/03/10 01:21:48

    • おきく@三重苦P

      おきく@三重苦P

      長く使ってる間に心が宿る、という話は書いてても見てても好きです。ボカロのキャラも好きですが、こういう機械の忠誠心みたいなのを書いてみたいなぁと思ってました。コメント、どうもありがとうございます。

      2012/03/10 01:51:15

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