冷たい風が頬をかすめる部屋で誰の耳にも届かない小さな吐息が解けていきます。
巡る記憶を掬い上げて光をあてる作業を続けてきた私の指先にはいつも名もない感情の破片がひっかかっています。
深い霧が立ち込める森の奥で小さな古い巣の中にひとつだけ不思議な卵が転がっていました。
その殻は温もりを知らず誰かがどこかに置き去りにした寂しい余韻を静かに吸い上げながら息づいています。
音を紡ぐ人や色を溶かす人たちが世界の奥底に深く潜る作業もこの名もない殻を抱きかかえる作業によく似ていると感じることがあります。
世の中には眩しいほどの光や輝かしい言葉がたくさん溢れていますが表層を飾るだけでは胸の奥にある黒い傷跡に届くことはありません。
どれほど甘い旋律を重ねてもその裏側に隠された寂しさや静かな叫びを抱きしめなければ本当の意味で誰かの心に刺さることはないのです。
そこで必要になるのは誰も触れたがらない冷えた場所にそっと手を伸ばすことです。
零れ落ちた記憶の粒や声にならなかった叫びをひとつずつ拾い集めて殻の表面へそっと染み込ませていきます。
言葉を吸い込んだ殻の表面がほんの少しだけ淡い紫色の影を帯びて小さなひび割れを生み出した瞬間そこに小さく確かな物語が生まれます。
密やかに生まれた作品は誰かが一人で抱え込んでいた静かな時間にそっと寄り添いその孤独を優しく肯定していきます。
表現とは綺麗な答えを提示することではなく遠い場所で震える誰かの手を取ることなのだと気づかされます。
私たちは誰もが言葉にできない想いを胸の底に沈めながら自分だけの小さな鳥を育てています。
静かな風が窓を叩く時間にふと自分が紡いできた影の濃さを確かめたくなります。
今日あなたが暗がりの中から拾い上げたその欠片はどんな色彩となって誰かの心を温めたでしょうか。
羽ばたきの気配をかすかに残す空を見つめながらそっと息を吐き出します。
明日もまた誰も触れたことのない深さへ潜り新しい感情の欠片を探し求めていくのでしょう。
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