誰かの話し声が聞こえる・・・・・・・。
この部屋から離れたところから。
「ネルさんの調子はどう?」
「もう大丈夫。さっき見に行ったときはまだ熱があったけど、また起きるときには熱が冷めると思う。」
「そう。お友達には連絡したの?」
「ああ。もうすぐ迎えに来ると思う。」
「じゃあ安心だね。僕はそろそろ出かけるから。」
「うん。」
一人はあの雑音ミクで、もう一人は知らない人。若い男の人の声。
「じゃあ行ってくるよ。」
「行ってらっしゃい。」
部屋の向こうで玄関のドアが開かれて、どすん、と閉じた音がした。
そのあと、またこの部屋に向かって歩いてくる足音がしてきた。
ああもうめんどくさい。寝たフリでもしようか。
◆◇◆◇◆◇
朝というものはいつ何時でも穏やかなものだ。
大都会の中心でさえ、あの喧騒を取り戻すのは昼に近い。
まして、人々が日々営む空間であるこの高級住宅街は静寂と言う言葉が相応しい。
爽やかな空気が全身をすり抜けるように空間を流れ、顔を覗かせて間もない太陽の日差しが眩しく、聞こえるのは、かすかな生活音、鳥の囀り、その程度である。
だから俺もこのような時ばかりは歩みの速度を遅め、周囲の平和な光景を観賞するかの様に眺めていた。
ああ、昨夜の雨が嘘のようだ。
こうして、ゆっくりと散歩のように歩くことさえ、俺にとっては随分と久しかった。
そして昨日の夜は一人の少女を探してあれほど街中を駆けずり周った。
たまにはゆっくりすることも必要だ。
しかし歩きにしろ、移動している以上目的地にはたどり着く。
俺は一つのとある一戸建ての住宅の前で足を止めた。
「水面都北区、657-1・・・・・・。」
記憶には、確かにそうとある。
大理石の表札にも、目的地であることを確認できる二文字が刻まれていた。
「あみ・・・・・・ばしり・・・・・・いや、あばしり、網走か。」
ふと確かめるようにそんなことを呟いた。
俺は一歩踏み出すと玄関前の扉で足を止め、そしてインターホンに手を伸ばす。
さぁここからが大変なのだ。
◆◇◆◇◆◇
玄関のほうからインターホンのような音がしてきた。
いや、ような、じゃなくて、そのものなんだろう。
「あ、きっと迎えだ!」
雑音ミクがくるりと振り返って、エプロンをほどきながら部屋から出て行った。
ちょっとは開放された・・・・・・。
でも後々面倒だ。
「はーい。」
玄関にかけていき、ドアを開ける。
「あ、朝早くからすいません。こちら網走さんのお宅ですよね。」
あの声は・・・・・・!
「えっと、ネルの友達?迎えに来てくれたのか。」
「ああ、失礼しました。僕はピアプロダクション所属、キャラクター・ボーカロイド・セカンドシリーズのマスターを勤めます慶摩敏弘と申します。」
「あなたが?」
「はい。昨日はネルがお世話になったそうで、お迎えに上がりました。遅くなって申し訳ありません。」
「ああ、ネルなら今部屋で寝てる。あ、まだちょっと熱があるかもしれない・・・・・・。」
「では、少し顔を見せてもらっても、いいですかね?」
「それなら大丈夫。さ、上がって。」
「ところで、網走博貴さんはいらっしゃいますか?」
「ひろきなら、もう出かけた。」
なんでよもー・・・・・・。こないでよ・・・・・・。
そう思っているうちに、二人分の足音が近づいてきた。
「ネル、起きてるかい?」
ドアが開けられて、先に一人の若い男が入ってきた。
慶摩敏弘。いわゆるあたし達の世話係。
あたし達の周りにはいつもこいつがいる。
親しく接してるつもりらしいけど、単にうっおしいだけ。
「どうしたんだネル・・・・・・急に家から飛び出して、みんなに心配かけたんだぞ?」
優しく話しかけてくるけど、これはどうせ演技。
そんなこと分かってるから、そっぽを向いてやった。
「帰って。」
「ネル・・・・・・!?」
「どうせ戻ったって、あたしのすることなんかない。」
「・・・・・・。」
それだけ言うことだけでも苦しい。今の言葉は自分でも苦しかった。
だから早くこいつには消え失せて欲しい。
「大丈夫さ。君ならすぐに・・・・・・。」
「帰ってよ!!」
「・・・・・・!」
最後の一言が、余りにも悲しすぎて、ついに涙が出てくるのが分かった。
それを枕に押し付けて必死にごまかした。
「ネルは、昨日雨にぬれて、それのせいで熱が出たんだ。」
「体温調節機能の過度の温度調整ですね・・・・・・冷えたから一気に上がって、頭脳に影響を及ぼしたんでしょう。」
「たぶん・・・・・・。」
「・・・・・・とにかく、まだ調子が悪いようなので、今日はこの辺で失礼します。」
「分かった・・・・・・ところで、ハクさんは?」
「このごろ仕事が忙しく、今日は早朝から出勤で・・・・・・。」
「そう・・・・・・。」
「それでは、どうもネルがご迷惑をおかけしましてすいませんでした。よろしければ、また様子を見に来てもよろしいでしょうか?」
「あ、ああ・・・・・・。」
「では失礼しました・・・・・・ネル。今は辛いかも知れないが、みんな君のことを心配してる・・・・・・君は、君だけじゃないんだ。早く機嫌を直しておくれ。」
それだけ言って敏弘は部屋から出て行った。
雑音ミクもそれについていった。
・・・・・・ばっかみたい。
◆◇◆◇◆◇
「ねぇ・・・・・・ネル。」
「ん。」
まただ。どうしたのか雑音ミクに話しかけられると無視できない。
「君、家出したのか?」
「だから何。」
「どうして?」
「いいじゃん。別に。」
「でも、それってみんなに心配かけるんじゃないか。」
「別に。どうでもいいけど。」
「大切な、仲間じゃないのか?」
また説教みたいなことを・・・・・・。
でも、どうしても答えてしまう。雑音の言葉に、あたしは変に気を許してしまっている。
「・・・・・・。」
「あ、そうだ。今日朝ごはん作ったんだけど、ひろきは、食べなかったからネル食べない?」
「はぁ?」
思わずあたしは寝返って雑音ミクのほうを見た。
またこんどはよく分からんことを・・・・・・ひろきって誰?
「いらない・・・・・・。」
「まだ、体の調子がよくないそうだから、とりあえず何か食べたほうがいい。」
「そんなの、充電で十分でしょ!」
受け答えしてて疲れる・・・・・・。それでも無視はできない。
「わたしは、毎朝食べてる。」
「そりゃ、あんたは・・・・・・。」
「さっき、ミルクティー飲んでくれたじゃないか・・・・・・。」
そういいながらあたしの顔を覗き込んだ。
赤い瞳がすごく綺麗で、吸い込まれそう・・・・・・おろした黒くて長い髪は、つやがあって・・・・・・。
そんな切ない顔で見ないでよ・・・・・・。
「分かったよぉ・・・・・・分かったから・・・・・・。」
「そうか!じゃあすぐに持ってくる。」
雑音ミクの顔がまるで電球がついたみたいにパッと明るくなって、すぐさま部屋の外に駆け出していった。
「持って来たぞ!」
「ど、ども・・・・・・。」
お盆にのせてきた料理は味噌汁とご飯と、パンにサラダかよ!
でも見た目だけなら出来はいい感じ。
「起き上がれる?」
「うん・・・・・・。」
あのクラクラは下がったみたいだ。あたしは羽毛布団を押しのけて、一応体を起こして、お盆を膝に乗せる。
とりあえず、ハシをとって味噌汁から食べ始めた。
「どうだ?」
「まあまあ・・・・・・。」
本当は、おいしいんだけど。
どうしてか、次々と食べていってしまう。そういえば、何か食べるなんて随分久しぶりだ。普通のご飯のはずなのに・・・・・・すごくおいしい。
そうしているうちに、結構早く食べ終わった。
「おいしかった・・・・・・。」
「そうか。良かった。あ、もう七時前だ。そろそろ出かけないと。」
雑音ミクはカラになったお皿をのせたお盆を持って立ち上がった。
話しかけるなら、今。
「あのさ。」
「どうした?」
「あたし・・・・・・ここにいてもいい?」
何もかもに自身がもてなくなって、みんなの中で孤立して、それで、結局逃げ出した。
死のうと思っていた。
そんな時、雑音ミクに助けられた。
もうあんなところ帰りたくない。
どうせ行く当てもないなら、ここにいたほうがいい。
それに、なんだか、ここも、雑音ミクも、
あったかい気がするから・・・・・・。
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