その日の夜。静まり返った家の中。ミクは部屋で寝ていると、ふと目が覚めたので、何か飲もうと思って自分の部屋からキッチンに向かっていると、キッチンのほうから雅彦がやって来た。
 「雅彦さん」
 「ミク、どうしたんだい?」
 「目が覚めたので、何か飲んでからまた寝ようと思ったんです。喉が渇きましたし。雅彦さんは?」
 よく見ると、雅彦はパジャマ姿ではない。
 「ちょっと一息入れようと思って、キッチンでお茶を飲んでいたのさ」
 「雅彦さん、まだ起きてたんですか?」
 もう時刻は深夜の二時を回っている。
 「うん、どうしても今日中にまとめておきたいデータがあったからね。もうすぐ終わるよ」
 雅彦は、人類としては初めて、生身の体から、アンドロイドの体に意識を移した、いわばパイオニアである。雅彦の決断をきっかけとして、アンドロイドの体に意識を移し、アンドロイドの肉体を得る人間が出て来た。雅彦自身もアンドロイドの体を持つことのメリットを身を持って体感しており、どのようなメリットがあるかまとめ始めた。最初は純粋な興味からだったが、時がたつにつれ、雅彦が自分、そして雅彦と同じくアンドロイドの体を持つ人間の立場を理解するようになると、メリットをまとめることは別の意味を持つことに気がついた。
 雅彦のように、アンドロイドの体を持つ人間は、人類全体の数としてはまだまだ少数派である。少数派であるため、世間的な立場はお世辞にも強くない。さらに、社会は生身の体を持つことを前提に構築されているため、雅彦たちは不便を感じることもあった。例えば病院であれば、生身の体を持つ人間用と、アンドロイドの体を持つ人間用の病院が必要となる。つまり、機能的に似た施設を二重に作る必要があり、社会としては余分なリソースを振り向けざるを得ない訳である。世間の中には、そのような無駄を生み出した根源として、雅彦たちに厳しい目を向けられることも決して少なくない。流石に病院については生命に関わる問題から、環境が整備されつつあるが、それでも十分では無い。雅彦の行動は、自分、そして雅彦と同じくアンドロイドの体を持つ人間の弱い立場を守り、さらには賛同者を増やすための戦いに対する武器を得るための行動になった。とはいえ、今ではアンドロイドの体を持つ人間も増えたため、一時期ほどの息苦しさはないが。
 本来なら、雅彦も大学の研究の一環として行いたかったが、大山北大学側が研究として認めないという決定を下したため、大学で行うことが不可能となったため、やむなく家で行わざるを得なくなったのだ。唯一、幸いだったのは、雅彦の作業を行う際に研究のデータを使う機会があったが、それについては大学側にかけ合って、データを精査した上で利用可能になった。雅彦はミクたちと比べると比較的規則的な生活をしているが、家事も担当しているし、ミクを初めとした家族とのコミュニケーションも大事にしたいため、そちらにも時間を割く必要がある。それらの時間を差し引くと、雅彦が一人で自由にできる時間はさほど多く無い。休みの日は基本的に大学に行く必要は無いが、雅彦は生活にメリハリをつけるために、普通に休みたいと考えたため、必然的に平日の深夜にせざるを得なかった。
 「雅彦さん、ひょっとして、ここ数日、ずっと夜は遅くないですか?」
 「まあ、そうだね、ここしばらく、ずっとデータの収集と分析に費やしていたかな。この段階を怠ると、相手を納得させることができないからね。だから念入りにやっているよ」
 「雅彦さん、大丈夫ですか?データの収集と分析を念入りにやっているということは、時間がかかって、睡眠時間が削られている気がします」
 ミクが心配そうにいう。
 「大丈夫だよ。僕の体はハードウェア、ソフトウェアともに新しいものを使っているからね。それに、最近、自己診断システムと記憶整理システムは従来のものから処理時間の短縮を図った新しいアルゴリズムに変えたものに切り替えているから、多くのアンドロイドと比べると、睡眠時間は短くても、同等の機能は発揮できているよ。だからミクは何の心配もいらないよ」
 その雅彦の言葉からは、ミクに余計な心配をかけまいと考える雅彦なりの配慮がうかがえた。自己診断システムというのは、睡眠時間中にアンドロイドのボディを自ら診断し、現時点で故障している、あるいは近い将来故障する可能性があるパーツの有無を診断するシステムで、記憶整理システムとは、人間が睡眠中に起きていた時の記憶を整理する仕組みを模して、同じく記憶の整理をするシステムである。
 雅彦のボディは、見た目は普通だが、中身は最新技術の塊である。新しい技術を用いたハードウェアやソフトウェアが開発されると、ある程度のテストが終了した段階で、雅彦自身が実環境での動作確認と称して自ら真っ先に装着する場合が多い。そのため、高性能であるのだが、初期不良やバグが完全に出切っていないものも一定数あるため、時折不具合が出ることもあった。幸いなことに、現在まで、生活に支障が出たり、致命傷になる不具合に遭っていないし、仮に何かあっても雅彦自身が不具合をどうにかできる頭脳と知識、そして設備が整った自分の研究室を持っているが。
 ミクたちのボディも同じく高性能だが、雅彦とは高性能の意味合いが違い、もう少し時間が経過し、初期不良やバグが出切って一段落したハードウェアやソフトウェアをベースに、コストを度外視してチューニングを行い、徹底的な高性能化を図っている。万が一、ハードウェアの故障やソフトウェアのバグが原因で、ライブを初めとする仕事が失敗しては目も当てられないからだ。
 「ミク、それより寝なきゃ駄目だよ、明日…、もう日が変わってるか…、今日は朝が早いだろう?」
 「雅彦さん、私にはしっかり寝るようにいっておいて、雅彦さんが夜更かしするのはずるいと思います」
 ミクは不満そうにいう。
 「さっきもいっただろ?僕は睡眠時間が短くても大丈夫だし、遊びで夜更かししている訳じゃないさ」
 「…分かりました」
 話が終わると、雅彦は自分の部屋へと戻って行った。確かに雅彦のいうことは合っているかもしれないが、何か釈然としないミクだった。

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初音ミクとパラダイムシフト2 1章13節

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投稿日:2017/02/08 23:06:43

文字数:2,564文字

カテゴリ:小説

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