夢の現実へ ~第6話~
「よし。休憩にしようか」
「はい! ありがとうございました!」
俺たちはいつもどおり音域の調律をし、すべてにおいて4時間の――人によっては調教というが――レッスンを終えた。
音域の調節においては機械的にデータでの調整になるのだが、歌の技術はミク本人が自立的に手に入れていく方式を俺はとっている。
本来ならば音域の調律も彼女自身の手に任せたいのだが、効率の良さも考え、まずは俺が調律を施し、どのような時にどのような調律を施せば良いのかを学ばせている状態だ。
いうなればお手本をまず身にしみこませ、あとはそれを応用して今後は彼女自身で出来るようにする方針だ。機械だからこそできる裏ワザ、みたいなものだ。
「では、お昼を作りますね。あ、創詩さん。今日は何が食べたいですか?」
「そうだなぁ……オムライスとかどうだろうか?」
「はい! 任せてください!」
俺がリクエストすることが嬉しいのか、笑顔を浮かべて台所にかけていくミク。今日はポニーテールに結わええた髪が、喜びを表す尻尾のように跳ねる。
尻尾も台所に吸い込まれるように消えると、早速調理が開始された音が響く。
「~~~~~♪」と、機嫌の良さそうな鼻歌が調理音に紛れて俺の耳に届く。なんだかんだ言って、俺もミクもこの生活にもだいぶ慣れたようだ。まぁ1週間もたてば当然だろうか。
たまに俺にも手伝わせてほしいと言うのだが、なぜか「台所は男子入るべからず、です!」と何とも古風な理論で追い出されてしまっている。まあ仕込みが栗原所長である以上、しかたないのかもしれないが……
まぁなんにしろ、初日から考えればえらい進歩である。
生活に対する緊張もなくなった彼女の歌は本来の味を取り戻し、のびのびと成長していた。このまま進んでいけば、恐らくは半年で彼女は機械の領域から人の領域へと足を踏み入れられるだろう。
芸術というものはそう簡単に結果は出ない。しかし半年という実感が湧く以上、手応えは十分なものだった。
俺が活動できる間はみっちりマンツーマンで。さらに自身に負荷がかかり過ぎない程度にミクの自主練習。
後者に関しては俺自身としてはしっかりと休ませるべきだと説いたのだが、如何せんミクは練習に対して妥協がない。下手をすると自身のエネルギーを外部充電しながら練習をし続けかねない。
それがわかったのは3日たってからだった。おかげで彼女の声帯機能に多少の支障が発生したため、強制的に休ませた。
だがしかしミクは再び始めようとしたため、お互いが妥協案を提示して俺がつけないときの自主練習に関しては2時間――それもヤ●ハから取り寄せたミクの状態をリアルタイムで確認できるスカウタにてとあるラインまできたら俺が寝ていようがなんだろうが通知が来るようにしてある。
それを無視して続けた日には次の日は完全に休みにすると決めて。
思い出すと、それでも不服そうな膨れっ面をしたミクの顔が浮かぶ。どうやら歌うのが相当に楽しいらしい。いいことなのだが……
「はい、創詩さん。お待たせしました」
考え事をしているうちに料理ができあがり、エプロン姿のミクがテーブルの上に次々に料理を並べていく。
「いただきます」
「はい」
並べられた料理の中から、卵に音符のマークがケチャップにて描かれた、メインたるオムライスをスプーンにて切り崩す。
「どうでしょうか?」
「うん。うまい!」
いつもながらミクの料理はおいしい。さすがは味にうるさい栗原所長仕込みなだけはある。いや、所長の影響で凝り性になったのかもしれない。
「ではミクもいただきます」
俺の感想を聞きほっとしたのか、両手を合わせて「いただきます」と告げて、いつものパックジュースを笑顔で「ちゅ~」と吸う。
いつもならパクパクと手早く食べてしまうのだが、これだけ美味いと味わって食べるべきだと思い直して今はゆっくりと租借して食べている。なんと身体にいいことか。
2人ともテレビを適度につけて食事を採っていると、鳴り響く電話の音。
「あ、ミクが行きます」
「いや、電話なら俺が出るよ。どうせ俺宛だし」
よっ、と立ち上がりリビングを出で電話に出る。
「はい、鈴森です」
『今日も元気に這い寄る混沌――』
とりあえず受話器を置いてリビングへと戻る。
「どなただったんですか?」
「いや、悪戯電話だ。気にするな」
再びなる受話器。俺は「はぁ」と1つ溜息を吐くと、再び受話器を取る。
『いつもニコニコ――』
「用件はなんだケイ?」
『言わせてくれよ! 今ワイハマっとんやさかい!』
「シラネぇよ。で、用件はなんだよ?」
『なんや随分と不機嫌やな。アレか? ミクちゃんの手料理を舌鼓してる最中に邪魔されたからか? せやろ?』
「…………」
思わず盗聴器を疑う俺。盗聴でないにしろエスパー過ぎる。
『図星か? まぁそんなことはえぇねん。いや、羨ましいと言う点でよくはないねんけどな。今回の仕事の期限や』
「そう言えば聞いてなかったな。いつまでだ?」
『1ヵ月や』
「……は?」
反射的に出る声。ニュアンスは完全に「意味不明」を示している。
『ミクちゃんのデビューにと今コンサートの企画があがっててな。それが1ヵ月後や言うんや。できるか?』
「……お前だから正直に言おう。無理だ」
冷静に考え、今の方針では難しいだろう。
『どれぐらい必要だ?』
「半年は欲しい。別に彼女に才能がないわけじゃない。だが1ヵ月じゃ満足いく状態には仕上がれない。これは人間でも変わらない」
『せやろな。せやけど、お前が直接弄れば、いけるんちゃうか?』
「……それはミクの“歌”じゃない」
『せやな』
受話器の向こうで『くくく』と笑う声が響き、安心したような声が次に届く。
『やっぱり創に託して正解やったわ! ちゃんと、人として見てくれてるんやな』
「ありゃどうみても人間だ。機械だと思い込みたくても想い込めねぇよ」
『せやろせやろ。ワイの大事な娘やからな! 言っとくけどなぁ、いくら可愛いからって穢すなや! わかるんやからな! そういうんわ!』
「…………まさかお前――」
『ワイを誰やと思うとんねん! できるにきまっとるやろ! だがな! 初めてはパパたるワイの――』
「はいはい解った。で、期限はどうにかできそうか?」
『――まぁがんばってみるわぁ。ただし、半年で頼むで?』
「任せろ」
『ほな、ワイの要件はそれだけや。えぇな? くれぐれもミクちゃん襲ったらあかんでぇ!』
「はいはい」
受話器を置きながら、最悪半年よりも早く仕上げられるように予定立てをしないとな、と思う。スケジュールマネジメントはそれほど重要だ。
リビングに戻り、クッションを抱えてリラックスをしてるミクに「ケイさんですか?」と尋ねられる。
「あぁ、今後の予定みたいなもんだな。それとミクにとって良いニュースがあるぞ」
「ミクに、ですか?」
「あぁ。デビューの日程だな」
「でびゅー? デビューって……ふぇえっ!?」
今にも飛び跳ねそうなほど驚くミクに「おいおい」と俺は突っ込まずにはいられない。
「もともとそれが目的で、俺のところに派遣されたんだろう?」
「そ、そうですけど……でも……」
恥ずかしいのか不安なのかクッションを抱える手をもじもじさせる。
「心配しなくても俺が責任もって送り出してやるさ。今は少し意識してくれればそれで良い」
「気合を入れろってことですか?」
「まぁ……似たようなもんかな」
もっとも、気合は既に十二分にあるのでこれ以上込められても――
「は、はい! でしたら、その――」
「でも無理はダメだからな」
「はぅ……はい」
――こういう結果になるんだよな。元々モチベーションは高すぎるぐらいなのだ。
「喉を傷めたりでもしたら元も子もないからな」
「そうですけど……」
肩を落とすミクのもとへと歩み寄り、気付けばしょぼくれる彼女の頭をゆっくりと撫でていた。
「ふぇ?」
「ミクは充分にがんばってるさ。ミクは、ミクのペースでいけばいいんだ」
「…………」、
「よし。それじゃあレッスンの続きをやるぞ」
「…………」
「ミク?」
心なしかぽーっとしているように見える。まさかプレッシャーに相当弱いタイプか?
心配になり顔を覗きこもうとすると、慌ててミクは元気よく返事をした。
「……は、はい! 宜しくお願いします!」
「今から緊張してもしゃあないぞ?」
「ふぇ? あ、はい。そうですよね! 大丈夫です!」
握りこぶしを作って「がんばりますっ!」と気合を入れ直すミク。まぁいつもの調子に戻ったのならそれでいいとし、再び午後のレッスンへと入る。
「ミクはコンサートとか観にいったことはあるか?」
「はい。研究室にいるときに何度か観させていただいてます」
「よし。じゃあ今回は、自分がそのコンサートの舞台に立ったイメージをするんだ。目の前に観客がいると思って歌ってみるんだ」
「お客様、ですか?」
「そうだ」と頷いて俺は指定位置に着く。今回ミクにデビューの話をしたのは意識的な訓練を行うためでもある。プレッシャーにどれほど強いかを試すためだ。
「じゃあ一度目を閉じてみようか」
「は、はい」
「いいか? 想像してみるんだ。今ミクはスポットライト浴びるステージにいる。目の前は開けており、数千はいるであろう観客の視線が一同に君に集まっている。視線からは初音ミクに対する期待、羨望の感情が注がれ、誰しも君から視線を離そうとしない。視界はそんな人々の視線で埋め尽くされ、聞こえるのは自分の鼓動のみ」
「…………」
ミクは想像力が豊かた。経験をしていることであれば、視点を変えてでの想像ぐらいは出来るだろう。
「どうだ? ステージには君だけだ。感想は?」
「こ、怖いです」
見れば微かにミクの体が震えている。恐らくは相当にリアルなイメージをしているのだろう。
「じゃあゆっくりと最前列に視線を落としてみよう。そこにはミクの知っている人たちがいるはずだ。ケイ、栗原所長、それから技術部の面々たち……」
「あ、ケイさんが手を振ってくれました。栗原所長は、がんばれって言ってくれてるみたいです」
「ははは。所長も娘の前じゃただの母親なのかね。どうだい? 少しは落ちつけたかな?」
「怖いのは怖いです。でも、頑張りたいです! ミクの歌で、皆さん楽しんでいただけるなら、ミク頑張りたいです!」
ふむ。イメージとは言えプレッシャーから奮起出来るのは良いことだ。ミクはプレッシャーに強いのかもしれないな。
うんうん、とまずまずな結果に頷くと、「あ、あの……」とミクがおずおずと声をかけてくる。
「ん? なんだい?」
「そ、その……創詩さんは、どちらにいらっしゃるんですか?」
「ん? 俺か?」
「はい……その、客席には、いらっしゃらないんです。だから、その……」
「俺か……俺は――」
どうやら、異常に鋭い想像をしているらしい。それに、あくまでこれはイメージトレーニングだ。悪い印象を与え過ぎても悪影響しかない。だから俺は、軽く鍵盤をたたくことで応えた。
「あ……」
震えが止まり、表情に笑顔が浮かぶ。大丈夫そうだな。
「さぁ、そのイメージを保ったまま、1曲歌ってみようか」
「……はい!」
そうして歌い上げた曲はいつも以上に声を出し、彼女の“楽しさ”を伝えるには十分な歌声であった。
「目を開けていいよミク。どうだった?」
「はい。えーっと、その……最初は凄く怖かったですけど、歌っているうちに楽しくなってきて、いくらでも歌えちゃうって感じで」
「ははは! 凄いな! じゃあこの調子でいくぞ!」
「はい! お願いします!」
俺が伴奏し、ミクが歌う。たが俺が彼女のデビューに伴奏することは、ない。そのあたりも視野に入れて、レッスンカリキュラムを組まないとな。
そう、考えながら俺はピアノを弾き続けた。ミクの歌声にのせて。
♪ ♪ ♪
一日のレッスンを終え、お風呂に入り、今は自室でゆっくりしながらミクは思う。
「頭、撫でられちゃいました……」
想像するだけで頬が緩んでしまう。はっとして思わず顔にクッションを押しつけてしまう。
「うぅ~~」
頬が熱い。素直に嬉しかったのだ。でも、ケイさんや栗原所長に褒められるのとはまた違った感じだった。
やっぱり、好きなことを褒められると嬉しいのかな。
そんなことを思いながらベッドに横になり、今日あったもう一つのことを考える。
「……でも、なんで創詩さんのいる場所がイメージできなかったんだろぅ?」
それはイメージトレーニングの時の話だ。言葉に出されなかったからなのかもしれないが、どうしても、創詩の場所が想像できなかったのだ。
普通に考えれば、伴奏役は創詩が買って出てるのだから、そこにいるはずなのだ。でも――音が聞こえるまで、創詩さんがどこにもいなかった。
創詩がいない。再び想像するだけで体が震えてきて、かかえたクッションをギュッと抱きしめる。
「もし、本番に創詩さんがいなかったら……ミクは歌えるんでしょうか?」
ただその想像だけは、いくら考えても答えはでなかった。
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